10-84 新たなる旅路7
悠の話は数時間に及んだ。掻い摘んで語るには密度の濃い話であり、初めて聞く者に理解に及ぶように語るには長い時間を要せざるを得なかったのである。
「俺の公的な目的はエースロットの死の真相を知り、遺品を回収し、出来る事ならエルフとドワーフの戦争を止める事だ。個人的には世界を巡り、その種の抱える問題を解決して業を改善し、この世界を悪しきに導こうとする存在を排除する。何故俺がそれを目指しているかはこれまでの話から分かって貰えると思う」
「「……」」
ザガリアスとドルガンは消化の悪い物を飲み込んだような表情で押し黙っていた。安易に理解を示せる話では無く、信じられるような話でも無いのだから当然である。
「俺を信じる信じないは別にして、俺が求めるのはそれだけだ。遺品に関してはただで返せとは言わん、可能な限りの金銭は支払って買い戻したい。エースロットとゴルドラン王の間に何かしら誤解があったのだとすれば、エルフとドワーフが争う理由も無くなるはずだ。……俺なりに筋を通して考えたつもりだが、返答や如何?」
悠に返答を促されてもザガリアスは無言で唸った。
悠の話は荒唐無稽という他にないが、語っているのが悠であるというのがザガリアスに今の話を真実だと悟らせた。『異邦人』で人族の英雄でアーヴェルカインの救世主など、他の誰が言っても妄言の類と一蹴しただろうが、悠は長い話の間も一度たりともザガリアスから目を逸らす事は無かったのだ。自分の行いに一片の迷いも後悔もない悠の態度にザガリアスは自分の方が目を合わせていられなくなったのである。
長い沈黙の後、ようやく口を開いたザガリアスの口調は苦かった。
「……ユウ、お前の話が真実だったとしても、俺はその要請に応える事は出来ん……」
先がありそうなザガリアスの言葉に、悠は黙って続く言葉を待った。
「『機導兵』が悪鬼がもたらした兵器だったとしても、これによってドワーフが救われた事は事実なのだ。この二百年、幾多の同朋が自分達の正義を信じ我が祖父の名誉の為に戦ってくれた……俺は王族の端くれとして、彼らの義に報いねばならん。たとえ『機導兵』を欠いても、俺は戦いを止められぬ!!」
ドワーフのエルフとの戦争は、詰まる所ザガリアスの祖父であるゴルドランの潔白を証明する為の戦いだ。ゴルドランの潔白を信じ命を散らしていった彼らに死後、何と言えば良いのかザガリアスには分からなかった。
それに、まだ戦勝の火種がザガリアスの中に燻っていたのだ。散々に辛酸を舐めさせられたエルフをようやく後一歩の所まで追い詰めたというのに、ここで軍を退くのは無念というにはあまりにも大きかった。
「それに、俺はあくまで前線指揮官に過ぎず、勝手な判断で撤退する事は出来ん。王命があれば即座にエルフィンシードに攻め込むだけだ……」
口調の弱さは迷いの証拠だろうが、実際にザガリアスに戦う前に撤退を選択する権限は無かった。その決定を下せるのは王であるドスカイオスだけなのである。
《その肩から上に付いているのは飾りか? 真に正しきを知るならば即刻戦をやめるべきだというのは自明の理ではないか》
「スフィーロ、みなまで言うな」
スフィーロのペンダントを握り、悠はザガリアスに頷いた。
「たとえ真実であろうとも、ドワーフが口先だけで止まるとは思っておらんよ。……ザガリアス、グラン・ガランに入国する許可をくれ。王命でなければならんのなら、俺は直接ドスカイオス王に談判する」
「父上に? ……確かにそれが一番早かろうが、父上こそドワーフの中のドワーフ、言葉だけでは動かんぞ?」
「分かっている、だからこうする」
ザガリアスに見えるように悠は右手を掲げると、人差し指と親指でアルファベットのエルの字を作り、それを自分の首に押し当てて宣誓した。
「ザガリアス王子に『一念祈闘』の仲介を願う。相手に望むはグラン・ガラン王ドスカイオス」
悠の宣誓にザガリアスとドルガンの目が驚きに見開かれた。
『一念祈闘』は己の願いを聞き届けて貰う為にドワーフが行うもので、要するに指定した相手と決闘し勝てば願いを聞き入れて貰うという、如何にもドワーフらしい儀式である。
