1-3 戦勝式典1
その日世界は歓喜に包まれていた。
全世界の人口60数億を60分の1にまで減少させた戦争が20年の歳月を経てついに終結をみたのだ。それも蹂躙される側であった人類の勝利によって。
皆誰かしら大切に想う者達をこの20年で亡くした。しかしこれからは異形に怯え、震えて過ごす日々とは訣別し、人が人らしく暮らせる世がやってくるのだ。
そしてそれを成した誇るべき軍隊が今人々の前にあった。邪悪なる龍共を滅ぼせし、救国の英雄たる軍人達。出征前の三分の一以下にまで減らされた精鋭部隊たる彼らを見る目は熱く濡れている。
そんな人々を見やり、東方連合国家皇帝、天津宮 志津香は誰にも見えないように小さく溜息をついた。その顔は一度見れば目に焼きついて生涯忘れる事は無いという噂から『瞼の君』と呼ばれるに相応しい美貌を、今は憂慮に曇らせている。
これから始まる戦勝式典において、自らのやろうとしている事を思うと、万を越える民衆の前に立つ事すら些細な事に思える。
それでも自分の心をこれ以上は偽れない。10年前、死に直面していた自分をすんでの所で救ってくれたあの少年・・・今では青年が、救国の英雄の筆頭として帰ってきたのだ。
(思えば長い道のりでしたけど・・・未だ18歳にしかならぬ私がこのような分不相応な地位にいるのも、全ては彼のおかげであると言えますし、この身を捧げるのは当然であると思いますし、むしろ攫っていってくれたらとても嬉しいですし、そのまま彼の腕に抱かれて遠い空の下で二つの影はやがて一つに・・・)
という所まで想像(妄想)が進んだ所で、臣下から声がかかった。
「陛下、そろそろお時間です・・・陛下? ・・・コホン、陛下!」
「ひゃい!」
大分アチラ側の世界に浸っていた志津香は、3度目でようやく心をコチラ側に戻した。その視線の先には青い鎧を纏った短髪の女性近衛がいた。
「陛下、お気持ちは察しますが、全てはこの式典が終了してからにして下さい。・・・正直、途中で気取られると面倒な事になります。ですので、今すぐそのニヤケ面を引っ込めて普段通りの猫をお被り下さい」
「ね、猫なんて被っていません!」
若いといっても皇帝の地位にある人物に対する言葉遣いではないが、志津香はその事を責めなかった。むしろ公的、私的を問わず皇帝たる自分気安い言葉を掛けてくれる人間は極々少ない。それだけにこの臣下――西城 朱理近衛隊長兼秘書官は幼い頃からの数少ない気を置けない友人であり、請うて誰もいない場所では昔のままの言葉で話させていた。
「はぁ・・・朱理なら分かるでしょう? 私が今までどれほどこの機会を待っていたか。私とあの方とではとても大きな壁がありました。武家とはいえ一般家庭に生まれたあの方と皇室に生まれた私では、そもそも出会う可能性すらほぼありませんでしたから。でもこのような世になった事で、あの方と私はまみえる機会を得ましたが・・・その、あの方と、お、お、お、おつ、おつ」
お付き合いと言いたいらしいが、そんな志津香を見て、
「そのくらい言えないと『私と結婚して子供を沢山作りましょうね♪』なんて民衆の前で言えませんよ、志津香様」
志津香のセリフの部分だけしなを作って冷静な表情のまま朱理は突っ込んだ。
「こどっ!! そそそんな事言いません!! 痴女ですか私は!!! あくまでも私は共にこの国と皇室を盛り立てていきたいと思って・・・」
「いえ、そうなるとこの大戦前と比べて格段に減った人口を補う為にも国では多産を推奨する政策を近々施行しますから、国民に範を示すにもまずは皇帝陛下が先陣を切って産めよ増やせよと頑張って頂かないと困るワケで、結局の所そういう事です。意訳ですね、意訳」
