10-108 溺れる者共8
エンジュが目指した湖は、池ではなく湖というだけあってかなりの広さと水量を誇っており、楕円形の円周をエンジュ達が迂回しようとした時、遥か対岸にはエルフの一軍が布陣しているのが見て取れた。一応、迂回の危険性は認識していたようだ。
「ちょうどいい、手始めにあいつらを討ち取るわ!! 突撃!!」
念の為に残しておいた最後の10体の『機導兵』を動かし、エンジュは今度こそ必勝を期して全軍に突撃を告げた。見たところ1千程度の兵は居るようだが、魔法が使えないエルフなど5千ものドワーフを押し留められるはずがない。まだ魔法が届く距離でもなく、届く距離にドワーフが到達する遥か手前で魔法は無効化されて役に立たなくなるはずだった。『機導兵』の数が心許ないが、迂回して主戦場に戻ればまだ無事な『機導兵』とエルフを挟み撃ちにする事も出来るとエンジュはほくそ笑んだ。
エルフ達は水辺で何やら水魔法を使っているようだったが、『水の矢』だろうが『水球』だろうが有効射程は百メートルもなく、連弾で効果を引き上げても焼け石に水にしかならないし、エンジュは気にも留めずにエルフ目掛けて岸辺を駆けた。
先ほどの失敗を反省し近くに侍らせている『機導兵』用の罠もなく、もう少しで魔法無効化が届く――
と、対岸で何かが光った。
ピュン!
ほぼ同時に聞こえた小さな音が何だったのかエンジュには分からなかったが、効果は目に見えて現れていた。
「っ!!」
「あがっ!?」
「ぎっ!?」
バタバタと倒れるドワーフと悲鳴がエンジュの耳を叩き、何人かはそのまま永遠に動かなくなった。再びエンジュの頭が真っ白になったが、敵であるエルフ達はそれに付き合ってはくれなかった。
対岸で一連の流れを観察していたナルハは小さく頷いて手を掲げる。
「試射成功。敵が浮き足立っている間に仕留めるぞ! 角度に留意し『水鏡』全展開!」
ナルハの命令に添い、水辺に控えていた兵達が3人一組で空中に透明度の高い、大きな曲面の水の幕を重ねて作り出す。瞬く間に50組を数える『水鏡』が出来上がると、兵達は期待を込めて報告した。
「『水鏡』全展開完了! いつでも行けます!」
「よし。『光熱砲』、各班班長の合図で発射!」
その期待に応え、ナルハが即座に命令を下すと、『水鏡』の背後に控える7人の兵士が一斉に『水鏡』に向けて光属性魔法の『光熱砲』(レーザーと同等の性質を持った魔法)を解き放った。彼らは徴兵に赴いているセレスティ麾下の『光将』軍の兵士であり、当然ながら光属性魔法を得意とする者達だ。
『光熱砲』は貫通力が強いので敵味方が入り乱れた状態では使いにくく、照準が難しい上に有効射程も百メートルほどで、エルフでも4発も撃てば魔力が枯渇してしまうほどの燃費の悪さからいまいち使い勝手が悪い魔法であった。気象条件にも左右されやすく、これを上手く使えるのは『光将』であるセレスティ以外に居ないとすら言われていた魔法だ。
通常、『光熱砲』を重ね合わせて撃っても効果が増大したりはしないのだが、そこに樹里亜と雪人は別の理論を持ち込んだのだ。
魔法は一部の物を除き、発動してしまえばその後はただの物理現象である。ならば連弾などで単体の魔法を強化するより、一つの物理現象として纏めてしまえば『機導兵』の魔法無効範囲を超えて魔法を届かせる事が出来るのではないかという科学方面からのアプローチを試みたのである。『機導兵』の魔法無効化能力は半径5百メートルと判明しており、一部のドワーフが誤解しているように無制限に魔法を無効化するものではなかった。ハリハリが時を拡大する事で魔法を有効化したように、樹里亜と雪人は距離を拡大する事で魔法を有効化しようとしたのだ。
距離を稼ぐ方法として幾つかの方法が考え出されたが、その中でハリハリが選択したのが『光熱砲』を凝集して放つという方法であった。理由は照準性能が非常に高く、周囲にあまり被害を及ぼさないからだ。流石に自国の王都近郊でダウンバーストなどは勘弁して欲しいというのが本音である。
その後、すぐに『水鏡』を開発してみせたのはハリハリの魔法開発者としての面目躍如であり、実験では3枚の『水鏡』と6人での『光熱砲』の行使で『機導兵』の魔法無効範囲を超えられると分かったが、そこに更に一人を加えて威力を高め、連弾ではない、異なる魔法を組み合わせた全く新しい集団魔法行使法を完成させたのだった。
これぞ、儀式魔法『七星極光陣』である。
『水鏡』によって調整された光は一点に集中し、7つの『光熱砲』を一つに束ね、ドワーフ達を瞬時に貫いていった。
