10-110 喪失×喪失1
「魔力不感知症だと!?」
「はい、まず間違いないと思います」
魔法喪失のショックが大きかったアリーシアにはまだ休息が必要と考えた恵は、睡眠導入効果のある薬剤を打ち、アリーシアが眠りにつくのを見届けてからサクハを隣の控え室に呼び、アリーシアの病状を告げた。
「以前、悠さんに聞いた事があります。頭部に重篤なダメージを受けると稀に魔力を感知出来なくなる事があるって。アリーシア様の場合、救援に赴いた時に一時的ではありますが呼吸も心臓も停止していたと聞きました。おそらく、その時に脳にダメージがあったんです。私の知識では推測しか出来ませんが……」
「理屈はどうでもいい!! それより、アリーシア様は治るのか!?」
「……」
サクハの剣幕を前に、恵は力無く首を振った。
「私では無理です。後天的な魔力不感知症は外科的な処方で治る可能性があると悠さんは仰っていましたが、まだ試した事は無いと……。単なる回復魔法で治るならこれまでに治療に成功した例が報告されているはずですが、ご存知ですか?」
「……無い。エルフにとって魔力不感知症と断ぜられるのは侮蔑の対象となり得る恥辱なのだ。一昔前よりマシになったとはいえ、王たる方が魔力不感知症だなどと知られたら……最悪、王位の剥奪や王家からの除籍すら有り得るかもしれない……」
「そんな!?」
青い顔で答えるサクハに恵は頬を紅潮させて問い質した。
「魔法が使えないだけで追い出すんですか!? アリーシア様はそれ以外は何も変わりないというのに!!」
「人族とエルフでは常識が違うのだ!!」
恵の責めるような口調にサクハも怒りを感じて怒鳴り返した。
「エルフにとって魔法とは単なる一技能では無く、その者の価値すら決め得る重要な要素だ!! 特に陛下は王にして『風将』の地位を占めるエルフィンシード最強の魔法使いとして認められていたが、魔法が使えなければその座を占める事は許されないんだよ!!」
「アリーシア様の価値を、生きている人の価値を魔法だけで計るのは間違ってます!!」
サクハの語るエルフの常識に対し、恵は真っ向から反論した。この世界にやってきて『家事』という極めて有用な才能を得て何かと重宝されるようになった恵だが、蓬莱に居た時は少々裁縫と料理が出来るだけの非力な少女に過ぎなかったのだ。それでも龍の影に怯えながら家族3人で必死に生きてきた恵にとって能力だけで価値を計られるのは耐え難い事であった。
「アリーシア様には他にもいい所はたくさんあるはずです!! どうか魔法が使えないだけでアリーシア様を見捨てないで下さい!!」
「……見捨てる? 見捨てるだと!?」
恵の言葉に目を見開いたサクハが恵の胸倉を掴んだ。
「私が、陛下の側仕えであるこの私が好き好んで陛下を見捨てたりなどするものか!! お前に言われなくても陛下の美点くらい知っているわ!!」
烈火のような怒りは藁につけた火のように急激に燃え上がったが、同じ勢いで力を失っていった。
「だが、それでもエルフィンシードの王に魔法が使えないなどという事は許されないのだ……私やケイがいくら弁護してもそれはどうしようもない……」
「まだ決め付けるのは早計ですよ」
胸倉を掴むサクハの手を優しく握り、恵は穏やかな声でサクハに諭した。
「先ほど私は、私では無理だと言いました。ですが、ハリハリさんや悠さんなら何か有効な治療法を見つけてくれるかもしれません。だから諦めないで皆さんの帰還を待ちましょう。きっとアリーシア様を治して下さるはずです、ね?」
「ケイ……」
心からアリーシアの回復を信じている恵の言葉に打たれ、サクハは空いている手で恵の手を包み込んだ。
「……済まない、急な事で取り乱してしまった。もう大丈夫だ」
「いえ、それだけサクハさんがアリーシア様を大切に思っている証拠ですよ」
