10-67 王子二人1
数百年前、エルフィンシードに双子の王子が誕生した。
当時の王であったブルームハルトは子を成せないまま高齢に至っており、いきなり2人の王子を得た事で狂喜乱舞したが、生母は双子の出産が体に堪えたのか、数年後にはこの世を去った。
2人の王子は王の庇護の下ですくすくと成長し、それぞれ異なる方面に才能を開花させる。
兄アスタロットは頭脳に。そして弟エースロットは魔法にと。
肉体には寸分の差異も無い2人だったが、成人する前にアスタロットは自分に弟ほどの魔法的才能が無い事を悟ると、あっさりと王位を弟に譲る事を父に告げた。エルフが何よりも重視するのは魔法であり、とりわけ王ともなれば国の中でもトップクラスの実力が無ければならないのだ。自分では臣下は付いて来ないというアスタロットの言葉に、ブルームハルトはその言葉を受け入れた。既にエースロットには将来的に補佐を務める事になるであろう魔法開発分野の若き俊英、ハリベル男爵家の長男が無二の親友として側にあり、他の追随を許さない優秀さを示していたからだ。
王としては兄という立場にあるアスタロットが権力欲を出さず身を引いてくれた事に胸を撫で下ろしたブルームハルトだったが親としては子煩悩であり、可能な限りアスタロットの望む物を与え続けた。
体よくエースロットに王位継承権を押し付けたアスタロットは多分野に興味を示し、時には国益に適う品を献上する事で研究者として名を成すに至ったのである。
首都から離れた場所に自分の住居兼研究所を手に入れたアスタロットはやりたい事をやって自由に暮らすという、悠々自適な生活を手に入れたのだった。
そんなアスタロットの住居にエースロットは多忙な中、合間を縫っては足を運んでいた。
「兄上、たまには外に出ては如何ですか? 研究ばかりでは息が詰まるでしょう?」
「逆だよエース。ワガハイは研究していないと息が詰まるのだ。お前ももうじき王になるのだから、今の内に婚約者のご機嫌でもとっておけ。女は放って置くとすぐにへそを曲げるぞ?」
「シアはそんなに狭量ではありませんよ。それに、私が忙しい時はハリーがシアの相手をしてくれています」
「だからアイツは生傷が絶えんのだな」
含み笑いを漏らすアスタロットにエースロットは眦を下げて頭を掻いた。
「シアはちょくちょくハリーに魔法開発を依頼しているみたいで……この分だと正式に結婚する前に『風将』の地位に至ってもおかしくありません」
「愛されているな?」
揶揄するアスタロットにエースロットは無言で両手を上げた。
アリーシアの生家は高位貴族という訳ではなく、婚約に懐疑的な貴族も少なくない。そんなアリーシアが他の候補者を黙らせたのはひとえにその実力ゆえである。
幼少の頃より惹かれ合っていたエースロットとアリーシアは、同じく幼なじみであるハリーティアの助力もあり、生来の魔法能力を見事に開花させた。エースロットは戴冠前でありながら既に父であるブルームハルト王を凌ぐのではないかと専らの評判であり、アリーシアも類稀なる風属性魔法への適性から、エースロットに比肩する超一流の魔法使いとして将来『風将』の地位を継ぐだろうと確実視されていたのだ。歴代でも稀に見る、王と王妃が魔法使いの番付のナンバー1とナンバー2を占めるであろうという事実は繁栄を願う者達から明るい未来予想図として歓迎されていた。
「兄上こそ好いた女性は居ないのですか?」
「生身の女は煩い。ワガハイのやる事に文句を言わん女なら誰でもいいが、エルフの女は気位が高い割りにちょっと厳しい事を言うとすぐに泣くからな。かと言ってアリーシアのように苛烈に反撃して来る相手も願い下げだ」
「そういうやり取りも含めて絆を育むものですよ」
拒絶するアスタロットにエースロットは懐柔を試みたものの、アスタロットが首を縦に振る事はなかった。
別にアスタロットも心の底から女嫌いな訳では無いが、自分の趣味と天秤にかけて女を取るほど入れ込んでいないのも事実だったし、エースロットに語らない事情もある。
