フェアリー・ノイズ
――キミはボクの言うとおりに生きればいいんだ。そうすれば、きっと幸せになれる。
(ほんとう?)
――うん、たぶんね。その代わり、
(そのかわり?)
――キミの人生を、全部ちょうだい。
ものごころついた頃から私、五十嵐早苗の内側にはもう一人の私がいる。といっても、最近はやりの二重人格とは違う。中二病とも違う。
たぶんこれは、妖精みたいなものなのだ。そう、個人的には解釈している。
例えばお昼休み。
――おなかすいた。
彼女(もしかしたら「彼」)は、欲求に忠実だ。そして、それは私と密接に繋がっていて。
「早苗、またそんなにパン買ったん?」
前席のミサキが振り向き、目をまんまるくして問いかける。
「うん……おなか、すいちゃって」
「それでその体型キープできるんやもん、ずるいなー」
「はは……」
机の上には山盛りのパン、パン、パン。
妖精さんの欲望に、私は絶対逆らえないのだ。
昔、まだ私が子供だった頃(今も子供だけれど、そこは目をつぶって欲しい)。
その日はひどい吹雪で、病弱だった私は居間のコタツで絵本を読んでいた。確か、しゃべるぬいぐるみと女の子のお話だったと記憶している。
可愛いぬいぐるみが砂丘に埋められるという、たいそうショッキングなページに差しかかったときだ。突然、声が響いた。
――雪の中でダンスがしたい。
性別も年齢も読み取れない、中性的な声色だった。例えるなら――そう、女優が演じるピーターパンのような。
「だん、す……?」
――雪の中で、ダンスが、したい。
その瞬間、何か熱いものがお腹の底で生じた。それは膨れあがり、私の心を覆いつくして。
(いかなくちゃ)
すぐに絵本を放り出し、暖かい部屋を飛びだしたのだ。
空が闇に染まり町中が冷え切ったころ。仕事から帰ってきた母は、庭で踊りくるう私を見て金切り声をあげた。
「なにをしているの!」
白くなった腕をさする母の体温に安堵しながら、私はこう応えた。
「だん、す……してた、の」
ダンスの意味も知らなかった幼い私を駆り立てたのは、紛れもない「第三者」の存在で。
それが、「妖精」さんとの出会い。その日からずっと、彼(もしくは彼女)の欲望に引きずられて生きてきた。
これでいいのだろうか、という疑問は、もはや無い。
例え妖精さんのせいで命が危うくなったとしても、「人生こんなもんか」で済ませられる自信がある。そうやって、ただなんとなく生きてきた。
なんとなく、なんとなく。
誰の心も動かさないように、動かされないように。
なのに、どうして私は……。
「よう五十嵐、今帰り?」
「あ……」
同級生の男子に、初恋なんてしてしまったのか。
「よかったら一緒に帰らないか? 話したいこと、あるんだ」
夕日の中を歩く。……好きな人、と。
こんな時でも無表情を崩せない私と違って、心臓は正直だ。
ばくん、ばくん。世界中が脈打っている。
オレンジの飛行機雲も、道ばたの赤いポストも、みんな。
五十嵐早苗十六歳、ただいま人生の頂点に到達……なんて。
「あのさ五十嵐」
「え……は、はい!」
「そんな緊張すんなって。なんか、てれる」
てれるだって! かわいい~。
……何を考えてるんだ私は。落ち着け。
「あの、話したいことって?」
「うん……実はな」
その時、確かに私は幸せの絶頂にいた。
脳の幸せ成分が極限まで分泌されて、気分はまさにお花畑状態。
(もしかして、彼も私のことを……?)
