10-83 新たなる旅路6
(なるほど、戦場を預かる将ともなれば一角の人物が居るようだ)
前を歩くザガリアスに対し、悠もまた敬意を払うに足る相手だと判断した。背中を向けているからといって油断している訳でも無く、全方位に気を配っている気配があり、下手に動けば即座に反撃を繰り出してくるだろう。エンジュのように相手が一人だからと油断するような愚かさとは無縁のようだ。
ふと、悠はザガリアスが『機導兵』を必ずしも快く思ってはいないのではないかと感じた。ザガリアスのように戦場でも精神性を失わない男は、出来る事なら自分の手でドワーフに勝利をもたらしたいと考えるものである。何かに頼ってそれを自分の功にしようなどと企む小人物とはとても思えなかったのだ。
この時点で悠の推測は完全に的を射ていた。ザガリアスは『機導兵』が有効な兵器だと認めてはいても、それに頼らなければならない現状に忸怩たる思いを抱えていたのである。若いドワーフ達のようにただ勝ったからと浮かれるには程遠い気分なのだった。
悠とザガリアスは武人として精神的な波長が合うせいか、互いの本質をある程度理解していた。これがエルフとドワーフの相互理解にまで繋がればそれに越した事は無いのだが……。
「掛けられよ」
簡素な椅子を勧められた悠は一礼してザガリアスと向かい合った。ドワーフとしては非常に巨躯で威厳のあるザガリアスと歴戦の勇将である悠が対峙していると、これから始まるのは話し合いでは無く殺し合いの方が相応しいように思われたが、両者の瞳だけはその容貌とは裏腹の静けさを湛えていた。
「若、ただいま戻りました」
「うむ、入れ」
そこに指示を終えたドルガンが戻り、悠の姿を目に止めると腰を折った。
「人族の客人を迎えるのは久方ぶりですな。儂はドルガン・バグワイズと申します」
「悠です」
短く挨拶を交わすと、ドルガンはザガリアスに目で小さく頷いた。奇襲に対する備えと『機導兵』の配置が完了したという事だと2人は声に出さずに確認しあった。
「……さて、今から色々尋ねさせて貰うが、出来れば正直に答えて頂きたい。ご存じかと思うが、我々ドワーフは嘘が嫌いだ」
「一言一句、嘘偽り無くお話しする事を誓います」
警告は脅しなどではなく、悠の言葉次第では無事に帰れぬという宣言であったが、悠は表情を変えずに首肯した。ドワーフを説得するのに虚言を用いれば、今は騙せても後々大きな亀裂を生じる事になるからだ。
「貴殿の言を信じよう……ああ、ここからは普段の言葉で通させて貰おうか。誠意は必要だが、互いの心を推し量るのに美辞麗句は鬱陶しい。お前もそれが普段の口調ではあるまい?」
「殿下がそうお望みなら自分に異論は御座いません」
「結構、敬称も要らぬぞ。ドルガン、酒を用意してくれ」
「畏まりました」
ドルガンは2人の短いやり取りで、ザガリアスがこの人族の事を気に入ったのだと悟った。ドワーフが気に入らない相手に酒を勧める事は決してないと知るからである。
「俺は父上ほどでは無いが、物事を迂遠に尋ねるのをあまり好まんので単刀直入に聞こう。人族はいつからエルフと組んだのだ?」
「人族が手を組んだ訳では無い。俺とその仲間が個人的にエルフと交流を持ち、此度の軍の半壊を受けて助力をしているに過ぎん。もっとも、将来的には人族が交流を持つ事になる可能性は低くは無いが……」
悠は自分達がエルフィンシードで活動する事になった経緯を語り、試練を受けて今の地位にある事を明かした。
「何の為にだ? エルフに恩を売ってお前は何を得る? 見目麗しい女子か、それとも優れた魔法技術か?」
エルフが持っていて人間が欲しがる物と言えばその2つが筆頭であろうと尋ねるザガリアスに対し、悠の答えは全く簡素な一言であった。
「平和を」
悠の即答にザガリアスの杯を持つ手が止まる。
「……平、和? エルフを救うのが平和に繋がるだと!?」
逆説的に自分達に非があると言われていると感じたザガリアスが怒りの気配を見せるが、悠は冷静に言葉を続けた。
「無論、両種族の確執を知らぬ訳では無い。互いの王を相討った事がエルフとドワーフの間に暗い陰を落としている事も知っている。誤解しないで貰いたいが、俺はエルフが正義でドワーフが悪などというエルフ側の一方的な主張を信じてはおらん。が、少なくともエースロットという男がその場の感情に任せて交渉相手の王を手に掛ける慮外者とは到底思えんのだ。それは当時のドワーフ達の行動が裏付けているはずだ」
その指摘にザガリアスは隣に控えるドルガンに目で問い掛け、ドルガンは頷いた。
