10-124 いつか、平和な空の下で6
「……ぐす、不覚だ……人前で泣いた事なんか殆ど無かったのに……許さないからな!」
「不可抗力だ。それに、ペコを依り代に選んだのはお前なのだから自業自得だと思うぞ?」
ペコが泣き疲れて意識を眠らせるまでファティマは悠の胸で泣き続け、悠の胸元には大きな染みが出来上がっていた。店の者が給仕してくれた食事も冷めかけ、一人だけ食事をする訳にもいかないラグドールは気まずそうに顔を逸らしている。
「うるさい! ……ああ、一生分の恥を掻いた……こんな事ならもっとよく視ておくんだった……」
「お前の才能でも全てが見える訳では無いのだな」
打ち拉がれるファティマだったが、悠の興味はファティマがこの事態を把握していない点であった。全てを網羅しているなら故意でない限り、ファティマには自らの醜態を回避出来たはずなのだ。
鼻を啜り、ファティマは恨みがましい視線を悠に向けて頷いた。
「……そうだよ、私の『神覧樹形図』は未来を視られるけど、再生は倍速が限度なんだ。一言一句まで視ていたら、いくら時間があっても足りやしない。飛ばし飛ばしで視て、必要そうな部分を記憶しているだけさ」
「細かな箇所までは網羅し切れないという事か」
悠の洞察力に内心で舌を巻く思いのファティマだったが、それを口に出すのは癪に障るので黙って頷いた。
「例えば、ここから出るとユウはガラの悪いドワーフの集団に絡まれるけど、相手が何をして来ようとキミは勝つし問題にもならない。だから詳細を視る意味は無いんだ。重要なのは結果だからね」
「絡まれるのか?」
「ああ、必ず。時間を前後させてもそれは変わらないよ。ただ、遅くなるだけ相手の怒りは深くなるけどね。人数も増えるし」
「城に人をやって護衛を呼びましょうか?」
ラグドールは悠に尋ねたが、答えたのはファティマだった。
「だから問題無いんだよ。一定以下のレベルの者ではユウを捉える事は出来ないんだから。それに、襲われるのを恐れて護衛を頼む方がユウの評価にはマイナスになるから黙って見ててね、お父さん?」
「儂は人族の娘を持った覚えはない!」
「冷たいなぁ……ま、それより食べながらユウの身の上話を聞かせておくれ。生憎、キミの使っている力が何なのかさえ私には分からないんだ。『異邦人』というだけではキミの力の説明にはならないからね」
不敵な笑みを取り戻したファティマが悠に問うが、悠は軽く首を傾げた。
「ふむ……」
「おや、なんだいなんだい、後ろ暗い所があるのかい?」
悠が言い淀んだのを躊躇と見たファティマが好機来たれりとばかりに顔を寄せたが、悠はちょいちょいと指でファティマの足をつついて言った。
「この姿勢のままでいいのか? まるで幼い我が子に手柄話をする父親のようだが……」
「……」
「……」
数秒の沈黙の後、ファティマは短い手足を使っていそいそと悠の膝から下りた。ほんのり頬が赤いのは若干心地良くなっていたのと、父親と子供の構図よりファティマ的には女が男に甘える格好に思えたのが大きかったが、内心は全て内側に閉じ込め、厳重に鍵を掛けて隣の椅子に飛び乗る。
「……こほん、さあ話したまえ。何も遠慮は要らないよ?」
「……別に構わんが……」
無かった事にしたいファティマと真面目な顔で悠の言葉を待つラグドールに向け、悠は事の始まりからを掻い摘んで話し始めた。
「神、神ねえ……ちょっと話が大き過ぎて理解に時間が掛かりそうだ。竜と龍、『竜騎士』、召喚、業、魔界に悪魔、魔神かぁ……」
「申し訳ありません、儂の頭では話についていけませんな」
悠の言葉を朧気ながら理解している風のファティマと違い、ラグドールは早々に白旗を上げていた。神なる概念はドワーフには存在せず、強いて言えば先祖の霊がそれに当たるが、超越者が世界を管理しているという世界のシステムはピンと来ないようだ。
《ユウが本調子ならドスカイオスだろうがアリーシアだろうが、加えて言えば『無限蛇』だろうが鎧袖一触だ。ザガリアスやお前達を見捨てていればユウは今頃――》
「やめろスフィーロ、俺が選んだ道だ。死者を冒涜する言動は慎め」
《フン、貴様は甘いのだ……》
喋るのを控えていたスフィーロの溜まり溜まって吐き出された毒舌を悠が制すると、スフィーロも不承不承という体で押し黙った。
「首から下げているのが竜器で、今のはスフィーロ君だね? へえぇ……私が生きていた頃にはドラゴンなんて居なかったからね、実物も見てみたいなぁ……」
「バカな、ドラゴンと出会うとは、避けられない死の比喩として使われるくらいなのだぞ?」
《そのドラゴンの巣であるドラゴンズクレイドルに赴いて龍王を下した男だぞ、ユウは》
「は……?」
スフィーロの発言がまたもや理解出来なかったラグドールはポカンと口を開いたままだったが、悠は話を先に進めた。
