10-69 王子二人3
ブルームハルトからエースロットの御世へと移ると多少の混乱はあったものの、大賢者として名声を確かにしていたハリーティア・ハリベルと苛烈な王妃アリーシア・ローゼンマイヤーの両壁は強固にエースロットを支え、やがて子を成すと王家の権威は盤石となった。歴代最強の首脳陣が形成され、『幽霊部隊』による粛清機構も備えたエースロットの統治は先王ブルームハルトよりも長く平和をもたらすと民衆は信じていた。
「さてと……」
執務が一段落するとエースロットが一つ伸びをし、立ち上がって外出用の外套を手に取るとハリーティアは呆れたように肩を竦めた。
「またアスタの所ですか?」
「構わないだろう? 今日はもう仕事は無いし、前に兄上の所に行ったのは一月近くも前の話だよ」
「あまり頻繁だとシアに妾でも囲っているのかと勘ぐられますよ? ただでさえ王家にすり寄ってくる貴族は多いのですから」
強大な力を有する王家に取り入ろうとする者達はハリーティアの悩みの種であった。時には強引な手段を用いる者もそうだが、アリーシアがそれを知ると恐ろしく不機嫌になるのである。気にしていないと口では言うが、目が笑っていないアリーシアを宥めるのも貴族の勧誘を断るのも全てハリーティアの役目なのだから、エースロットには余計な噂が立つ真似は控えて欲しいのである。
だが、エースロットは輝くような笑顔で言い返した。
「私の異性への愛情はシアだけで十分に満たされているよ。それは昨日の夜に本人の口から何度も――」
「入るわよ!!」
ドアを蹴破らんかという勢いで飛び込んだアリーシアは赤い顔でエースロットを睨んだが、エースロットは完璧な笑顔でその視線を撃退した。
「やあシア。今日も元気だね?」
「~~~っ!」
エースロットのぶ厚い笑顔の防壁を突破出来ないと悟ったアリーシアは隣で居心地悪そうにしているハリーティアに怒鳴った。
「ハリー! ナターリアに魔法を教える時間でしょ!? いつまで待たせるのよ!!」
「え!? まだ時間は……いえ、何でもナイデス……」
照れ隠しにしては強過ぎるアリーシアの視線に早々に抵抗を諦めたハリーティア粛々と頷いた。ここでどんな返答をしてもアリーシアの感情に火をつけるだけだ。
「済まないねハリー、私は使う方は得意なんだけど、教えるのが下手で……アリーシアはちょっと厳し過ぎるし」
魔法の名手であるからといって、教える方も上手いとは限らないという典型であるエースロットであった。
「流石2人の子供だけあって姫は筋がいいですよ。そんなに詰め込まなくてもちゃんと一流の魔法使いになります」
「ハリーが教えてくれるのならきっとナターリアは良い魔法使いになるさ。アリーシア、あまり気を張り過ぎないようにね。愛しているよ」
アリーシアが何かを言う前にエースロットは不意打ちで唇を重ねると、硬直するアリーシアに手を振って部屋から出て行った。エルフィンシード広しと言えど、こうまでアリーシアを華麗に捌けるのはエースロットだけである。
照れ隠しのとばっちりを受ける前にハリーティアはそそくさと魔法で身を隠し、ナターリアの下へと逃れるのだった。
「……」
アスタロットの記した本に没頭するエースロットを見ていると、アスタロットの脳裏にブルームハルトの言葉が蘇る。
(過ぎた優しさが身を滅ぼす、か……)
ブルームハルトは死の間際までエースロットの性格を案じていた。エースロットは国王を務めるには優し過ぎると。
しかし、アスタロットはブルームハルトほど国王としてのエースロットに不安を感じてはいなかった。
(エースが非情な決断を下せなくても、ハリーとアリーシアが居る。ハリーも性格的にはエースロット寄りだが、禍根を残すほど愚かではあるまい。アリーシアはアリーシアでエースに敵対する者に容赦はせん。……エースロットはこの国の太陽であればいい。凍てつく月の側面を周りの者が補う限り、エースの治世に揺るぎは無い)
頭では理解しているアスタロットだったが、確信めいたブルームハルトの言葉が今も頭を離れず、その不安がアスタロットに口を開かせた。
「……なあエース、何か問題は起こっていないか?」
「え? ……どうしたんですか兄上、国の事など今まで全く興味を示さなかったというのに?」
アスタロットが政治に口を出す事などほぼ皆無であったので、エースロットは思わず本から顔を上げてアスタロットに問い返した。
「こら、これでもワガハイは王兄だぞ? たまには気にもするというものだ」
嘘である。エースロットの事は心配していても、国という大きな括りにはアスタロットは殆ど興味は無かったが、その両者が密接に結びついているから曖昧に尋ねただけだ。そんな心中も知らず、エースロットは一言詫びてから答えた。