「……確かに、あの時エースロットはエルフの身でありながら単身グラン・ガランに現れドワーフを驚嘆させました。今ほど関係が悪くなかったとはいえ、エルフとドワーフの仲は決して良好ではありませんでしたからな。儂もまだ若僧でしたが、その勇気には流石敵国なれど王は違うと感じ入るものが御座いました」
ですが、とドルガンは目つきを険しくして続けた。
「それこそがエルフの狡猾さだったのでしょう。エースロットめの立ち振る舞いはドワーフ達の目に適い、遂にはゴルドラン様と2人きりで会われるほどになりましたが、エースロットはその時まで隠していた牙を晒け出しゴルドラン様に襲い掛かったのです! ……しかし、そこはドワーフ最強たるゴルドラン様、致命傷を負いながらもエースロットめを退けたばかりか、その首を返してやれという慈悲深い遺言を残して亡くなりました。誠に惜しい方を亡くしたもので御座います……今少し早く駆け付ける事が出来ればと、未だに身を焦がす夜も御座いますよ」
「爺は、ドルガンはエースロットの首をエルフィンシードに返還に行ったほどこの件に関わりが深い。爺以上に当時の事情に詳しいのは……そうだな、父上くらいだ」
目尻に光る物を滲ませるドルガンに代わりザガリアスが付け加えると、悠は頷いて口を開いた。
「ドルガン老は真実を語っているのだと思うが、俺もまたエルフの信頼出来る筋からエースロットの事を聞いている。だからこそ真実を解き明かしたいのだ。……俺がこの場に参上した大きな理由の一つはエースロットの死の真相を知る事なのでな」
杯を一息に干した悠をじっと睨み、酒瓶を掴んだザガリアスは新たな酒を注ぎながら悠に問い掛けた。
「ならば、エルフィンシードの『火将』の肩書きは不要ではないか。それがあるがゆえに、我らはお前がエルフに肩入れしているのだと疑わざるを得んぞ」
「本来なら俺は先にグラン・ガランを訪れるつもりだった。だが、以前友誼を深めたナターリア姫に母を助けてくれと言われれば無碍には出来ん。アリーシア女王がここ最近ドワーフへの侵攻を控えていたのは俺の話の内容を考慮しての事。その約束を守っていた相手を見捨てて義理を欠くのは俺の流儀ではないのでな。肩書きはエルフの国内で活動する為に必要だったから受けたまで、この戦争が終われば返上するし、それをドワーフに隠しておくのは嘘を嫌うドワーフに対し不誠実であると思ったからだ」
悠の語る言葉が腑に落ちず、ザガリアスは首を傾げた。
「馬鹿な、あの傲岸不遜なアリーシアが人族の言葉に耳を貸すはずがない!」
「つまり、貸すに足る内容だったという事だ」
なみなみと注がれた酒をまたも一息で干し、悠はザガリアスとドルガンを見据えて口を開いた。
「一つドワーフ以外が知らぬはずの事を言い当ててみせよう。……あの『機導兵』とやらはドワーフの技術ではあるまい。それをもたらしたのは女、それもローブを纏った種族すら定かならぬ女だったのではないか? そしてその女は技術供与に対し、何の見返りも求めなかったのではないか?」
「「っ!!」」
ドワーフのほんの一握りしか知らぬはずの極秘情報をズバリ言い当てられたザガリアスとドルガンの反応だけで悠には十分だった。
「何故俺がそれを知るか、何故アリーシア女王がドワーフの侵攻を思い留まったか、それを理解して貰うにはしばらく俺の一人語りに付き合って貰わねばならん。エルフとドワーフだけではない、このアーヴェルカインのみならず、外の世界すら巻き込んだ長い話になる……俺の話を聞く気はあるか?」
「「……」」
悠の話に動揺を表したザガリアスとドルガンだったが、2人は顔を見合わせると悠に向かって頷いて見せた。ローブの女、ミザリィが他にも手を伸ばしているのではないかというのはドルガンの予測の範疇でもあったのだ。
「……良かろう、お前が他者を空言で言いくるめる類の人物では無いと信じて伺おうではないか。……だがな」
天幕の外で見張っていた兵士達まで何事かと思うほどの殺気をザガリアスが発し、悠の肌を叩いた。力強く鋭い殺気は近くに居るだけで物理的に肌を裂くかのような圧力だ。
「もし我らを謀るつもりだと感じたら了解など取らずその首を叩き落とすぞ!!」
ザガリアスの目はこの上なく真剣で、この話に脚色や虚飾を許さぬと告げていた。たとえ好感を抱いていた相手でも、ドワーフの悲願の為ならばザガリアスは斬る事に躊躇いは無いのである。
言葉の選択を誤れば即座に戦闘になると理解し、悠は深く頷いた。
割と話が分かってくれそうなザガリアスですら命を天秤に乗せた交渉になりそうです。簡単に説得されてくれそうには思えませんが……。




