10-116 死中の活4
妻から渡された兜を少し迷ってから断ったドスカイオスは、数人の妻が持つ、いずれも業物と思える武器の中から身長より長い三叉槍と短い2本の鉄鞭(金属で出来た70センチほどの打撃武器)を取り、鉄鞭は腰の両脇に吊すと、闘技場の真ん中で待つ悠に向かって歩き出した。
最上段の貴賓席から一歩踏み込む毎にベヒモスなど比べ物にならないほどの威厳が周囲を席巻し、観客からは溜め息が漏れる。
この王が健在である限り、ドワーフに落日は訪れないと実力で知らしめて来たからこそ今日のグラン・ガランがあるのだ。ドスカイオスは正しくドワーフの象徴であった。
観客席の縁まで辿り着いたドスカイオスはその巨体に見合わぬ軽やかさで飛び上がり、その重さに見合う地響きを立てながら闘技場に降り立った。
無言で距離を詰めるドスカイオスの圧力は物理的な力すら有しているのではないかと思われたが、それを待つ悠には焦りも怯えも無く、凪いだ水面の如きである。
心得のない者が見れば諦観か、はたまた開き直っているだけかと判断しただろうが、流石に歴戦の勇者であるドスカイオスは見誤ったりはしなかった。
(散々挑発し条件を付けておいてワシと戦おうという男が、無策のまま敗れるはずがあるか!!)
そもそも悠は勝った時の為の条件や報酬には言及していたが、負けた時の我が身の保身については一切触れてはいない。それは自分が負けないとタカを括っている訳ではあるまいとドスカイオスは感じていた。
負けたら死ぬ覚悟が決まっているからだ。死ぬならばどんな条件も報酬も無意味であり、負けた時の保身を図ればそれ自体が報酬となり、勝った時の報酬を積む事が出来なくなる。自分の命を粗末に扱う事で悠は交渉における勝利をもぎ取ったのだった。
交渉では悠に上を行かれたドスカイオスだったが、一度戦闘の場に立てばそんな屈辱は淡雪のように消え去り、澄んだ戦意が心身を満たした。
ドスカイオスと悠が対峙した時、観客のプレッシャーは最大限に達していたが、当の本人達は台風の目に居るかのような静寂を感じていた。
互いの一挙手一投足に集中し、雑音が断たれた世界に没入したのである。
「世界五強と名高いドスカイオス王と手合わせ出来る幸運に感謝致します」
「幸運、幸運か!? ……ククク……ワシと命を懸けて対峙し、その言葉を吐けた者はついぞ居らんかったぞ、ユウよ!! エルフ共はワシを恐れて近付こうともせん!!」
「誰もが剣一本、拳一つに命を懸けられるものではありません。が、男に、兵士に生まれたからには、一度はそういう相手に巡り逢いたいと願うのは自然な事かと思われます。自分もそんな好敵手達と出会い、それを乗り越えて来ました」
「年若い貴様がワシよりも深い修羅場を潜っていると?」
「陛下には陛下の敵が、自分には自分の敵が居ります。いずれが楽な道だったかは誰にも推し量れません。が……」
悠の腰が深くなり、不完全な右手が視線の前に構えられた。
「自分はそれを証明する為にここに参りました。陛下をお倒しし、自分は更に先に行かねばなりません。……お覚悟を」
「……この期に及んで貴様の決意を問うのは無粋であろう。ブロッサム、ワシが構えを取れぬような事があれば数を数えよ! 大きく、正確にだ!! 手心を加えるような事をしたら承知せんぞ!!」
「は、はいっ!!」
未だに悠の発言の衝撃から立ち直っていなかったブロッサムは思わず大声で答え、それを受けて裁定役と定まり、一面の黒板の半分がブロッサムに切り替わった。
そして、戦闘は唐突に開始されたのである。
悠の姿を見失った時、観客の脳裏に浮かんだのはベヒモス戦の再現映像であった。
たが、それを甲高い金属音が破砕する。
キュヒン!