口の回る事では参謀竜将以外右に出る者は無いと言われる朱理に、皇居から出る事すら稀な志津香では口で敵うはずもない。そして口には出せなくても、志津香も心の奥底ではそれをずっと望んでいたのだ。
「と、とにかく! あの方が竜将まで栄達して、この度の救国の一番手柄を得た事でようやく目が出てきたのです。この式典の最後にあの方に褒賞を問う予定でしたね?」
「はい、そこで志津香様が『ご褒美は、ワ・タ・ク・シ』と彼の胸にしなだれかかり・・・」
「かかりません!! 民衆の前で何をやらせるつもりですか朱理は!」
「まぁ、その辺のやり方は志津香様にお任せします。私は周りの方々を抑えなくてはなりませんし。大丈夫ですよ、あのカタブツも志津香様に言い寄られてはイチコロです、ハイ」
朱理は朱理でこの愛すべき皇帝陛下にせめて隣に立つ人物くらいは好きにさせてあげたいという暖かい友情からこの策に乗ったのだが、からかいがいのある友人をその過程で存分に楽しみたいという心情もあって、客観的にみると『生』暖かい友情になるのだった。
《汝ら、楽しそうな所を悪いが、そろそろ時間だ》
突然その場に第三者からの声が響くが、二人には驚いた様子は無い。その声は簡素な青い鎧を纏っている朱理の胸の辺りから聞こえ、そしてこの世界でそんな鎧を纏った人物を知らぬ者は無い。
即ち、『竜騎士』西城 朱理を。
「あら、悪いわねサーバイン。陛下、そろそろ参りましょう」
先ほどまでの茶目っ気を完全に表情の下に隠し、朱理は恭しく志津香を促した。志津香もさっきまでとはうって変わって、謹厳な表情になり応えた。
「ええ」
(待っていて下さいましね、悠様・・・)
愛しい人に呼びかける声だけは口の中だけに秘めながら。
「それでは皇帝陛下のご入場です」
時刻は正午。戦勝式典の開始時刻となり、司会の官吏が皇帝の入場を告げると、民衆からは大きな拍手が沸き起こった。
10万人を収容出来るこの国立のドームは式典、祭典、避難場所、また普段は軍の訓練所としても使われており、今は立錐の余地も無いほどの人々で埋め尽くされている。それほどの人数の拍手はもはや比喩抜きでドームを振動させていた。
また、戦時下だったゆえに人前に殆ど姿を現す事の無かった、類稀なる容姿をもつ皇帝を一目拝見したかったという期待感もそれを後押ししていた。これまではラジオで声を発するのが常であり、民衆のみならず、厳しい訓練を経て徹底的に式典での礼儀作法を仕込まれている軍人達ですら、目線だけでこっそりオーロラビジョンを窺っていたのだから。
それも軍の内情を知ればある程度はしょうがない事情もあった。なにしろ最も人的資源の消耗の激しい軍隊という組織の性質ゆえに、現在の軍は若年化もまた激しかった。軍の現場、参謀本部のトップ二人(悠と雪人)が若干26歳なのだ。
そして拍手が止み、皇帝である志津香が入場してくると、会場内には感嘆の溜息が漏れた。いや、それどころか意に反して仰け反ってしまい椅子から転げ落ちる者も複数居たのだから笑えない。噂通りの、どころか噂以上の美貌に皆目を見開いていた。なるほど、『瞼の君』とは真実であったかと妙に納得したのだった。
そのまま志津香は壇上に上がり、正面に向き直ってから、おもむろに頭を下げた。
これには民衆のみならず、むしろ政務関係者や軍人達が度肝を抜かれた。皇帝の地位は神聖不可侵にて絶対であり、この国において皇帝が頭を下げるべき対象は無い。礼は述べども頭は下げずが皇帝の慣習であり、それゆえの混乱であった。
しばしの呆然から立ち直った官吏達が声を掛ける数瞬前に、皇帝は頭を上げ自らの心情を語りだした。
