10-91 這い回る悪夢6
ジギル村は村と称される事からも分かるように、人口百人程度の小さな集落だ。ドワーフはエルフとの戦争による教訓として国内に細分化した村を――隠れ里と称するべき拠点と言うのが適当だろう――を多数持つ事で全滅に備えるようになった。町と言うべきものは殆ど無く、比較的近い範囲に幾つかの村を持ち、それぞれの村人達は特化された役割を果たし、頻繁に交流する事で生活圏を形成しているのだ。大雑把に表現するならば、一つの地域を纏めて町とでも表するべきか。
そんな中でジギルの果たす役割は他の村とは一線を画するものであった。彼らは敵に対する早期警戒網、つまりは物見の役割を受け持つ者達だったのだ。その為、村は比較的高い場所にあり他の村落からも遠く、見晴らしもいい。
また、軍事色の強い村である理由から村人は男性が多いが、既婚者が家族を連れて赴任している例もあった。それでも女子供を合わせても十数人でしかなかったが、一応村の体裁は整えられていたのである。駐屯軍と違うのは定住し、家庭を営んでいる者が居るからだ。
そんな彼らが異常を発見した時には、村は既に存亡の危機の真っ只中に追い詰められていた。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
暗い地下道を走るピコは背後の闇を振り返り、追っ手が居ない事を確認して額の汗を拭った。この道がバレる可能性は低いが、刷り込まれた恐怖がピコの足を先へ先へと駆り立てるのだ。
だが、あまり急ぐ事も出来ない事情が彼の背後と手の平の中に存在していた。
「おにいちゃ、はやい……っ」
「だ、大丈夫かペコ!?」
息を荒げる妹にピコの眦が下がる。背後を見れば、同じように疲れを見せる少年少女達の姿がピコの目に入った。
何故子供だけで地下道を急いでいるのかと言えば、彼らが優先して村から逃がされたからだ。物見の村と言うだけあって、ジギルには逃亡・伝達用の地下道が掘られていたのである。複数ある中の最も安全度が高い道は子供達の逃亡用に割り当てられ、最年長であるピコはその引率を任されたのである。
だが、最年長とはいえピコはまだ10歳の少年であり、その重責が細い肩にのし掛かり心が悲鳴を上げているようだった。もし一人なら、もし妹のペコが居なければ、ピコは誰に恥じる事もなく泣き叫んでいただろう。実際、他の子供達は皆一様に目に涙を浮かべていた。
「……分かった、少し休もう」
視野狭窄に陥っていた事に気付き、ピコは率先して腰を下ろした。もうじき外に出られるが、その前に休憩しておかなければ他の者達の体力が保たないだろう。休んでもいいと理解した子供達は崩れるようにその場に腰を下ろしていった。疲労と不安、そして恐怖が子供達の目や口から漏れるのをピコは羨ましく思うが、グッと歯を噛み締めてその誘惑に耐える。この場のリーダーである自分が折れればもう子供達は再び歩き出す事は出来ないだろうと、ジギル村の隊長を務める父を持つピコには分かっていたからだ。
(父さんと母さん、兄さんたちはにげられたのか? おれたちはにげきれるのか?)
