10-118 死中の活6
試合後、ドスカイオスと悠の下に向かった兵士達は悠の惨状に思わず顔を顰めた。
ドスカイオスの一撃で真龍鉄の小手は完全に破壊され、悠の右手は手首を中心にへし折れ、浸透した打撃力で肋骨や胸骨までも砕け、青黒い内出血となって表れていた。擦過傷や打撲などは数える気にもならず、治療よりも埋葬を考えるべき有り様であり、兵士達は事切れた悠に憐憫と賞賛の眼差しを送った。
「……よくやったよ、人族。アンタ、陛下に勝ったんだぜ?」
「ああ、種族は違えど惜しい男を亡くしたモンだ。丁重に埋葬してやろう」
「一応、勇者の亡骸だからな。おい、誰か担架を――」
ドワーフ達の視線が悠から離れた時、ザガリアスとブロッサムが悠の下に辿り着き、ピクリともしない悠を前に膝をつく。2人の目は滂沱の涙に濡れ、黙祷を捧げるザガリアスの隣でブロッサムが悠の肌に触れ、呟いた。
「馬鹿な人……意地を張って、ボロボロになって……勝っても、死んだら駄目じゃないですか……」
ポタリ、ポタリと悠の肌に落ちる涙が束の間汚れを流し、ブロッサムは懐から取り出した布で傷だらけの悠の顔を拭った。
「あんな手抜きのご飯で美味しいって、そんなの嘘です……せっかくこの後にもっと美味しいご飯を作ってあげようかと思ったのに……」
砕けた悠の腕を取り、親指すら無事では無くなった手を頬に当て、ブロッサムは目を閉じただ涙した。
「こんな手じゃ、もう何も出来ないじゃないですか!! ご飯だって一人じゃ食べられないし、武器を持って戦う事ももう出来ないんですからね!! バカ、バカバカバカーーーッ!!」
もう使われる事の無い悠の手は冷たく、否応なしにブロッサムに深い喪失感を与えたが、
スッ。
血の気の通わない悠の人差し指が、泣き濡れるブロッサムの涙をついと掬い取った。
「……ですが、指一本でも……王女殿下の、涙、を……拭う事は、出来ます、よ……」
「……え……?」
「ユウ!? お、お前、生きていたのか!!」
突然動いた悠に度肝を抜かれたザガリアスを尻目に、悠は何もおかしな事は無いと言わんばかりの無表情で答えた。
「死は、負けに等しい……。勝って、生きてこそ、真の勝利……だ」
「馬鹿、強がるな!! どう贔屓目に見ても瀕死ではないか!!」
「この程度、を……瀕死とは、言わん……食って、寝れば、その内治る……ところで……」
悠の瀕死判定の辛さにザガリアスは呆れ返ったが、悠の視線は右手を拘束するブロッサムに向けられていた。
「そろそろ……お離し、して、頂いても、宜しいですか?」
「はい?」
と、ブロッサムは指摘されて初めて自分が悠の手を抱き締めるようにして頬に当てていた事に気付くと、体中の血が一瞬で頭部に集中したのではないかと思えるほど真っ赤になった。
「あわ、あわわ、はひえふえ!?」
「何を言っているのだお前は……」
言語中枢に異常をきたしたブロッサムの口からは解読不能の言葉が漏れ、ザガリアスは妹の醜態に額を押さえた。ついでに腰が抜けたらしいブロッサムは淑女らしからぬ動きで悠から距離を取ると、無理矢理脳内の回路を繋いで猛然とまくし立てる。
「ち、ちゃいます!! あた、わ、私は、ち、血の流れがありゅか見てただけで!!!」
「あのな、ブロッサム……ユウは聞こえていたからお前の涙を拭ったのだろうが。それに、黒板はまだ作動中なのだぞ? ユウはおろか、闘技場に居る全てのドワーフがお前の話を聞いておったわ……」
呂律が回らないブロッサムが絶望的な表情で周囲を見ると、生温かい女性達の視線と、あの人族動けない内にマジ殺すという若い男性陣の視線が集中しており、最後に悠に顔を向けるとトドメの一言が放たれた。
「……食事の件は、後の、楽しみにして、おきます……。作って、下さるの、ですよね?」
「ヒッ……」
津波のように押し寄せる情報量にとうとう脳がオーバーヒートしたブロッサムは、
「ひきゃあああああああああっ!!!」