「大戦開始から20年。私達は失い続けてきました。父を、母を、子を、友を、愛しい人を、家を、国を、時を。言葉では言い表せない全てを。この場にいる誰もが何かを失い続けていました。私が頭を下げたのはその失われた全てに対してであり、また、ここにいる皆さん全てに対するものです。よくぞ、よくぞ生きて下さいました。ありがとうございます」
目礼する皇帝の声音、表情、雰囲気、その全てがこれが真情の吐露である事を伝えてきている。オーロラビジョンに映る志津香の目尻には光るものがあった。
やがて民衆の中から嗚咽混じりに皇帝への感謝が漏れる。
「おい、陛下が、うぅ、俺達なんかにありがとうだってよぉ」
「ああ、なんてお優しいんだ」
「私、この国に生まれて良かった・・・ぐすっ」
「私達が陛下をお支えしなければ!」
それを志津香の後ろに侍っていた朱理は感心して見ていた。
(さっきまでは年相応に赤くなったりうろたえたりしてたのに。志津香様の場合、どっちが本当ってワケでもなくて、どっちも素だって言うのがまた凄いわね。みんな心酔しきっちゃってるわ。でも・・・)
ちらりと軍人の列に目を向けると、殆ど全ての軍人達は目を潤ませていたり、頬を朱に染めていたり、必死に表情を変えまいと拳を握り締めていたりするのに対し、トップの二名―――悠と雪人は片や自然体の無表情、片や面白い物を見たとでも言いたげな表情をしているのを見て、壁の高さに思わず空を仰ぎ見るのだった。
(あー、コレはちょっと厳しいかしら? いやでも志津香様に眼前で迫られて断れる男なんていないと思うんだけど。・・・この二人だと分からないわね。志津香様、頑張って下さいよ~)
そんな不届きな事を一番近くにいる人間が考えているなど露にも思わず、皇帝としての責務を果たす志津香。
「すみません、めでたい席を湿らせてしまって。そう、失い続ける日々は終わりました。ここにいる誇り高き英雄達の手によって。獅子奮迅の働きをした彼らに、皆様からもう一度拍手をお願いします。ご苦労様でした」
志津香がそう促すと同時に、会場にはまた万雷の拍手が沸き起こる。揺れる会場の誰もが胸に一杯の希望を持って鳴らす、この国の歓喜の声だった。
「神崎竜将万歳!!」
「真田竜将万歳!!」
「ありがとう! ありがとうっ!!」
「いつの間にか立派になりやがって・・・連合国家万歳!」
「皇帝陛下ばんざーい!!」
悠や雪人のみならず、自分の子供が軍にいる者もいるのだろう。軍に国にと続いた万歳三唱はいつ途切れるともなく続いたのだった。
そんな歓声の中、雪人は隣に立つ悠に声をかける。
「なぁ、今日くらいはその仏頂面を崩して手の一つでも振ってやらんか? 悠よ」
「お前が振ってやればいいだろう、真田」
「俺よりみんなお前のが見たいに決まってるだろう? なぁ真?」
「そこで自分に投げないで頂けませんか、真田竜将」
「じゃあ真、貴様が振れ、これは命令だ」
「竜将お二人が振ってないのに自分が応えたらとんだお調子者ですよ。無茶言わないで下さい」
「貴様、抗命は大罪だぞ」
物騒な事を言いつつも、雪人の目は笑っている。そしてやれやれとでも言いたげに―――実際口に出しながら―――民衆に向かって手を振ると、悠も民衆に敬礼する。対照的な両者のパフォーマンスだったが、民衆は大いに沸き立って更に打ち付ける手の力を強めたのだった。上司二人を見て部下の者達も手を振り返してその歓声に良く応えた。
やがて拍手が収まると司会が皇帝の着席を促し、式は滞りなく進むのであった。
朱理はキャンサー(蟹座)です。近衛だから硬そうなのを。中身は色々柔らかいですけどね。ちなみに千葉と同期の24歳です。西城家は名門中の名門なので、志津香とは子供の頃から交流がありました。そう、子供の頃から志津香は弄ばれて(ry
それと志津香の一人称は「わたくし」です。