10-95 這い回る悪夢10
「ユウッ!」
駆け寄るブフレストとラブサンに、悠はちらりと視線を送った。
「どうした?」
「隊長が見て欲しい物があるんだとよ! ここは俺達で引き受けるから見に行ってくれ!」
「詳しく話をしている暇はない、頼む!」
早口でまくし立てる2人に悠が迷ったのは一瞬にも満たない刹那の間であった。
「すぐ戻る」
スイッチの間隙を埋める為に『火竜ノ槍』を撃ち込んだ悠は踵を返し、2人の間を通り抜けざま、それぞれの肩を叩いた。
一言も交わさぬ交錯であったが、込められた力に2人は悠が自分達の覚悟を読み取ったのだと悟った。
満足に戦える状態でない事は悠のレベルなら一瞥しただけで読み取れただろう。包囲網は薄れ、鎧すら帯びていない傷病兵が2人ばかり居た所で悠の代わりなど務まるはずもないと。それを成そうとするのなら、懸けるものは命しかないという事も。
数多の戦友を見送ってきた悠にそれが分からないはずがなかった。
彼らが子供達のように守られるべき存在であれば、悠はその場を動かなかったかもしれない。
だが、彼らは兵士であった。それもただの兵士ではなく、自分の命の使い所を知る、兵であった。
説得も謝罪も侮辱でしかない。悠に出来るのは、彼らの思いを無駄にしない事だ。
言葉にせずとも、いや、むしろ言葉など無くてもそれは3人の中で過不足なく通じ合った。戦いを生業とする男達は戦場ですべき事を十分に理解し合っていたのだ。
託された者と任された者達の足が逆方向に力強く踏み出され、二度とは縮まらぬ距離を離していく。だが、その目に勇壮はあっても悲壮は浮かんではいなかった。
ザガリアスもまた、自らに並んだ2人が何をしようとしているのかを悟り、その全てを飲み込んで『魔導戦器』を振り下ろす。
「『烈火斧』!!」
その花道を飾るように宙を走った朱線が、悠の『火竜ノ槍』から復帰しつつあった『無限蛇』を大きく断ち切った。
「はは……ここまでお膳立てして貰っちゃ、やるっきゃねぇな、ラブ!」
「ああ!! 若様、我ら2人、お先に失礼致します!!」
「存分にやれいっ!! 貴様らの家族は俺に任せろ!!」
「「御意!!」」
命への執着も後顧の憂いも振り払い、ブフレストとラブサンは互いの武器を交差させ、高らかに叫んだ。
「「『炎神招来』!!!」」
『魔導戦器』から迸る炎がブフレストとラブサンの身を包み、絶対不可侵の火力となってその身を覆い尽くす。一度灯せば二度と消せぬ炎は彼らの最期の生命の輝きに満ちていた。
踏みしめる大地が赤熱し塵が灰に帰す。膨大な炎が酸素を食い尽くし、筆舌に尽くし難い激痛が苛む中で、2人の武器が『無限蛇』に振り下ろされた。
火属性最終特攻技『炎神招来』。何者をも燃やし尽くす火力を得る代わりに己自身を燃料として差し出す、一度使えば必ず死に至る自己犠牲技である。それによって得られる火力は千℃を超え、岩や鉄すら溶かしてしまう。
さしもの『無限蛇』も至近に生まれた膨大な熱量に表面が瞬時に溶解、胴から頭部までを大きく抉り取られた。
しかし――
「お、のれええええッッ!!!」
文字通り命を燃やし尽くして『炎神招来』を敢行したブフレストとラブサンであったが、それでも『無限蛇』の再生力を上回る事は出来なかった。体の四分の一ほどは激しい熱に晒され焼け爛れているが、全身を燃やし尽くすには明らかに火力が足りなかったのだ。
元々長く保つような技ではなく、2人の体を燃やし尽くせば『無限蛇』はまた何事も無かったかのように攻撃を再開するだろう。
(ユウ、何をしているのか知らんが急げ!! ブフレストを、ラブサンを無駄死にさせてくれるなっ!!)