休んでいても湧き上がってくるのはネガティブな思考ばかりでピコの胸を苛んだが、より大きな不安と恐怖を感じているであろうペコの視線に気付くと、ピコは無理矢理笑いかけた。
「大丈夫だよ、ペコ。父さんも兄さんたちもすごく強いんだ。グラン・ガランに行って帰ってくるころにはわるい魔物なんかみんなやっつけちゃってるさ!」
「もう会えないよ、お兄ちゃん」
突然表情の抜け落ちたペコの言葉に、ピコの背中に冷水が浴びせかけられた。だがペコは絶句するピコに構わず平坦に言葉を続けた。
「村の皆も全員食い尽くされた。『無限蛇』は一度狙いを定めた獲物を決して逃がさないから。父さんも母さんも兄さん達も生きてはいない――」
「ペコッ!!」
その先を聞きたくなくて、ピコはペコの言葉を自分の手を押し当てて遮った。
ペコが時折、年齢に見合わぬ言葉遣いで忘我のまま語るこの現象が何なのかピコには理解不能であったが、この状態のペコが語る言葉が外れた事は一度もなかった。まるで未来を見通すような遠い視線で淡々と運命を語るペコの目に光が戻ったのを見て、ピコは恐る恐る手を離す。
「……どうしたの、おにいちゃん?」
「な、なんでもないよ。なんでもないんだ……」
家族以外にこの事を知る者は居ない。ペコ自身も我を取り戻した時に自分が何を話したのかは覚えていない。
他の子供達も自分の事で精一杯で今ペコが喋った言葉は耳に届いていないだろう。だが、ピコはペコの言葉で自分の家族はペコ以外失われてしまった事を確信した。
妹に悪気が無いのは分かっていても、冷酷に告げられる真実がピコの目から一筋の涙となって感情の堰から溢れた。
ペコに、子供達に涙を見せない為に、ピコは妹の小さな頭を自分の胸に抱き寄せる。
(おれがしっかりしなきゃ……せめてここにいるみんなは、おれが……!)
悲壮な決意を胸に、ピコは先の見えない暗い地下道が自分達の置かれている状況そのもののように思え、もう一度ペコを強く抱き締めるのだった。
「……」
ジギル村が既に蹂躙されてしまっているのをザガリアスは痛恨の面持ちで見つめた。生存者を探そうという気配すらないのは、『無限蛇』に取りこぼしが無いと知る故だ。
それに、今やらなければならない事は他にある。
「……若様、王都方面の抜け道が後から塞がれております。生存者が居るとすればそちらかと」
「他の抜け道は?」
「使われた形跡がありません。おそらくは逃れた者達を追わせぬ為に……」
「そうか……」
ザガリアスは目を閉じ、短い黙祷を捧げると視線をぐるりと巡らせた。
「彼らの想い、決して無駄には出来ん。少ないとはいえ女子供も居た村だ。おそらく逃れたのはその者達であろう。抜け道の出口は把握しているか?」
ザガリアスとって、そして一定以上の年齢のドワーフにとって、我が身を盾に年少者を逃すのは既定路線の話だ。長く物見の任を務めてきた、昨今の風潮に染まっていないジギル村の男達ならきっとそうしたであろうという確信に近いものがザガリアスにはあった。
「距離自体はそう離れてはおりませんので、抜け道の構造と子供の足である事を加味すればギリギリ追い付けるかと。ですが……」
「多分、次は接敵する事になるな」
言い淀んだラグドールの台詞に悠が付け足すと、一行の顔に緊張が走った。
「泥や血の乾き具合からして自ずとそうなろう。が、だからと言って子供を見捨てる選択肢などありはせん」
「その通りだ。各員、安全装置を解除しろ。『魔導戦器』の使用を許可する」
「「「はっ!!!」」」
ザガリアスが命じるとそれぞれが自分の武器を両手で持ち直し、強く引いた後に柄を捻った。内部からガチリと金属の噛み合う音が鳴り、不具合がないか確かめて頷き合う。
これこそがドワーフがエルフの魔法と『魔法鎧』に対抗するべく作り出した武器である『魔導戦器』だ。その製法は秘中の秘とされ、エルフ達が幾つか戦場で回収した物は何故か作動せず、金属の組成すら解析不能であった為、ドワーフにしか使えないのだろうと考えられていたが実際には少々異なる……が、それを悠に懇切丁寧に説明はしなかったし、悠もまた尋ねなかった。その性能さえ分かっていれば差し当たって不都合は無いからだ。
「行くぞ!」
ザガリアスの号令の下、一行は近付く激戦の予感を肌で感じつつ抜け道の出口に向けて一気に駆け出すのだった。