頑丈なドワーフの防具であるが、極限まで高められた超高熱光線の前には一瞬しか耐える事が出来ず、それ以前に露出した頭部を直撃された者達は何が起こっているのか分からないままその生を強制的に終える事になった。
エンジュの周囲でバタバタとドワーフ達は倒れていき、エンジュは完全な自失の中で呆然と立ち尽くした。
「う、ウソだ……魔法は、使えないんだ……使えちゃおかしいだろぉっ!?」
予定外の事ばかり起こる戦場に、エンジュは僅かに残っていた冷静さを打ち捨てた。悠の出現から始まったエンジュの計算違いは、ここにきてエンジュに大きなツケを払わせようとしていた。
小癪な罠で『機導兵』の大半を足止めされ、使えないはずの魔法を使われて窮地に陥っている理由がエンジュには最後まで理解出来なかったのである。
だが、エンジュがやるべきは子供のように癇癪を起こす事ではなく、冷静に状況を分析する事だった。『七星極光陣』は実の所、欠陥の多い魔法なのである。
弾丸である『光熱砲』の魔力消費が甚大なのは変わらず、『水鏡』3人、『光熱砲』7人の計10人1チームが放てる『七星極光陣』は『光熱砲』と変わらず4発であり、1千人百チームなら合計400発で打ち止めであった。しかも指向性が高く攻撃範囲が非常に狭いゆえに横方向に敵が広がると射撃効果が薄れてしまうのだ。『水鏡』を照射中に動かす事も出来ないので(焦点がズレて明後日の方向に飛んでしまう)、動き回られると狙って当てる事も不可能になる。殺傷能力も頭や心臓などの急所以外なら貫通はしても即死には至らず、痛みはあっても出血は殆ど無い。
勿論、ハリハリはそれを悟らせないように色々と手は打っていた。最初の一発目は最大の効果を見込んで一斉射させたが、その後は時間差射撃に切り替え、いくらでも撃てるのだとドワーフ達に誤認させるようにナルハに指示を与えて周到に備えていたのである。
だが、指揮官がザガリアスならば必要になったかもしれないそれらの策は既に意味を無くしていた。エンジュや若いドワーフ達の現実把握能力は魔法が無効化されるはずの戦場で魔法に狙い撃たれる状況が生み出された時点でとっくに飽和してしまっていたからだ。見えざる速度で放たれる光の槍に刺し貫かれたドワーフ達は痛みと恐怖にのた打ち回った。
「何でだよ!! エルフの魔法は封じたはずだろ!?」
「糞ッ、ちゃんと働けやこの木偶が!!」
「は……腹が、腹に穴が空いちまったあっ!!」
主戦場での失敗で『機導兵』を先行させる危険を知り、罠を警戒しつつ共に行動していた事がここにきて裏目に出ていた。先に『機導兵』が狙い撃たれていれば危険を察知する機会に恵まれたかもしれないが――彼らがその機会を活かせなかった可能性もこれまでの行動から考えれば非常に高かったが――、これもまた心理的な罠の一部であろう。お陰で『機導兵』とドワーフ本隊を巻き込み、最高のタイミングで『七星極光陣』を使用出来たのだから。
また当然だが、先行させて来た時の為にカモフラージュした泥沼もちゃんとこの先に設置されていた。
戦場で地の利があるという事は、ここまで一方的に趨勢を傾け得るのだ。加えて優れた軍師と魔法開発者、挙国一致体制による人の利と、晴天という天の利まで揃っているエルフにエンジュ達が敵う道理は残されていなかった。
軍の前方に位置していたエンジュだけを『七星極光陣』が避けるはずもなく、阿鼻叫喚の坩堝の中で一閃された光線がエンジュの肩を貫いた。
「うぐあっ!!」
乗騎のロックリザードから転げ落ち、エンジュは骨を貫かれた極限の痛みの中で叫んだ。
「だ、誰か、あたしを助けろ!! 誰かっ!!」
いくらエンジュがそう叫んでも、周囲のドワーフ達がそれに応える事は無かった。彼らは彼らで自分の生命を長らえる事に必死であり、エンジュに構っている隙など無かったのである。
誰も自分の言葉に応えないと悟ったエンジュの瞳が暗く濁り、無意識に思考が声となって漏れた。
「……また、あたしは負ける、の……? なんで、なんであたしばっかり負けなきゃいけないのよ……私と兄貴の何が違うって言うの? どうしてあたしの時は上手くいかないの? どうしてよーーーッッ!!!」
火を噴くようなエンジュの絶叫に応える者はやはり居らず、エンジュは溢れ出る悔しさと涙をそのままに、這ってその場を離れ始めた。
こんな惨めなものは自分の戦いのはずがない、自分の戦争は色鮮やかな勝利で光り輝いているはずだとブツブツ呟きながら、エンジュは遂に戦闘を放棄したのだった。
次回、エンジュに更なる追い討ちがかかります。