10-115 死中の活3
通された円形闘技場は中に入って見てもやはり巨大であり、ミーノスにあった闘技場の数倍の規模がありそうだった。造りも堅牢で客席も多く、今も老若男女のドワーフ達が犇めき合い、客席を埋め続けている。
そんな闘技場の真ん中で裸足の悠は疚しい事は何もないと言わんばかりに臆する事も無く、堂々と佇んでいた。
闘技場の客席の後部には大きな黒い板のような物が東西南北に設置されており、その板には悠の姿が大写しになって投射されている。人間やエルフと同じく、ドワーフも映像投射技術を完成していたらしく、画像の精度や音声のクリアさでは他の2種族を圧倒する技術力を有しているのが悠には見て取れた。知的種族が考える事は多少の差違はあっても似たような発想に行き着くものらしい。全ての技術、魔法を組み合わせれば更なる発展もありそうだが、それもまだ先の話であろう。
観客席が埋まり、貴賓席に王族らしき者達が入り始めると、徐々に客席は静まり、最後にドスカイオスが現れると映像は悠からドスカイオスへと切り替わった。
《既に沙汰は出ておるゆえ、この場に集まった者に長い前置きは不要であろう!! ユウよ、自分が何者であるのかは自らの口で語れいッ!!》
拡大された威厳溢れる声と共に映像がドスカイオスから悠に戻り、悠はドスカイオスの方に一礼して口を開いた。
「自分は人族の冒険者悠と申します。この度は自らの潔白を証明しグラン・ガラン滞在をお許し頂く為にこの拳を振るう所存。ご観覧の方々はその目でとくと検分願いたい」
と、そこで終われば悠も中々見所のある人物ではあるまいかという評価に落ち着いたかもしれなかったが、それに続く悠の行動と言動は大きな波乱を呼んだ。
悠が右手の人差し指を口元に持って行き、皮膚を噛み破ると、流れる血を用いて自分の晒された胸元に一つの徽章を書き入れたのだ。
仇敵であるエルフの国の『火将』紋を。
「なお、自分は今現在、エルフィンシードの『客員火将』を拝領している。それが気に障る方々は大勢いらっしゃるだろうが、ドワーフと敵対する為の肩書きでは無いという事は明記して頂きたい」
――一瞬の静寂の後に訪れたのは、圧倒的なまでの罵声であった。
「ふ、ふざけるな!!」
「人族のクセに『火将』だと!?」
「こいつ……エルフ共の手先か!!」
「殺せ!! 殺してしまえ!!」
「「「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」」」
闘技場を包む膨大な殺気はそれだけで気の弱い者なら殺せそうなほど膨れ上がっていたが、予想通りの反応に悠が揺るぐ事は無く、万を超える殺意の中で、ただ自然に受け流した。
鳴り止まない罵声を遮ったのは王の怒号であった。
《しぃぃずまれいッッッ!!!!!》
許容音域を超過する大音量に観客が耳を押さえ、生まれた空白にドスカイオスの声が響く。
《……よもや人族がエルフ共の肩書きを持っているとは思わなんだが……ユウよ、何故それを今口にした!? これでお前は全てのドワーフを敵に回したのだぞ! どうせ死ぬからと自暴自棄にでもなったか!! それとも、愚かなエースロットの真似事か!?》
エルフの肩書きが知られればたとえ試練を乗り越えたとしてもドワーフとの摩擦は避けられないのは言うまでもない。だが、悠には偽らない理由があった。
「ドワーフという種は嘘を嫌います。自分は自らの意志で拝領し、自らの意志でここに来る事を選択致しました。それを偽り、後々に判明すればドワーフは二度と自分を信用しないでしょう。自分を信じてくれた者達の為にも、偽る事は出来ません。並びに、自分はエースロット先王陛下とお会いした事はありませんので、愚かという評には同意出来かねます」
悠を信じてくれた者達には仲間やエルフだけではなく、悠の素性を知るザガリアスやラグドールも含まれている。悠が素性を偽れば、彼らにも嘘を強要する事になりかねないのだ。
《では何の為に来た?》
「それはこの試練の後に言うべきでしょう」
事情を話す事で共感を得られるなど有り得ないのだから、逃げ口上と取られないように悠は言葉を切った。証明するには言葉では足りず、行動を伴うべき場面であった。
《……良かろう、だが、果たせるかな!?》
「果たしましょう。大言壮語かどうかは結果で判断して頂きたい」
ドスカイオスと悠の間に起こる帯電するかのような視線の交錯に観客も思わず息を呑んで成り行きを見守ったが、ドスカイオスが顔全体を獰猛な笑みに変えると、悠が入って来た方向とは逆の方角の入り口を指した。
《ベェェェヒモスッ!!!》
ドスカイオスの告げた名に、観客からどよめきが上がった。
