10-97 石鉄の大伽藍1
辛くも『無限蛇』を下した悠達だったが、大人達は満身創痍というのも生温いダメージを負っており、その足は鈍らざるを得なかった。ザガリアス、ラグドール、ミズラは自力での歩行は不可能で、ロックリザードは子供達の為に三匹明け渡さねばならないのだが、爆発の衝撃でブフレストとラブサンの乗っていたロックリザードが不調をきたしてしまったのである。いや、もしかしたら本来の乗り手を喪失したせいかもしれない。ともかく、何とか1人乗るのが精一杯の二匹を御せるラグドールとミズラがそれぞれ乗ると、未だに意識を取り戻していないザガリアスが乗るロックリザードは残されていなかった。もしザガリアスに意識があれば、助けた子供らを下ろして自分を乗せろとは絶対に言わないであろう。
ではどうしたのかと言うと……
「ユウ殿、少し休まれては如何か?」
「不要だ。ザガリアスの怪我は放置すれば命に関わる。一刻も早くグラン・ガランを目指さねばならん」
悠の肩には相変わらずぐったりとしたザガリアスが乗っていた。少しでも移動速度を上げる為に、悠が担いだまま移動を続けたのである。
ロックリザードの移動速度に生身で、しかもザガリアスを担いだ状態でついて行けるのが悠しか居なかったからだが、悠であっても無理に無理を重ねているのはラグドールでなくても痛いほどに理解出来ただろう。
滴る汗には血が滲み、体に負ったダメージは走行の衝撃で絶え間なくその心身を苛んでいるはずだ。比較的安定した走行を可能にするロックリザードに跨がったラグドールとミズラすら時折苦鳴が漏れるのを抑え切れないのだから、悠の苦痛は想像するに余りあるものであった。
そもそも、普段の悠であればザガリアスを担いで走ったとしても汗など掻きはしないし呼吸を乱したりもしない。流れる汗は疲労だけではなく、苦痛に起因している事は明白であった。
加えて大量に流し込まれた毒の影響もあろう。殆ど毒は効かないとはいえ、血液に毒が大量に混じるような状態では血液がその機能を十分に果たせないのだ。血中酸素濃度が低下した悠の顔色は病人の如く青白く、体は燃えるように熱かった。
爆発の影響で用意していた薬を破損し、ザガリアスに飲ませたのが最後であり、満足な治療など望むべくもない。
だが、悠は足を止めたりはしなかった。走行中に回復する僅かな竜気で自分の傷を最低限に回復させつつ、その殆どをザガリアスの生命維持に当てていたのである。
休んでも回復させられる限界を超えているザガリアスを、家と家族を失った子供達をグラン・ガランへと送り届ける為に、悠は走り続けた。
何度目かの忠告を退けられたラグドールは首を振り、一行の先頭に乗騎を進めると王都への街道をひた走り、時折見かけられるようになったドワーフ達を大声で退けさせた。
「火急である!! 第一王子ザガリアス様がお通りである……ゴホッ!!」
回復もおざなりなラグドールの喉の奥から鉄の味がせり上がるが、乱暴にそれを吐き捨てると、先に見える旅人や商人達に怒鳴り続けた。
鬼気迫るラグドールの様子にドワーフ達は驚いて道を譲り、一行は最速でグラン・ガランへと走り抜いたのである。
石と鉄の都、グラン・ガラン。
それは人間やエルフとは全く異なる様相を持った都市であった。山の麓に拓かれたこの町は地面が隆起して作られた山肌を切り崩し、そこに穴を掘って住居としたり、切り出した石を積んで家を作り上げているのである。住民のドワーフ達と同じく、堅牢さを全面に押し出した町であった。
山に食い込む造形から3方の守りは固く、開かれた正面も巨大な石壁を築いて外敵を排除していた。一国の防御力だけを見れば世界屈指の城塞として機能する、文字通りドワーフの最後の砦である。
その城門に向け、行列を割り進む一行の姿は城壁の上からでも非常によく目立った。