「ハハ、情けないな……自分の10分の1も生きていない人族に諭されて喚き散らすなんて……。ありがとう、ケイ。お前が居てくれて本当に良かった」
ようやく落ち着いたサクハが微笑みを浮かべると、恵も同じように笑った。
「お礼なら悠さんに言って下さい。私をここに呼んだのは悠さんなんですから」
「む……」
ここぞとばかりに悠をアピールする恵にサクハの微笑みが曇ったが、やがて苦笑に変えて頷いた。
「分かった、分かったよ、もう不必要にあの男に突っかかったりはしない。……ただな、私が素直に感謝出来ないのはあの男にも問題があると思うのだ。やたら直截な物言いでこちらの神経を逆撫でするし……」
「……悠さんは素直ですから……」
それに関しては恵でもフォローに苦しむのだった。
恵とサクハはその後簡易的な協議を行い、ごく一部を除いてアリーシアの病状は伏せておく事に決め、これまでどおりサクハと恵だけで看護し、面会謝絶で押し通す事に決めた。アリーシアには不自由をさせる事になるが、魔法が使えなくなっている事を広めない為には仕方のない処置だ。
そうこうしている内にすっかり日は暮れ、ドワーフ迎撃に向かったエルフ軍が完全勝利を手土産に帰還すると、シルフィードは夜だというのに大騒ぎとなった。
だが、肝心の主役達は戦勝気分とは程遠い、重苦しい空気に包まれていた。
「まさか、あの母上が……」
ナターリアの呟きがその場の者達の内心を端的に代弁した。皆が皆、最強の魔法使いの失墜に大きなショックを受けていたのだ。
それでもハリハリは気持ちを切り替え、努めて平常な声音で語り出した。
「……命が助かっただけでも奇跡のようなものだったのです。当面アリーシア様にはご静養頂く事にし、その間に治療法を模索しましょう。この事は他言無用、箝口令を徹底します、いいですね?」
現実的なハリハリの意見に皆が混乱を抑えて頷くと、ハリハリは席を立った。
「母上の下に行かれるのですか?」
「ええ、まだ帰ってきてから一度も言葉を交わしていませんからね、陛下もご同行願えますか?」
「はい。ですが、母上が目覚めたからには私の事は元通りにお願いします」
「畏まりました、姫」
ハリハリとナターリアがアリーシアの居室を訪れると中に居た恵が出迎え、彼らを招き入れた。
「お帰りなさいハリハリさん」
「ケイ殿、あなたの献身的な介護がシアの回復を早めてくれました。国としても個人としても深く感謝致します」
恵の顔を見るなり深々と頭を下げたハリハリに恵が慌てて手を振った。
「やめて下さい、アリーシア様は私にとっても大切な方です。むしろ、こうして看病させて貰えてこちらこそ感謝しているくらいなんですから」
「そう言って頂けるとワタクシも嬉しいですよ。正直、ワタクシは魔法が使える使えないなどという事よりも、シアの命が遥かに大事なのでね」
ハリハリの言葉に恵の微笑みが深くなった。自身も優れた魔法使いでありエルフの常識を知りながら、ハリハリがそれを差し置いてでもアリーシアの回復を喜んでくれた事が恵には嬉しかったのだ。
「投薬した時間から考えて、そろそろアリーシア様も目をお覚ましになると思います、どうぞ」
恵に誘われ、ハリハリとナターリアはアリーシアの眠るベッドの傍らに移動すると、計ったかのようにアリーシアの呼吸が浅くなり、間もなく瞼がゆっくりと開いた。
「……ん……」
「おはようございます、シア。随分と長くお眠りでしたね?」
寝坊を揶揄するようなハリハリの言葉に恵とナターリアが笑みを作った。きっとアリーシアは憮然としてハリハリに言い返すだろうと予測した2人だったが、それもまた生きていればこそだ。
だが、続くアリーシアの言葉はその場の誰の予想の範疇にない不機嫌に冷めた一言であった。
「……誰よあなた? 初対面の癖に私を愛称で呼ぶなんて……殺されたいの?」
漏れ出る真正の殺気に、ハリハリの思考も表情も全てが凍りついた。
タイトル通りです。アリーシアは魔法と、そしてハリハリの記憶を失いました。