アスタロットがどう言おうとも、彼自身はエルフィンシードの第一王子である。王位継承権第一位をエースロットに譲ったとしても、それに次ぐ位置にあるのは間違い無いのだ。そんな彼がエースロットの子が出来る前にどこかの女性と子を成すのは王室の未来に影を落とす可能性があり、父からも今しばらく忍耐して欲しいとそれとなく伝えられていた。
だが、わざわざ言われなくてもその程度はアスタロットは弁えており、弟の将来に禍根を残す愚を犯す浅慮とは無縁であった。他人には斟酌しない所のあるアスタロットであったが、父と弟に対しては最大限の配慮を欠かさなかったのである。……家族想いな分、他者にはあまり気を回さないのが難点でもあったが。
「ほれ、そんなどうでもいい御機嫌伺いをしにここまで来た訳ではあるまい。お前の目当てはコレじゃないのか?」
ニヤリと笑ってアスタロットはテーブルの上から一冊の本を取り上げエースロットに示すと、エースロット目が輝いた。
「あっ! まさかもう完成したのですか!?」
「ワガハイを誰だと思っている。こんな物くらい片手間で作れると言っただろう?」
得意げに笑うアスタロットの手にはる本の表紙は『ドワーフ』と簡素に銘打たれており、古今のドワーフ研究の集大成というべき物であった。彼ら兄弟の共通項として異種族への興味があり、アスタロットが政治、生活、風習、特性など種族そのものに興味を持っているのに対し、エースロットは伝説や伝承、歴史の変遷などを好んでいた。
早速手に取ったエースロットが子供のように浮き立つ気持ちを隠しもせずに本を開くのを見てアスタロットは苦笑する。
「父上に見つかったら大目玉だ。仮にもエルフの王子2人がドワーフの事を纏めた本に傾倒しているなどとても褒められたものではないと」
「理解を深めるのは良い事ですよ。知らないまま差別するなど、それこそ野蛮というものではありませんか」
「エルフが一番で他は下に見るのがエルフの悪癖だからな。人族にしてもドワーフにしても、分野によってはエルフより優れた点はある。それを認めないのがエルフの最大の欠点だ」
アスタロットは平等主義者である。他の種族を賛美する精神性とは無縁だが、優れているものは優れていると認めるだけの聡明さがあった。認めるべきは認め、それを取り込めばより発展出来るのに、エルフとしてのプライドなどという矮小な価値観で全否定する者達を馬鹿の一言で切り捨ててきたのである。彼らを懇々と諭すような無駄な作業に従事するくらいなら自分の研究に没頭した方が遥かにマシというものだ。
弟がそうではなかったのはアスタロットにとって福音であった。価値観に左右されず貪欲に知識を求めるアスタロットはしばしば他者との摩擦を引き起こしたが、エースロットだけはアスタロットの研究に理解を示し、こうしてお忍びでアスタロットの研究成果を確認にやってくるのだ。余計な追従も無く、時に鋭い意見を放つエースロットはアスタロットにとって得難い協力者なのだった。
食い入る様に本の内容にのめり込み始めたエースロットにアスタロットは目を細めた。
(もしエースが居なければワガハイはどうなっていただろうか……異端として王家を追放されたか、はたまた国を傾かせたか反乱か、いずれにしても碌な事はあるまい。ワガハイの自尊心も幸福も、全てお前無しには満たされん。ハリーやアリーシアがこれからもお前を支えるだろうが、疲れたらここに来るがいい。ワガハイはその時の為に、またとっておきの研究成果を用意しておこうではないか。それだけでワガハイは生きていく意味を見い出せるというものだ……)
エースロットの礎として生きる事はアスタロットの喜びであった。この偉大な弟を授けてくれた事にだけは神とやらに感謝してもいい。
本に没頭するエースロットを見つめるアスタロットの目はどこまでも穏やかで、この時間がずっとこの先も続いて行けばいいとアスタロットの心を満たしていた。
……変わらぬ物など無いとアスタロットは知っていたが、それを真に理解してはいなかったのである。
この時は、まだ。
ここから過去回です。アスタロット視点で主に進んで行きます。