「そうですね、申し訳ありません……ですが、特に大きな問題はありませんよ。アガレス平原で資源や狩りでドワーフと多少小競り合いになる事はあるようですが、本格的な戦争に発展する事は無いでしょう。いざとなったら私が直接話を付けますよ。兄上のお陰でドワーフについてはこの国で2番目に詳しいつもりですから」
「確かにドワーフはエルフィンシードで語られるほど野蛮な種族では無いが、武勇を尊ぶ種族である事もまた事実だ。エルフとは考え方が違う。あまり安易に距離を詰めるべきでは無いと思うがな……」
「ご忠告は有り難く頂戴します」
エースロットを心配するあまり過保護な発言が過ぎるかと思えたアスタロットの言葉にもエースロットはにこやかに頭を下げた。
根拠の薄弱な忠告である事にアスタロット自身が気付いており強く言えなかったが、ドワーフの事を最も詳しく知るアスタロットは同じ知識を持つエースロットが危険視していないなら大事には至らないだろうと頷いた。
「そうか……」
「むしろそういう時の為に私は知識を深めておかなければなりません。ですからここに来るのも立派な公務の内です……なんてね」
「やれやれ、あまり頻繁だと新しい女でも出来たかと勘ぐられるぞ?」
「ご心配無く、私の愛は全てアリーシアに捧げられています。……ですが、どうして皆そう心配するのでしょうか? ハリーも同じ心配をしていましたが、私はそんな浮気性に見えますか?」
真面目くさった顔で自分の頬を擦るエースロットにアスタロットは笑った。
「顔の造作の問題ならワガハイにも同じ嫌疑がかかるだろうが。博愛主義のお前なら頼み込まれれば嫌とは言えんと思っているのだよ」
「ひ、酷いですよ、それでは博愛主義では無く女誑しです……」
心外そうに眦を下げたエースロットだったが、アスタロットは鼻を鳴らした。
「王なら多少は許されよう。あの下町の女など、最初は意地を張って邪険にしていたが、今では露骨にお前に色目を使っていたではないか。レインとか言ったか?」
エースロットが一人で外出する時、大抵はアスタロットの所へ行くと言って出るのだが、その内の何割かはこっそり街へ行く時間に当てていた。アスタロットもお目付け役として付いて行く事があったのだが、よりによってそんな時にエースロットの目の届く場所で半裸の女に無体な真似をする暴漢に出くわしたのだ。暴漢を追い払い半裸の女・レインを保護したまではいいが、正体を隠す為のローブを脱いでレインに掛けた時はこいつは馬鹿かと思わざるを得なかった。その後、正体がバレた事で開き直り何度も訪ねて来るエースロットに最初は警戒を解かなかったレインだったが、エースロットに全く裏が無いと悟ってからは完全にただの女の目になっていた。要するに惚れたのだろう。
「……レインさんは感謝の気持ちを混同しているだけですよ。それにつけ込んで手を出すなど、彼女が嫌っていた男達の変種のようではありませんか」
「施されるだけでは心苦しいという想いだけで肌を許すほど弱い女でもなかろう。万一その気になったら遠慮せんでいいぞ。子が出来てもワガハイの子という事にしておけばいい。我らは双子、見分けなどつかんのだからな」
「現状の改革を手助けしてくれているだけで私は十分です。というか……兄上は私を浮気者にしたいのかしたくないのか、どちらなのですか?」
呆れた口調で漏らすエースロットにアスタロットはもう一度笑った。
「世間では兄が弟に悪い遊びを教えるのが一般的らしいぞ?」
「兄上の悪趣味は十分存じていますから結構ですよ」
「全く、それについては生まれてこの方歩み寄りが無いな。世には退廃の美というものがあるのだとそろそろ認めてもいい頃合いだと思うのだが……」
「若輩者の私にはその境地に至るまでまだ数百年はかかりそうですね」
さらりとかわすエースロットにアスタロットは軽く肩を竦めたが、この善良で生真面目な弟が幾らかでも気休めになればいいと願っていた。浮気をして欲しい訳では無いとはいえ、アリーシアのように烈しい女相手では気疲れする事もあろうかと勧めてみたのだが、余計なお世話だったようだ。慣れない事はする物では無いなと内心で自嘲するばかりだ。
ただ、やはり父の言葉は重かった。エースロットは困っている者を見て見ぬ振りなど出来ないし、背負わなくてもいい苦労を自ら買って出ているようにアスタロットには見えるのだ。国内の改革などという摩擦を生みそうな案件は補佐をするハリーティアにその意志を伝え、行動を促せばいいのに、自ら動く危険を冒している。……そんなエースロットだからこそ勝ち取れる信頼があるのだろうが……。
再び本に没頭し始めたエースロットに、アスタロットは存在しなかったはずの不安の萌芽を感じていたのだった。
レインと初めて会った時はアスタロットも居ました。特に魔法が得意でも無いので戦うのはエースだけでしたが(笑)