「とにかく、俺の最終的な目的は魔の者達の影響力を排除し、世界を少しだけマシな方向に誘導する事だ。そうしなければ世界は一年以内に滅びる……と言われている。ファティマならそれが真実かどうか分かるのではないか?」
「いやはや、キミの話で合点がいったよ」
悠の言葉にファティマは大きく頷いた。
「この先がどうしても視えなかったんだけど、『神覧樹形図』の限界かなと思っていたんだ。でも、違うんだね。世界が無くなるから視えなかったのか……」
「ザガリアス……陛下が俺に協力してくれているのは、俺が単なるエルフの使いでは無いと信じてくれたからだ。ドワーフとエルフの争いに本来俺が口を出す権利はないが、もう時が残されておらん。正当な理由で争っているとしても世界がそれを許容出来んのだ。それに、この戦争の発端にも疑問がある。ドワーフが嘘を吐いているとは思っていないが、俺が調べたエースロットという王は強い力を持ちながらも思慮深く慈しみに溢れ、争いを好まないエルフとしては稀なほど穏和な性質の持ち主だったそうだ。間違っても会談を装って他国の王を謀殺するような者ではない。だからこそ当時のドワーフ達もエースロットを受け入れたのだろう」
「しかし、実際にはエースロットめはゴルドラン様を……!」
こればかりは悠の言葉でも首肯出来ぬと身を乗り出すラグドールを悠は手で制した。
「分かっている。2人の王が何らかの理由で殺し合ったという事だけは間違いあるまい。だが、その理由は何だ? 王都の奥深くで相手の王を殺して逃げおおせられると考えるほどエースロットは短絡的ではない。ゴルドラン王も突如変心してエースロットを騙し討ちにしたりはせんだろう。2人が戦っている所を見た者は居らんのか?」
悠の感情を排した言葉に、幾分か頭を冷やしたラグドールは質問の答えを口にした。
「いえ……2人は中からしか開けられない部屋で戦いましたので……最初に部屋に踏み入ったドルガンが見た時にはゴルドラン様は瀕死で、エースロットは事切れておりました」
「2人がその部屋に入ったのはその時が最初か?」
「幾度か利用していたはずです。魔法や物理的な手段での盗聴を排除した密談用の会議室でしたから」
「不自然だね」
ラグドールの答えを聞き、ファティマは眉を顰めた。
「不自然?」
「ああ。何度も2人だけで会話を重ねていたゴルドラン王とエースロット王が急に殺し合うなんておかしいよ。最終的な目的が捨て身の暗殺だったとしても、その場ではエースロット王が生き残っていなければ不自然だ。殺意を抱いていたのがエースロット王と仮定するなら、先に手を出すのもエースロット王だろう? ユウ、彼は強かったのかい?」
「当時のエルフでは最強だったらしい。生きていればアリーシア王を凌いだという親友の太鼓判もある。今も存命なら、五強の一角を占めただろう」
「なら尚更だね。世界五強に数えられるほどの人物が油断している相手を初手で殺し損ねるはずがない」
断定口調のファティマにラグドールが待ったをかけた。
「ゴルドラン王とてドワーフ随一の勇者だ!! 不意を突かれたとて反撃くらいは――」
「最近のドワーフはちょっと違うみたいだけどさ、古いドワーフほど信じた相手には胸襟を開くものだろう? まだその伝統は絶えていないみたいだし、ゴルドラン王の御代ならもっと色濃く残っていたはずだよ。護衛も無しに2人だけで何度も会っているのがそれを裏付けていると言えるんじゃないかな?」
「そ、それは……」
否定すればゴルドランがエースロットを油断させる為の演技をしていたとも言われかねないファティマの指摘にラグドールは返答に窮したが、ファティマは軽く手を振って緊張を和らげた。
「誤解しないで欲しいんだけど、私も別にドワーフが嘘を吐いているとは思っていないんだ。それこそ、単にエースロット王を殺すだけならゴルドラン王には無数に機会があったはずだし、わざわざ自分まで死ぬ危険を冒すのは変だからね。強者との戦いはドワーフの望む所だろうけど、状況にそぐわないし魔法使いとの戦いを好まないのも知ってるよ。そこで最初の疑問に戻る訳だね」
「不自然で、かつ不可解だ。ならば……」
「お、流石ユウ、私が言わなくてもその結論に行き着くんだ?」
「疑って然るべき可能性だろう?」
「まぁね。それについても若干心当たりが――」
「ま、待て! 一体何の話だ!?」
最小限の言葉で意志疎通する悠とファティマの話が理解出来ずラグドールが割り込むと、視線で譲ってきたファティマに代わり悠が答えた。
「どちらも嘘を吐いていないとすれば、誰か他の者が仕組んだのではないかと俺は思う。エルフとドワーフが憎しみ合い、殺し合うように仕向けた第三者がな……」