飛び散った火花は両者の中間地点で分かち、転げるように悠が着地すると、ドスカイオスは鼻を鳴らした。
「ふん……ベヒモス如きに通じたからといって、ワシにも同じ手を使うのは悪手ぞ!!」
「どうやらそのようです。失礼を」
高速で迫る悠を三叉槍でドスカイオスが弾いたのだと理解した者は多くは無かったが、ドスカイオスが何故兜を被らなかったのかを観客達は遅まきながらに理解した。
「そうか、陛下は視界を確保する為に……!」
ドスカイオスが完全装備で出なかったのは悠の動きを余さず視界に収める為であった。頭部の防御力は落ちるが、悠の攻撃で警戒すべきは右手だけなのだから、それさえ頭部に食らわなければドスカイオスの勝利は揺るぎないのである。
それ以外の場所を攻撃される恐れはあるが、ドスカイオスの纏う鎧はベヒモスの比ではなかった。
「流石は鋼の国の王、鎧から武器に至るまで全て神鋼鉄製とは」
「ほう、分かるか? 始祖より受け継ぎし王の証よ、この『覇王鎧ヴォルカン』と『破邪五聖器』はな!! むしろ、これを防いで砕けぬその小手こそ、話には聞いていたがこれらに劣らぬ名品ぞ!!」
「恐悦至極に存じます」
悠の傷んだ真龍鉄の小手とドスカイオスの神鋼鉄の鎧では、若干ながら悠の方が分が悪いと言わざるを得なかった。それほどにドスカイオスの鎧は堅く、武器の切れ味は鋭いのだ。
遠目に見た武器の中には長斧や大剣もあったが、ドスカイオスがこの三叉槍と鉄鞭を選んだのは、間合いと速度を優先したからだろう。悠の動きを見、分析し、最適な装備を選ぶだけの冷静さがドスカイオスには残されていた。
「なれど、自分も全てを見せた訳では御座いません」
先に宣言した通り、悠に守勢に回るつもりは無いようで、今度はドスカイオスの周囲を駆け回り始める。
「ぬ……!」
中心に居るはずのドスカイオスの方が離れている悠よりも旋回速度は遅くて済むというのに、常時回り続けていなければ目で追えないほど悠の旋回速度は桁違いに速く、その速度は加速が付くにつれて益々速くなっているようだった。ヒストリア戦でも見せた、相手の隙を作る高速旋回戦術だ。
しかし、体術は多少鍛えていただけのヒストリアとドスカイオスでは対応力がまるで違った。
ある時からドスカイオスは目で追う事をやめ、逆に目を閉じると、感覚を耳に集中し始めたのだ。悠が横に回ろうが背後に回ろうが反応せずに三叉槍を構えるドスカイオスに悠が背後から飛びかかろうとした瞬間、ドスカイオスの手が閃き、辛くも回避した悠の耳を半ばで切り裂いた。
「っ!」
「流石の反応、だが、その程度で隙を突こうと思うのはドワーフの王族というものを少し甘く見ておるな!」
ドスカイオスが兜を被らない理由のもう一つがここにあった。兜で遮られるのは視界だけでは無く、音もである。ザガリアスが僅かな気配でプリムに気付いたように、ドワーフの王族の五感は非常に鋭く、ザガリアスやドスカイオスほどの技量があれば音だけで相手の位置を正確に捉え、攻撃を加える事が出来るのだ。白兵戦でドスカイオスを陥れるのは至難の業といっていい。
「これで手詰まりなどと言ってくれるなよ!」
振り返ったドスカイオスは攻守交代を告げる代わりに、三叉槍で立ち止まった悠を猛然と突き始めた。
「は、速い!! いや、速過ぎる!?」
遠目に見ている観客の目には長大なはずの三叉槍が掻き消え、いつ突いていつ引いているのかがまるで見えなくなっていた。確かに突いている証拠は、悠の回避運動と時折掠めて上がる血飛沫だけだ。
ドスカイオスが苦手とする武器は投擲や弓などの遠距離武器くらいのもので、その他の武器の扱いでドスカイオスの右に出る者は居ない。その実力が遺憾なく発揮された時、悠ですら現状では完全な回避は望めなかった。
ドスカイオスの怒涛の突きは豪雨のように悠に降り注ぎ、悠の命運は尽きたかと観客が思い始めた時に、悠の反撃が始まった。
数ある突きの中で下段正中を貫く軌道の一閃を悠が右手で叩き落としたのだ。
「ぬおっ!?」
「せいっ!」
軌道が逸れ、穂先が地面を穿つ瞬間を見逃さず、悠の右手が断頭台となって振り下ろされ、
ガヒュンッ!
神鋼鉄製の三叉槍の穂先の中心を強引に折り砕いた。
「「「おおおおおっ!?」」」
伝説の金属が完膚無きまでに砕かれる場面を見た者はドスカイオスを含めても皆無であり、跳びずさった悠を前にドスカイオスは苦々しげに吐き捨てた。
「……今のはワシの失策であったわ」
「それをすぐに認められる者は多くありません」
2人の言葉は少なかったが、認識は共通していた。ドスカイオスは悠の速度を刷り込まれ、また体を守る防具が殆ど無い事を鑑み突きの速度を上げたが、速度に重点を置くという事は逆に言えば威力を犠牲にするという意味であった。ドスカイオスが威力に重点を置いていれば悠でも逸らす事は不可能だっただろう。しかし、速度だけで威力が乗らない突きならば今の悠でも軌道を変える事くらいは出来るのだ。悠はその僅かな隙とも言えない隙を見逃さず、三叉槍の穂先を砕いたのである。
だが、プラスだけを得るには悠の状態が悪過ぎた。
真龍鉄の小手はいよいよ変形し、今にも壊れそうな無用の長物になりつつあった。もう使えてあと一度か二度が限度だろう。
ドスカイオスもそれに気付いており、腰に吊した鉄鞭を両手それぞれに抜き放つと、決着に向けて意気を迸らせた。
「認めよう、ユウよ……貴様こそ我が生涯で最強の好敵手よ! もし五体満足であったなら、追い詰められていたのはワシだったかもしれん!」
「過分な評価ですが、まだ勝敗は決しておりません。……ブロッサム殿下、これより先、目を逸らさぬようお願い致します」
ドスカイオスが悠を認め、悠は揺るがぬ勝利を目指し――2人は同時に間合いを詰めた。




