10-106 溺れる者共6
『機導兵』が急造の泥沼に嵌っていく中、見せかけの軍から実働部隊が分離し、武器を手に『機導兵』を待ち構えた。
「まずは成功だが……そう長くは保たんだろうな」
「ああ、小賢しい事に、もう対応し始めてるぜ」
罠の成功に浮かれる事もなく、ゲオルグとバローは冷静に戦況を観察し兵を抑えていた。表面だけを薄く乾かして普通の地面のように見せかけた湿地帯だが、誘導部隊が本陣に逃げ込む為に密かに何本か橋が渡してあり、通れる場所があると理解した『機導兵』がその後をなぞって追い始めていた。
「ま、そのくらいは人間のガキでも気付くだろうが……まだまだ状況判断が甘いねえ」
それでもバローに余裕があるのは、その橋の強度を知るゆえだ。そもそもがエルフ2人程度を支えるくらいで十分なのだから、そこに一体でもエルフより重い『機導兵』が殺到すれば当然の如く、
バキャッ!!
という破砕音と共に、誘導部隊が渡り終えた背後で木橋は呆気なくその役目を終え、『機導兵』を呑み込んだ。もっと臨機応変な判断力があれば一斉に橋を渡るのは危険ではないかという予測を立てて然るべきであったが、『機導兵』は自身の損傷を厭わず、結果として自爆じみた行動にしか繋がらないのである。
ハリハリは完勝を約束した通り、徹底的に『機導兵』と、それを運用する者達の不備を突くつもりだ。ドワーフがアガレスでそうしたように……。
エンジュは完全に行動の機会を見失い、その場に立ち尽くしていた。次々と泥沼にはまり行動不能になっていく現状がよいはずがないが、周囲の誰もがエンジュと同じく思考停止に陥り、無難な策すら奏上する者は皆無だった。誰かがただ一言、「エンジュ様、ここは一旦『機導兵』を回収して退きましょう」と言うだけで被害は最小限に抑えられたのだが、彼らはまだ何の戦果も上げておらず、敗戦の報告だけを持ち帰るには彼らの精神は幼すぎた。あれだけの啖呵を切って出陣したからには勝利を、それも歴史に残るような大勝利を手にしなければとても帰れたものではない。
そして、その気持ちはエンジュが最も強いのは言うまでもない。彼女は独断で、しかも虚報を用いて勝手に軍と虎の子である『機導兵』の半数を動かしたのだ。このまま帰ってはザガリアスやドスカイオスに合わせる顔が無かった。
が、既にしてその思考が間違っているのである。エルフが『機導兵』に対する対抗手段を編み出しているという情報を持ち帰るだけでも情報戦の見地で言えば多少のマイナスで収まるものであり、今後も戦いを続けるのならば無益にはならない情報なのだ。この上は被害を最小限に留めつつ、安全に撤退する為にいち早く『機導兵』を回収し温存すべきであった。
現実的な思考と欲望の板挟みがドワーフの足を縫い止めている間にも、エルフ達は迅速に次の行動に移っていた。
「よし、総員準備!!」
泥沼が幾らか埋まり、『機導兵』が仲間の体を飛び石にして渡るのを見たバローは配下の探索者達に迎撃を準備させた。『機導兵』の対応力ならこのくらいはやるだろうとハリハリによって予測済みであり、兵に必要以上の緊張感は見られない。
バローが剣を抜き、高々と頭上に掲げられると、エルフ兵はその時を待ち構える。ボーラを振る音が轟く中、遂に最初の一体が泥沼を渡りきった。
それでもバローの剣は振り下ろされない。代わりに、バローの口から特定の者達に命令が発せられる。
「ゲオルグ、剣士隊を率いて迎撃!! 国軍のギルザードと協力しろ!! ヴェロニカは遊撃!!」
「おお!!」
「了解!」
バローが言い終わらない内にヴェロニカの鎖鞭が放たれ、火花を散らして空中の『機導兵』の剣を弾き飛ばした。巻き付けると重量差で引っ張られてしまうが、ヴェロニカの腕ならば体の一部分だけを狙う事が可能である。
剣を持たない『機導兵』では脅威は半減で、降りてきた所をゲオルグの鋭い突きが頭の核を捉えると、そのままガシャリと崩れ落ちた。
それを皮切りに、『機導兵』は仲間の体を橋頭堡とし、新たな渡河地点を作ってはエルフ兵を攻め立てた。最初は一体ずつだったものが数を増やし始めた時点でバローは投擲を開始させた。
「ボーラ放て!! オルレオン、『過重戦鎚』(グラビティハンマー)隊を率いて突撃!!」
バローが剣を振り下ろすと、前衛として戦う剣士達の頭上を越え、ボーラが唸りを上げて殺到した。数十にも及ぶ投擲具に、何体もの『機導兵』が絡め取られて動きを阻害される。
「待ちくたびれたぜえっ!!」
一瞬の停滞を無駄にせず、オルレオンは戦鎚を手に『機導兵』に躍り掛かると、思い切り『過重戦鎚』をもがく『機導兵』に振り下ろした。特に光沢が強いその個体は純魔銀製であろうと思われたが、悠がオルレオンに渡した特製の『過重戦鎚』は『機導兵』の頭を叩き潰し、胸部に達する勢いで無機質な生を終了させる。
他の者達はオルレオンほどの破壊力を生み出す事は出来なかったが、それでも鋼鉄製の『機導兵』であれば一度の打撃で半壊、更にもう一度打つ事で完全停止に追い込んだ。