残されたザガリアスは『炎神招来』に続かんと欲する激情を必死に堪え、命の炎を睨み続けた。
背後で何が起こったか悠はほぼ正確に察していたが、それによって感情を表に表したりはしなかった。その目はただひたすらに地面に書かれた文字を追い、静謐な瞳は古文書を解読する研究者の如くであった。
「……」
そんな悠がミズラには許し難い薄情者に映り、怒鳴りつけようと口を開く。
「よ、よくもまあ平然としていられるな貴様は!! ブフは、ラブはお前の為に命を……!」
「控えよ!!」
「父上!?」
ミズラを見もしない悠に怒りのボルテージを上げるミズラをラグドールが制する。
「ユウ殿の邪魔をしてはならん。今子供らを救えるのは彼だけなのだ」
「しかし、しかし!! せ、せめて悔やみの言葉くらい……!」
「……まだまだ未熟よな、ミズラ。お前には聞こえんのか、ユウ殿の慟哭が……」
「え?」
メキッ。
何かがひしゃげる音にミズラの視線が吸い寄せられる。音の発生源は、悠が地面に付いた左手からであった。
表情は先ほどまでとまるで変わらぬ悠の左手は固く拳を握り、押し付けた強さのあまり地面にめり込み血を流していた。溢れる血が束の間の泥土となり、地面を濡らす。
「涙を流して悔やむだけが悲しみでは無いのだ。泣いて悔やんでブフレストとラブサンの稼いだ時間を無駄にするより、その時間でやれる事を全力でやろうとする男の邪魔をするなら、たとえ血を分けた娘であろうと斬って捨てるぞ!!」
「っ!」
肩で息をする父の本気の剣幕に、ミズラは言葉を失ってうなだれた。真っ当な感情の発露は戦場では逆に非常識なのだ。
「……申し訳ありません……ミズラは、まだまだ未熟で御座いました……」
「分かれば良い……だが、今は耐えるのだ。それが彼らに報いる唯一の――」
「ラグドール、ミズラ」
ラグドールの言葉を遮り、悠が2人に声を掛けた。
「はっ!」
もはや悠への敬意を隠しもしないラグドールに慌てて倣い、ミズラも悠に向き直る。
「今すぐ、『魔導戦器』に込められる限りの魔力を込め、俺に託してくれ。説明している時間はない」
「それは……いえ、畏まりました」
「わ、分かった」
『魔導戦器』の特性を知るラグドールは悠にその真意を問おうとしかけたが、思い留まって魔力の操作に専念した。ミズラも同じく疑問を抱いたが、やはり父に倣って魔力を込め始める。
この『魔導戦器』という武器は、実は本人以外に使えないという安全装置が施されていた。敵に奪われても使えないように、本人専用にカスタマイズされているのである。だから、たとえ魔力を込めても悠には扱えない為無駄なのだ。
それでもラグドールが従ったのは、この局面で悠が無意味な事をするはずがないと信じたからであった。もしラグドールの命が必要だと悠が言うのなら、ラグドールはそれを差し出す覚悟があった。
「それとタイミングを合わせて――」
ラグドールに何事かを語り掛けていた悠だったが、ミズラは背後が暗くなってきた事に気取られ聞き逃してしまう。振り返れば、いよいよ『炎神招来』の効果が終わりかけ、『無限蛇』が再生力を強めていた。もはや一刻の猶予もない。
「終わりました!」
「わ、私も!」
「貰い受けるぞ」
悠が剣を仕舞い、両手に『魔導戦器』を握り走り出す。一陣の風となった悠がザガリアスに怒鳴った。
「ザガリアス、魔力を込めて『無限蛇』の頭に『魔導戦器』を埋め込め!」
「っ!? 任せろ、うおおおおおおおッ!!!」
悠に言われるまでもなく力を溜め続けていたザガリアスが全力で飛び上がり、再生を果たしつつあった『無限蛇』の頭部に力の限り得物を叩き込んだ。胴体が抉れていた為、頭の位置が下がっていたのがザガリアスにとって僥倖となる。
発声器官を持たない『無限蛇』は暴れる事でザガリアスを弾き、巨人の拳で殴られたかのようにザガリアスは地面に叩きつけられた。
「ガハッ!!」
しかし、ザガリアスに注意が向いていた隙を見計らい、悠が両手の武器を胴体とその5メートルほど下に深々と埋め込み、反転して『無限蛇』の背中を駆け上がり、ザガリアスの『魔導戦器』に飛び付いた。
途端に周囲の蛇身を解し、悠の武器を握る手に牙を突き立てる『無限蛇』。さしもの悠も踏ん張る足場すら無くては引き剥がす事は不可能だ。
数瞬後には挽き肉と化す未来しか見えない悠にミズラは思わず目を瞑ったが、それは悠という男の事を知らな過ぎた過剰反応であった。
神崎 悠は間違っても無意味な自殺行為に身を委ねる男ではないのだから。
「受け取れ、『火竜ノ重槍』!」
悠の持つ残り10%の竜気が全て変換され、『無限蛇』の体内で小型の太陽となって膨れ上がった。『火竜ノ槍』の倍はあろうかという直径を誇る炎の槍が、『無限蛇』の頭から胴体、下腹部に照準される。
それでも『無限蛇』の巨体の全てを包む事は叶わない。幾ばくかを残せば、『無限蛇』はやはり復活を果たすだろう。
だが、しかし、悠が狙っていたのは『火竜ノ重槍』による殲滅では無かった。
頭部、胴体、下腹部。その三点には今、限界まで魔力を充填した『魔導戦器』があった。高密度の魔力が蓄えられた、破裂寸前の魔力の塊が。悠の範囲を広げた魔法は、それらを狂いなく撃ち抜く為のものだったのだ。
結果は目も眩むような光と、耳をつんざく大爆発として現れた。
ドドドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!
殆ど一回にしか聞こえないほどの三連爆撃を視認出来た者は悠を含めて誰も居なかったが、そんな中でただ一人、耳に詰め物をしていて動く事を可能にした人物がいた。爆風で飛ばされながらも、必死に鞄を抱き締めていたラグドールだ。
閃光で目をやられていたが、何度も繰り返した手順はたとえ目を閉じていてもラグドールの手を誤らせはしなかった。
「き、どうせよ……!」
取り出した人形に、手探りで魔石を叩き込む。
「『機導兵ーーーッッッ』!!!」
ガチリと嵌り込む音を最後に、静寂が辺りを包む。
果たしてどうなったのか、ラグドールはきつく目を閉じたまま祖霊に祈った。
五秒経ち、十秒経ち、徐々に視力が戻ってきたラグドールが恐る恐る目を開けた先には――
「我々の……勝ち、だ……!」
体の大部分を吹き飛ばされ、再生しないまま横たわる無数の蛇の群れの姿であった。