「ベヒモスだって!? まだ生きてたのか……」
「凶暴過ぎて王族でありながら投獄されて、もう百年も経つ凶悪な男だぞ?」
「処刑人ベヒモスが闘技場に出て来るなんて10年ぶりだぜ!」
「もう千人近く殺してる怪物中の怪物じゃないか!! ……あの人族、死んだな」
漏れ聞こえる評だけでどんな人物か容易に想像がつく相手だが、重い格子が巻き上がり、ベヒモスが足を踏み入れた瞬間、観客から悲鳴混じりのざわめきが起こった。
ドスカイオスほどでは無いにしろ、悠を超える長身を重厚な純魔銀の全身鎧で完全に包んだベヒモスは殺戮の意志を宿した重戦車のような圧力を撒き散らす凶漢であった。
鎧のあちこちに付着したままになっている赤茶色の汚れが何なのかは聞くまでもないだろう。
中央で待つ悠をいたぶるようにゆっくりと、これも赤茶色に汚れた鉄棍を見せつけながら喜悦を滲ませて迫るベヒモスについてドスカイオスが解説する。
《ユウよ、そやつがお前の相手だ!! ワシの腹違いの弟でもあるが、どうにも抑制が利かん奴でな、定期的に血を見んと鎮まらん!! 普段は処刑人兼囚人として牢に入っておるが、武力だけならグラン・ガランでも屈指の――》
が、それを語り切る前に悠が手を前に出し、ドスカイオスの言葉を遮った。
「お待ち頂きたい」
《む、何だ? 今更怖じ気づいたか?》
ドスカイオスがわざわざ選んだ男が弱いはずもないが、悠の脳裏にあるのはペコの助言であった。即ち、「最大の試練に打ち勝て」である。
「屈指では」
悠が言い終えるのと、行動を起こしたのは全くの同時であった。
「不足!」
煙るように動いた悠の姿を目で追えたのはドスカイオスを含めたほんの数人であり、最も近い位置に居たベヒモスは視界を遮る重装備が祟り、悠の姿を追い切れず見失った直後に激しい衝撃と共に前方に吹き飛び……
「ぐぅぅ……」
一度体を起こしかけたが、果たせず顔から地面に崩れ落ちた。
「動けぬ罪人ばかりを殺している間に勘を鈍らせ、敵を前に油断する輩などを倒しても我が証明足り得ず。今一度獄を抱くがいい」
「「「……」」」
右手裏拳ですれ違いざまにベヒモスの後頭部を殴り飛ばした悠の指が開き、一点を指差した。
観客がその指の先を辿り――音が絶える。
「ドワーフに対し証を立てるなら陛下、あなたを置いて他にはありますまい。あなたこそ最強のドワーフだ。……よもやとは思いますが、自分に情けをおかけでしたか?」
慇懃を装った挑発的な言動と真っ直ぐに自分を指す悠に、ドスカイオスは瞬時に反応した。
《ぅワシの鎧を持てぇいッッッ!!!!!》
ドスカイオスの大声に慣れているはずの周囲の王族がひっくり返るほどの怒号が響くと観客席は俄かにざわめき出した。
「ま、まさか陛下が戦うのか!?」
「何を考えているの!? 生き長らえたいならベヒモスを倒すだけでいいのに!!」
「増長か? ……或いは本当に勝つ気で……」
「馬鹿な、この世界広しと言えど、魔法も無しに陛下に勝てる者など!」
ただの力自慢であれば試合という形で強者との戦いを臨む気持ちはドワーフにも親しみが持てるものだったが、戦場でもないのに満身創痍で最強の存在と戦いたいという気持ちはドワーフであっても理解し難いものであった。技比べと自殺は全くの別物だからだ。
だが、悠には時間が無いのだ。残された時間は告げられていたが、それが更に短縮しないという保証は何処にもなく、そうなってから天に唾を吐いても結局は怠惰に過ごした自分に降りかかるだけである。
ならばペコの言葉を信じ、ギリギリまで踏み込まなければならないと悠は覚悟を決めていた。
先ほどのベヒモスにしてからが、悠が真龍鉄の小手で殴っても一撃で意識を刈り取る事が出来なかったのだ。完全に力が乗らない状態だったとはいえ、結果から見るよりベヒモスは弱くはなかった。ましてや今度の相手はドスカイオスである。きっと、呆れるほどに強いだろう。
だが、ドスカイオスの強さが知れ渡っているからこそ、困難に挑戦する悠に交渉の余地が生まれるのである。
「ご安心を、陛下。陛下を殺してしまうような事は致しません」
《貴様ぁ……愚弄するつもりなら楽には死ねんぞ!!》
「事実を申しております。勝敗は兵家の常、何かの間違いで陛下が亡くなれば、自分はこの場で殺されましょう。そうならない為に一つ提案が御座います」
《提案だと!?》
周囲の女性に鎧の装着を委ね(全てドスカイオスの妻である)、今にも飛びかかりそうな表情でドスカイオスが先を促すと、悠は頷いて言葉を継いだ。
「自分は見ての通りの有り様ですが、自分がどんな状態であろうとも陛下が5秒の間、構える事も出来ないほど体の自由を奪われたら、この場は自分に勝利を譲って頂きたい。戦場で5秒も惚けていれば死んだも同然です」
