10-123 いつか、平和な空の下で5
「……本当に敏いね。ああそうさ、直接では無いにしろ、シャロンが死ぬように仕向けたのは私だ。いや、主犯と言っても過言ではない。目的の為なら何でもするのを悪と言うなら、私はそう断ぜられて然るべきだろうね」
自らに自嘲を禁じる抑制された声音でファティマははっきりと悠にシャロン殺害への関与を告げた。悠の偽りを許さない強い視線にも怯まず、ファティマは語る。
「後悔はしていないよ。あの子は20歳になる前に正気を失い、自殺して『真祖』となり、母国はおろか周辺各国をも滅ぼして闇の女王になるんだ。自殺出来ないように拘束しても人間である以上老衰は避けられない。人間を憎悪し、失われた若さを取り戻すエサとしか見なさなくなったシャロンの醜悪さは……言葉では言い表せないな……」
「……」
ファティマの言葉は開き直りにも受け取れたが、容易に善悪の判断が付かない難解さを孕んでいた。
悠の倫理観では幼い子供を殺す、またはそれを教唆するのは間違い無く悪である。蓬莱や地球に比べて倫理観が未熟なアーヴェルカインでもただの子供を何の理由もなく殺せば相応の罰が下され裁かれる(平民は、だが)。
しかし、表面的には子供殺しというただの犯罪でも、その子供が将来、大量虐殺者となるとすればどうだろう? その子供を殺し、未来の悲劇を防いだ殺人者は称えられるべき英雄なのではないか?
普通はそんな未来の事は分からないし、もし大真面目にそれを主張する犯罪者が居たら、考慮する前に精神鑑定を受けさせるべきだ。
だが、この才能や能力が存在するアーヴェルカインは違う。アグニエルやモーンドが戦闘において限定的な予知を行うように、本当に未来を視る事が出来る者が存在するのである。ならば、ファティマの行いは正義では無くても、慈悲ではあるのではだろうか?
悠は自分の尺度で計るのをやめ、首を振った。
「……それについて当事者では無い俺が口を挟む権利はなかろう。ただの人間に出来る事は限られている……が、シャロンやギルザードにまで理解を求めるのは……」
「ああ、分かっている。彼女達には私を恨み、詰る正当な権利があるよ。だから私はキミの手助けをする事でその償いに代えさせて貰いたいんだ。……命で償おうにも、私にあるのは仮初めの命だけだからね……」
ファティマの手が神鋼鉄の箱の中に入っていた宝石を握り、俯いた。
ファティマの才能である『神覧樹形図』は人物を起点に起こり得る可能性を視る才能である。数ある才能の中でも特に稀少で強力なものだが、決して万能の才能ではなかった。
戦闘に用いれば無敵なのではないかと思われるが、一定以上の能力を持った相手だとただの人間であるファティマが反応し切れないのだ。どこを斬られるか分かっても、先んじて回避すれば相手も当然対応してくる。その分岐は膨大であり、ファティマの処理能力を超えていた。
また、情報も一瞬で得られる訳ではなく、必要な情報がいつ現れるのかも分からないので、ファティマは部分的にしか視る事が出来ず、知っているのはごく一部に過ぎないのである。一人の人間の人生をざっと流し見するだけで何日もかかるし、寿命の長い種族の人生を視るなら月単位の時間が必要だ。全てを知るには、ファティマの寿命は短過ぎた。
悠の事を知ったのは、ファティマがシャロンの救われる可能性を幼い頃から探し続けていたからである。千年前当時から現在まで生きている者は殆ど居らず、シャロンはファティマにとって重要な情報源であった。
「国を捨て、各国を回って承諾を得て冒険者ギルドを作り、私なりに千年後である現在に備えて来たのも、全ては贖罪の為さ。未来に干渉するなど、人の分を超えてた真似をした以上、私にはその責任があるんだ……」
「自分の人生を捨ててまでか?」
悠の言葉に、ファティマの顔に自虐的な色が浮かぶ。それは自らの咎を知り、罰を欲する罪人の痛みであるように見えた。
「私には、そんなものを求める資格は無いんだよ。人の運命を握り、恣に操る魔王に人としての幸せが許されてはならないんだ!」
「ならばその涙の理由は何だ?」
「え……?」
ファティマは言われて初めて自分が泣いているのに気付いたようで、頬が濡れているのを手で確認すると慌てて首を振った。
「ち、違う!! これは私が泣いているんじゃない、妹ちゃんが……」