だが、それがただの手合わせ程度で済む話ならザガリアスやドルガンは驚きはしなかっただろう。
「馬鹿な……アレがどういうものか分かって言っているのか!?」
「若の言う通りです!! 聞きかじった程度ならばおやめなさい!!」
2人が止めるのは『一念祈闘』がどういうものか知っているからだ。
この『一念祈闘』は挑戦者に非常に厳しい制約が課せられるのが肝である。まず、挑戦者は武器防具を一切装備してはならない。また魔法、魔道具の使用も認められず、使っていいのは自分の五体のみである。
更に請願の対象を殺してはならないという縛りがあり、もし相手を殺してしまえばたとえ勝っても立会人に処刑される。
まだ付け加えるなら、対象者は当然完全武装が認められ請願者を殺しても構わないという、どこまでも有利な仕様になっていた。
ドワーフ最強と名高いドスカイオスとそんな条件で戦うなど、ドラゴンと素手で殴り合うのとなんら変わりのない自殺行為である。
だが、悠は全て承知の上で頷いた。
これこそがアスタロットが悠に示した奥の手であり、エースロットでは使えなかった手段なのである。
ただ、この決闘を承諾するか否かもその相手に委ねられており、あまり無茶な請願を行っても了承される事はない。勝ったら王になりたいと人間である悠が願っても受け入れられないのである。言ってみれば、超ハイリスクミドルリターンとでも評するべきだが、この決闘にはそれ以外の意図も込められていた。
「冗談や酔狂で切首の印を結んだりはせん。ドワーフの信を得たいなら、天秤の片方に俺の命を乗せねばなるまいよ」
悠のハンドサインは首を賭けるというジェスチャーだ。ドワーフですら軽々にこの印を結ぶ事はない、非常に重い意味を持つ意志表示である。
「……」
ザガリアスは悠の覚悟を前に説得の言葉を失っていた。ドワーフが言葉だけでは動かないように、悠もまた表面的な言葉で行動を変えたりしないであろう。たとえ何が立ち塞がろうとも、この男は有言実行を果たそうとするに違いない。
眉間に深い皺を刻んでいたザガリアスだったが、絶対に退かないと決めている者を退かせる方法はザガリアスの頭の中には一つしかなかった。……即ち、殺す事だ。
だが、今より遥かに命の危険がある状況を望んでいる男をここで殺して何が残るというのだろうか? 自分を信じて全てを話し判断を委ねてくれた悠の行動を阻害する確たる理由を、ザガリアスは遂に見つけられなかった。
――重過ぎる沈黙の時間が過ぎ、ザガリアスは折れた。
「……爺、俺は決めたぞ。俺はグラン・ガランにユウを連れて行く事にする。判断は父上に任せよう」
悩んだ末、ザガリアスは自分の心に従う事に決めた。力戦空しく敗れ去った時に、せめて介錯くらいはしてやりたいと思ったからだ。
「若……若がそうお決めになったのなら儂がこれ以上引き留めてもどうにもなりますまい。ですがユウ殿、一つだけ助言を。勝てぬと思いましたら潔く許しを乞いなさい。もしかしたら命だけは助かるかもしれません」
ドルガンはまず確実に悠が敗北すると見て思わず口を出していた。ドワーフの英雄ドスカイオスが全力で素手の人族と戦って負けるなど、天地がひっくり返っても有り得ないからだ。『一念祈闘』で請願者を殺すかどうかはその対象者が決める事であり、必ず殺されるとは限らない。
ただ、それは可能性が0ではないというだけの慰めに過ぎない事もドルガンは知っていた。この決闘を望む者はそれこそ命懸けでこの決闘に臨んでおり、それを受けた相手も本気で迎え撃つのが通例である。死亡率は実に90%を超え、残り10%も身体に重大な欠損を負う者が殆どだ。ザガリアスやドルガンほどドワーフの流儀に染まっている者ですら『一念祈闘』と聞けば思わず息を呑まざるを得ないのは、そういう巨大な死の予感を孕んでいるからに他ならないのである。
「ご配慮に感謝を。それで、いつ発つ?」
「明朝だ。爺、床の準備をしてくれ。せめて今晩くらいはゆっくり休むが良かろう」
ザガリアスの言葉で、長い夜はようやく終わりを見る事となった。
悠がこれまでに手に入れた装備も、魔法も、道具も全て封じられての戦いになります。レイラの庇護すら薄く、相手は世界五強の一角。不利とかいうレベルじゃありませんね。