《ワシがその条件を呑まねばならん理由は?》
「お聞き入れ頂けないのであれば……そうですな、精々無様に逃げ回ってみせましょうか。きっと長い処刑になるでしょう」
《っ!!》
悠の台詞はドスカイオスの急所を突いていた。今のドスカイオスに長期戦を、しかも逃げる相手を追い回しながら戦うには大いに不安があった。悠はプリムの諜報の成果としてそれを知っており、成算の高い賭けに出たのだ。
《……もし了承すれば?》
「死力を尽くして戦う事をお約束致します」
ドスカイオスは自分が出る意志を示しており、今更やめたとは面子にかけて言えず、内心では渋々と悠の提案を呑んだ。
《あい分かった、死に体になったらお前の勝ちで良い!》
「では厚顔ついでに、勝ったら一つお力をお借りしたい事が御座います」
ふてぶてしくも報酬の上乗せを図る悠にドスカイオスのみならず多数のドワーフが額に青筋を浮かべたが、魔界の悪鬼を前にしても恐れ入る事など欠片もない悠は希望を述べた。
「ご安心を、戦闘にこれ以上条件は付けません。……実は自分はドワーフの手による神鋼鉄の箱を所持しておりますが、鍵を喪失しており、さてどうしたものかと難儀しておりました。ですので、自分が勝った暁には、ドワーフの匠の技術でこの箱を破壊する事無く開けるのに協力して頂きたい。人族の冒険者ギルドに至宝として鎮座する事千年余。是非ともその封を解きたいのです」
神鋼鉄と聞いて血の騒がないドワーフは居ないと言ってよく、悠の言葉は多くのドワーフの興味を引く事に成功した。
「人族に千年以上伝わっているとすれば……」
「ああ、細工の技術が極まった時代だ。見てみないと分からんが、中々厄介な代物だぞ」
「下手に触ると台無しだからな……箱の存在だけで国宝級と言っていいんじゃないか?」
戦闘より技術に傾倒する者達は口には出さなかったが、何とか現物を見られないものかと涎を垂らさんばかりの食いつきようであり、連日徹夜で作業に当たっていたクラフィールは新たな研究材料の出現に卒倒して部下に支えられていた。
「勿論、自分が負けた時はドワーフにお譲りしましょう。如何か?」
敵愾心を抱いていた同胞まで期待に目を輝かせていてはドスカイオスもはねのける事は出来ず、特に問題は無いとして受け入れた。
《ええい、分かった分かった!! そのくらいは認めてやるわ!!》
「お聞き入れ頂き有り難う御座います」
ドスカイオスと戦う事、神鋼鉄の宝箱を開く事、その両方を条件に乗せれば言葉による交渉は成功だ。
あとは、勝つのみ。
「ぅぐ…………っ」
同じ頃、王宮の自室でザガリアスは3日に跨がる長い眠りから目を覚ました。
「気が付かれましたか、あなた!」
「ここ、は……俺は、確か『無限蛇』を……」
ザガリアスが意識を失ったのは『無限蛇』戦直後の事であり、それ以降の記憶は殆ど残ってはいなかった。僅かに覚えているのは揺られて運ばれた事と、時折痛みを和らげる温かな力だけで……
そこでザガリアスの記憶が急速に鮮明になり、悠の姿が脳裏に蘇った。
「ヘレーネ、ユウは、ユウはどうした!?」
「ゆ、ユウ? あの人族の囚人ですか? でしたら今頃は処刑も済んだのでは無いかと――」
「囚人!? 処刑だと!?」
寝かされていた寝台から飛び起きたザガリアスの剣幕に、妻のヘレーネはコクコクと首を縦に振った。
「い、一応試合の形式は取るみたいですけど、陛下はベヒモスを戦わせるつもりみたいでしたし、目も腕も不自由ではもうとっくに……」
「馬鹿な!!」
居ても立ってもいられなくなったザガリアスは毛布をはねのけ、歩き出そうとした瞬間に床に崩れ落ちた。
「ぐううううっ!?」
強い倦怠感と激しい痛みがザガリアスを苛み、ヘレーネが慌てて起こしにかかる。
「む、無茶はよして下さい、あなたの両足は折れていたんですよ!? いえ、足だけでは無く体中に大怪我を――」
「ユウだって同程度以上の怪我をしておるわ!!」
這いずり答えながらもザガリアスの意識は悠の事で占められていた。
「あいつにどんな肩書きがあろうと、何を目的としていようと、ドワーフの恩人である事に変わりはないのだ! ラグドールも、ミズラも、そして、俺もだ!!」
支えようとするヘレーネの手を払い、ザガリアスが自由の利かない体で必死に闘技場を目指して這った。自分をグラン・ガランまで運んだのが悠であると、ザガリアスは確信していた。
「ぐっ……ユウ、まだだ、まだ死ぬな! 俺はまだ、お前に何も返しておらん!! ユウーーーッ!!」
ザガリアスの悲痛な叫びは堅牢な王宮の壁に阻まれ、届く事は無かった。
ザガリアス王子、ちょっと間に合わなかったですね。