「探索者に遅れを取るな!! ロメロ、ミルヒは戦場を観察して指示を出せ!! ルァァァアアアアアッ!!」
そこにギルザードの率いる国軍が加わり、バットスイングされた大剣が手近の『機導兵』をバラバラに吹き飛ばした。単純な破壊力であればギルザードがこの戦場で最も強く、また防御力や体力でも並び立つ者は存在しない。ギルザードはまさに『機導兵』の天敵であった。
単体で危なげなく戦えるギルザードに『機導兵』が多い場所を任せ、ナルハは借り受けた細剣で頭部の弱点に突き入れ、アルトとデメトリウスは遊撃を担って戦場を駆ける。
「……デメトリウスさん、僕らは離れて戦う方が効率がいいんじゃないでしょうか?」
「つれない事を言わないでおくれよ、アルトクン。キミの背中は私が守るさ。だから私の背中はキミに守って欲しいな?」
アルトのもっともな意見はデメトリウスの不必要に熱のこもった台詞によってあっさりと却下された。これがアルトと釣り合うほどの美女や美少女から発せられたものであれば、挿し絵付きで戦史物の一場面を飾り大いに盛り上がったのだろうが、黒骨の不死者から発せられたのではホラーか、さもなくばコメディだ。
「……デメトリウスさん、僕より強いじゃないですか……」
「とんでもない! 魔法の大半を封じられた私なんて、そこらのスケルトンと大差ない力しか……おっと!」
韜晦しつつ放たれたデメトリウスの拳が飛びかかって来た『機導兵』の頭にクリーンヒットし、内部の核を叩き潰すとアルトの目が半眼になった。
「か弱いスケルトンが鉄の塊を素手で壊せるとは思えませんが……」
「誤解だよアルトクン、ちょうど骨の固い部分に当たっただけさ。全く、『超魔甲殻』が無ければ骨折は免れない所だよ」
と、そこに2体の『機導兵』が襲いかかり、アルトが咄嗟に剣を抜いて一体を斬ると、デメトリウスは腕を持ち上げて『機導兵』の剣を受け止めた。キンという硬質な音が示すように、デメトリウスの骨には1ミリたりとも食い込んだ様子はない。思えば、悠に本気で殴られた時ですらほんの少しヒビが入っただけのデメトリウスに脆い部分などあろうはずがなかった。
それでも徒手格闘が不得手なのはその拙劣な動きを見れば一目瞭然であった。最初の打撃も大振りで如何にも素人臭く、今のデメトリウスはギルザードの下位互換と言えた。
ここで仏心を出してしまうのがアルトの良い所であり、悪い所なのだろう。
「……とりあえずは組んで動きましょう。あまり攻撃を受けて無駄に魔力を消耗しないように気を付けて下さいね」
「ハハッ、流石はアルトクンだ、惚れ直したよ!」
「いえ、そういうのは本っ当に結構ですから!」
何のかんの言いつつも、堅牢なデメトリウスとアルトのコンビは中々の戦果を上げつつ戦場をひた走るのだった。
「アリーシア様、お目覚めになられましたか?」
「……っ」
目を開いたアリーシアが声を出そうとして難儀しているのを察した恵は水差しをアリーシアの口に近付けた。中身は当然、恵特製の『龍水』である。
大人しく差し出されたそれを嚥下し、細く息を吐いてからアリーシアが再び口を開いた。
「……ケイ、お腹が空いたわ」
開口一番の台詞にしては些か情緒に欠いていたが、何日も固形食を取っていなかったのだから仕方がない。アリーシアの未だぼんやりとした頭に最初に浮かんだのは耐え難い空腹であった。
「ご用意してありますが、固いものはまだ食べられませんよ? 少しずつ慣らしていかないと……でも、食欲があるのは回復している証拠ですね」
「そう、残念ね」
「陛下っ!」
覚醒するまでお預けを食っていたサクハが耐えかねたようにアリーシアの枕元に顔を寄せ、目に涙を浮かべた。誰よりも近くでアリーシアの回復を待ち続けていたサクハの感動はひとしおであった。
「あなたは相変わらず喧しいわね、サクハ。でも、また生きてその声を聞けてホッとしたわ」
「へ、陛下こそ、よく、目を、お覚ましに……!」
感情が先走って声にならないサクハの肩を優しく掴み、恵が笑顔で食事を取り出した。こんな事もあろうかと、食事のストックは切らしていないのだ。
「今お体を起こしますね」
「大丈夫よ、そのくらいは身体強化を使えば自分で…………っ!?」
世話をされるばかりの状況に照れたのか、強がってみせるアリーシアの顔が驚愕に歪んだ。その後も何かを試している風なアリーシアに恵が疑問を感じて尋ねる。
「アリーシア様、どうなさいましたか?」
「……」
心なしか青ざめたアリーシアは、半ば無意識で震えながら、機械的に答えた。
「……魔法が……使え、ないわ……身体強化も、得意なはずの風魔法も、何も、発動しないの……」
半ば呆然と口では認めているアリーシアだったが、瞳の奥には深い絶望が渦巻いているように恵には思えたのだった。
アリーシア、魔法喪失。
ある日突然それまで完璧にこなせていた事が出来なくなるというのはさぞ怖いでしょうね。