「……なんだあれは? 鎧も帯びていないようだが……」
「前線からの伝令じゃないか? 侵攻作戦は概ね上々だと聞いていたが……」
「それにしては様子が……いや、待て!!」
物見の兵士が目を凝らすと、一行の乗騎の一つに目を留めた。
「あれは……若様のネビュラ!? まさか、若様か!!」
「何だと!?」
「子供が何人か乗っているが間違い無い!! おい、下に伝えろ!! すぐにお通しするのだ!!」
「わ、分かった!」
情報伝達用の伝声管の口を開き、門番の兵士達に伝える頃には城門の前は大騒ぎになっていた。ザガリアスは国民にも顔が売れており、悠が担いでいるのがザガリアスだと周囲の者達もすぐに分かったからだ。
明らかに重体なザガリアスを前に浮き足立ったのも当然の反応であった。
ラグドールとミズラは交代で人払いをしつつここまで走り続けていたが、ようやく辿り着いたグラン・ガランを前に緊張の糸が切れたか。まずミズラがロックリザードの上から滑り落ちて意識を失い、無理が祟ったラグドールもその後を追うようにロックリザードから転げ落ちた。
力尽きた2人を皮切りに、長時間の移動で疲労し切った子供達もロックリザードの上で倒れ伏すと、最後に残されたのはザガリアスを担いだ悠だけとなった。
渦巻くのは好意など一欠片も無い、殺気である。
「貴様……若様を放さんか!!」
「卑怯者め、若様を盾にするつもりか!?」
「生きてここを逃れられると思うなよ!!」
重大な誤解を生んでいるのが分かっても、説得の術はどこにも存在しなかった。彼らは人族の言葉に耳を貸さないだろう。決死行を成し遂げた悠に対してあまりの仕打ちにただ語る事しか出来ないスフィーロが激怒する。
《こいつら……! ユウがどれほど苦労してここまで来たと……!!》
「やめろ、スフィーロ……説明する、時間がない。今は、何も喋るな……」
常になく息の荒い悠が小声で言うと、スフィーロは怒りに耐えて黙った。ここで妙な疑いをかけられては如何にも不味い。
殺気が充満する中で、悠は可能な限り周囲を刺激しないようゆっくりとザガリアスを下ろそうとしたが、それを隙と見た兵士の槍の柄が、背後から悠の足を叩いた。
「っ!」
それだけで悠の体がぐらりと傾ぎ、好機とばかりに他の兵士達が悠からザガリアスを奪い取る。回避も防御も出来なかった事が悠の消耗具合を示していた。
1人になった悠に容赦なく兵士達の武器が振るわれ、したたかに頭や体を打ちのめすのを見てもスフィーロは必死に声を抑え続けた。怪しい魔道具などと思われては悠はこの場で殺されるかもしれないからだ。
だが、それは正しいのだろうか? 悠が打たれる度、スフィーロの中で一つ、また一つと殺意は高まり、それを囃し立てる民衆に視界は真紅に染まるかのようだった。
(誰が……誰が貴様らの仲間を助けたと思っているのだ!? こいつは、ユウは、賞賛すべき事を成し遂げて来たのだぞ!! やめろ、笑うな!! 打つな!! 殺すぞクソ共がッ!!!)
今ほど自分の肉体が存在しない事をスフィーロが嘆いた事は無かった。悠の相棒だなどと声高に喧伝するような間柄では無いが、それでも魂を通わせた相手である。少なくとも、戦友という言葉に違和感は感じなかった。
それが理不尽な非難に晒されているという状況がスフィーロには我慢ならない。何としてでもこの場に顕現を果たし、不当に悠を貶める者達を皆殺しにすべしという激情が自身の殻を破ろうとしている事にも気付かぬほどに狂おしい怒りの中。
悠はただ一言だけ近くの兵士に言った。
「……早く……彼らの、治療を……」
恨みも、怒りも、悲嘆も恐怖も何も無い、一つだけの澄み切った瞳でただそれだけを。
ザルマンドが悲痛な鳴き声を上げる中で言い切ると――悠は切り倒された大木のように、ゆっくりと前のめりに倒れ伏した。
無理解は切ないですね……。