「ならばペコは何を知って泣いたのだ? それは、お前の心の痛みを知って泣いたのではないのか?」
「っ!」
否定しようとしても込み上げる嗚咽を抑えられず、ファティマは必死で声を漏らさないように口を押さえたが、流れる涙は止められなかった。人間として生きていた時、誰にも『神覧樹形図』を悟らせなかったファティマの精神力は並外れたものだったが、体を借りているペコはまだ幼く、ファティマの感情をダイレクトに受け取り、耐え切れなくなったのだ。
ペコがファティマの精神と魂を宿せるのは一種の霊媒体質によるもので、亡霊系の魔物が使う憑依などによる精神汚染や精神強奪に強い耐性を持ち、成長すれば自らの意志で霊を操る事も可能だが、未熟な今はファティマに体の主導権の大部分を委ねていた。それでも完全にファティマのものになった訳ではなく、強い感情を抱くとそれが表面化してしまうのである。精神が繋がっているゆえに、ファティマはペコに隠し事は出来ないのだった。
口ではなんと言おうともファティマは深く傷付いていた。未来が視えてもただの人間にはどうにもならない事が多過ぎ、どれだけシュミレートしても変節しない者とは出会えず、助けを借りる事も出来なかった。皆、ファティマの力を知ると、遅かれ早かれそれを自らの欲望を叶える為に使おうと画策し、最後はファティマを恐れ殺そうとするのだ。ならば自分を鍛えればいいのかとも考えたが、ファティマに武術と魔術の才能はなく、誰に教わっても三流の烙印を押されてしまったし、そもそもファティマにゆっくりと修行している時間は無かった。
だからファティマは知恵者を装い、優れた洞察力――実際は未来視――を駆使して仲間を集めたのである。ファティマの決断は常に正しく、交渉は必ず成功させた。
人々は最初、ファティマを地位も名誉も捨てた馬鹿だと笑ったが、ファティマが冒険者ギルドを立ち上げた頃には賞賛の声が勝るようになった。類い希な洞察力と行動力を併せ持った傑物であるという評判は各国に鳴り響いたが、誰も勝手に入れないギルド統括室でファティマは毎夜のように酒に溺れた。他人を信用出来ない寂寥とシャロン殺害に手を下した罪悪感、日増しに増える仕事とストレス、プレッシャーはファティマの精神を確実に追い詰めていた。
ファティマがもう少し利己的な人間だったならばもっと楽に生きる事も出来ただろう。自分の幸せのみを追求し、一生なに不自由する事なく生きる道だ。
だが、シャロン殺害を選択した時点でファティマの道は狭まり、神崎 悠の存在がファティマの道を決めた。
生きている間には出会えなかった、自分を悪用しようなどとは一切考えない、強烈な個性と鋼の精神を持つ男にファティマはどうしても会いたかったのだ。
その悠の前で心の内を悟られるのは、ファティマに激しい羞恥心を呼び起こした。
もうペコとファティマのどちらが泣いているのかファティマ自身にも分からなくなった時、悠が席を立ち、右手をファティマの腰に巻いて正面から抱き上げると、再び席に着いた。
「やっ、な、何!?」
悠の膝の上でファティマが頭上を見上げ、悠とファティマの目が合うと悠は口を開いた。
「子供が泣いていたら大人はあやすものだし、女が泣いていたら男は慰めるものだ。男が女々しく泣いていたら……場合によっては殴るがな」
「ば、か……慰めなんて……!」
ファティマは悠から遠ざかろうとしたが、悠の手がファティマの頭を押さえ、自分の胸に押し付けた。
「お前に慰めは要らんかもしれんが、ペコには必要だ。ペコを大切にする気があるなら泣かせてやれ」
「か、勝手な、事を……!」
もごもごと文句らしきものを漏らしたファティマだったが、抵抗する力は次第に弱まり、その両手が恐る恐るといった遅々とした速度で進み悠の体に回されると、ファティマの口から声にならない叫びが放たれた。
「―――!!!」
千年の苦悩、千年の孤独が涙となって悠の胸元に染み込んでいくのを悠はただ静かに受け止め、ファティマが落ち着くまでその手が離れる事は無かったのである。
未来が見えても介入するには結局力が無くては選択肢は少なくなります。
シャロンを連れて逃げる事も出来ず、『真祖』の力を制御する事も出来ず、放っておけば邪悪な魔物となってしまうと知った時のファティマの絶望は千年経った今でも彼女を苛んでいるのでしょう。
意地っ張りなファティマですが、ペコにバラされたのは想定外だったみたいですね。