絶叫しつつ反転すると、腰を抜かしたまま、とても嫁入り前の娘とは思えない格好で闘技場から遁走したのだった。
「ハァ……エンジュといいブロッサムといい、どうして俺の妹達は残念なのか……」
「最低限の礼儀以外は自由気ままに育てたからな!!! どうだユウ、気に入ったならお前が娶るか?」
「父上!?」
ブロッサムが一人で自爆漫才を繰り広げている間に回復したらしいドスカイオスは悠の側まで来ると、どっかりと腰を落として笑いながら尋ねてきた。冗談だとは思うが、首肯すれば本気で妻帯させられそうで、悠は体を起こして首を振った。
「お戯れを。氏素性も、知れぬ男には、荷が勝ち過ぎます……」
「そうか? エルフも見た目はいいかもしれんが、ドワーフ女の抱き心地は最高だぞ!!」
「父上、そのくらいにして下さい。悠は重傷の怪我人です!」
「なんだザガリアス、お前も夜な夜な楽しんでおろうに。のうヘレーネ?」
「え!? ええ、その、激しい方かと……」
「律儀に答えんでいい!!」
衆人環視の中で夜の生活を暴かれたザガリアスが真っ赤になって怒鳴ったが、ドスカイオスは涼しい顔で流し、悠に笑いかけた。
「全く、ワシも老いたわ!! まさか晩年になって人族に負けるとは露ほども考えんかったぞ!!」
「本当の意味で、本気で戦ったならば、また違う、結果となったでしょう。自分は、勝ちを、譲って貰っただけ、です。神鋼鉄の力を、陛下はお使いに、なりませんでした」
「ふ、やはり知っておったか……だが、それを言うならユウ、お前も魔法を使わなかったではないか!! 人族でありながら『火将』に叙されるほどだ、使えばもっと楽に勝てたのではないか!?」
「陛下が使ったら、使うつもりだった、のですよ」
「言いよるわ。まあ、そういう事にしておくか、ガハハ!!」
悠と話すのが楽しくて仕方ないとでもいうように、ドスカイオスは悪戯っぽい笑顔で笑い続けたが、悠が血の混じった咳をするのを見て、今日はこれまでと腰を上げた。
「ユウよ、約束通りグラン・ガランでの滞在を許そう! 件の箱は休む前にギリアムかクラフィールにでも預けておくがいい!! 全力を尽くさせるのはワシの名において承るぞ!!」
「陛下の、お心遣いに、深謝致します」
「なに、ワシが王として引き受ける最後の仕事じゃ!! ザガリアス!!!」
「は、ははっ!」
別人のように表情を引き締めたドスカイオスの威厳を前に、ザガリアスは慌てて畏まった。
「聞いての通りだ、ワシは王位を退く! これからはお前が王としてドワーフを導いてみせよ!!」
形式も何もあったものではないが、ドスカイオスが譲位すると言うのならそれを阻む事は誰にも出来ない事であった。立派な世継ぎであるザガリアスが居るのだから、むしろ遅かったくらいだ。
「一命を賭して務め上げます!!」
ザガリアスが宣言すると、闘技場に万雷の拍手が降り注いだ。この瞬間、ドワーフの王はドスカイオスからザガリアスとなったのだ。
「さてユウよ、まずは体を癒すがよい! ……だが、先に言っておくが、これでエルフとの戦争が終わったなどと虫のいい事は考えるなよ? ワシはお前を受け入れたが、それは人族のユウ個人に限った事であって、エルフに適用されるものでは無いし、決戦の準備は粛々と進めるぞ!! 我らが悲願達成まで後少しなのだからな!!」
あくまで悠とエルフを切り離して考えるのはドスカイオスだけの話ではなく、会場に集った者達もまた同じだった。それだけドワーフのエルフに対する恨みは深いのだ。
この場で説得しても無駄だろうと、悠も頷いた。
「分かりました。自分も、自分なりの方法で、力を尽くしま、しょう……」
問答が終わると悠は即座に治療の為に運ばれ、神鋼鉄の箱を託すと糸が切れたように意識を失い、深い眠りについたのだった。
いやぁ、死ぬかと思いました。これで両手はほぼ全損、アバラもガタガタ、心肺機能、運動能力は半減、出血多量、全身打撲で瀕死の2歩手前という所ですね(悠基準)。