そんな自惚れを臆面もなく考えてしまうほど、私は舞いあがっていたのだ。
だから。
「五十嵐って、ミサキと仲いいよな? あいつのアドレス教えてくれないか?」
「……え」
「頼む!」
その瞬間私のテンションは、暗い地の底にひゅるりひゅるり、急降下。
――くす。
妖精さんの嘲笑がどこか、遠くの方で響いていた。
夢の中で声がする。中性的で繊細で――とても無慈悲な声。
ラベンダーの花畑で、私は踊っていた。
青い晴天からはなぜか、大粒の雪が舞い落ちている。
――かわいそうな早苗。初めての恋で大撃沈、だね。
――でも大丈夫。キミが傷つく必要なんてないんだ。だって、
美しい雪の結晶に触れて、ラベンダーはひとつ、またひとつと枯れていく。
――早苗はただの容れ物。ボクの人形なんだからね。
私は踊り続ける。
真っ白に覆われた死の世界、その中心で。
「ないわ」
「……そう?」
「ないわ~ない! 速攻断ったわ、あんな優男!」
「そ、そうかな」
次の朝。
傷心の私を迎えたのは、親友の悲痛な叫びだった。「早苗、勝手にうちのアドレス教えたやろ!」という。
「ええか早苗。男は三十過ぎて、無精髭が似合うようになってからが本番なんよ」
「へー初耳……」
「せやからあんなガキ論外や。うちのストライクゾーン意外と狭いし。もー、なんで教えてしもたん?」
「ごめん」
ミサキはふぅー、と長い息をつき、
「好きな男の恋を応援するなんて、ほんまに早苗はお人よしな」
とんでもない発言をかましてくれた。
「えっ……え!? なんでわかっ」
「見てれば分かるわ。うちを誰やと思てんねん」
「えっと、どなた……?」
「早苗の親友、ミサキや!」
だん、と机に片足を乗せる親友。うう、クラス中の視線が痛い。
「せやから、もっと色々相談して。一人で抱え込んだらあかんよ?」
「ミサキ……」
こんな不甲斐ない自分を、親友だと言ってくれる人がいる。
優しい薬が、心にできた傷口に染みこんでいった。
「ありがとう、ミサキ」
自分にはもったいないくらい、良い友達だよ。
「とりあえずミサキ、机から足を下ろそう?」
「あかん、忘れとった」
少しだけ回復した心を抱きながら、図書室へ向かう。
「江戸川乱歩の『幽霊塔』が読みたい」という、妖精さんのわがままな願いを叶えるためだ。
個人的に怪奇小説は大の苦手なのだけれど、仕方がない。どうか今夜、恐ろしい夢をみませんように。
曲がり角に差しかかった、その刹那。
私の脳を、衝撃が走りぬけた。
廊下の突き当たり、図書室前にある柱の影。
(ミサキ、と……)
初恋の、彼。
二人が向かいあっていた。
その姿は、まるで長年連れ添った恋人のようで。
(どうして……?)
肺の中に冷たい空気が満ちていく。
体中の赤血球が、北極の氷粒と取りかえられたみたいだ。
――大丈夫、傷つく必要なんてないよ。
妖精さん。
――今すぐ後ろを向いて、そして駆け出すんだ。
妖精さん。
――不器用で馬鹿で、いとしいボクの早苗。さあ、言うとおりにして。
胸に暖かい疼きが生まれ、全身に染み渡っていく。
彼女(もしくは彼)の欲望に操られる時は、いつもこうだった。ポカポカして、とっても気持ちが良くなるんだ。
――さあ、後ろを向いて。
言われるままに体を反転させる。恐ろしい現実から逃れるために。
自分の弱くてちっぽけな心を、守るために。
……。
…………。
……そんなの、イヤ!
――早苗!?
足に力を込めて立ち止まる。
体を覆う「気持ちよさ」に対抗すべく、全身の力を総動員だ。
――無駄だよ。
体内で声が響く。
――ボクの力には抗えない。今までだって、ムリだったでしょう?
確かに今まではそうだった。
妖精さんの欲望に振り回されるのは大変だったけれど、私は抵抗しようなんて一度も考えなかった。
楽だったから。
誰かにゆだねる生き方は、とても楽だった。責任は全て、他人(妖精さん)がかぶってくれたから。
だけど今だけはダメだ。今逃げたら、私は。
(たった一人の親友を、一生疑い続けることになる)
両手を開き、顔の横へ。
勢いをつけて……。
――や、やめろ早苗! そんなことしたら、ボクの支配が……。
「気合だあっ」
ほっぺを思いっきり、ぶっ叩いた。
スパァアン、というものすごい音が、廊下を縦横無尽に響きわたる。
「今の音なん……って、早苗!?」
ぐわんぐわん揺れる三半規管が、かろうじてミサキの声をひろった。
「ほっぺた真っ赤やん!? あんた、何して……」
「ミサキ!」
心配そうな言葉をさえぎり、彼女の瞳を見つめる。
一点の曇りもないダークブラウンが、私を見返していた。
「私ね」
「うん?」
「私、私は……」
「うん」
言いたいことはたくさんあるはずなのに。
どうして大事なときに限って、一番奥の方に仕舞われてしまうのか。
うつむいて肩を震わせる私は、どれほど滑稽だろう。
ほら、周りの皆が私を見て笑ってる。笑い声が聞こえ――。
「さな」
はっ、と顔を上げた。
「しんこきゅう!」
光が肺を満たしたようだった。
吸って、吐いて。漂っていた言葉を捕まえる。
今度は、大丈夫だ。
「わ、私にとっても、ミサキは親友だからね! どんなことがあっても、絶対!」
「……あ」
「ミサキ……?」
「当たり前やんか、このドあほぅ!」
「きゃっ!」
抱きついてきた親友を受け止める。
「ミサキ、泣いてるの……?」
「さ、早苗がけったいなこと言うからやんか!」
「え……?」
「早苗は、今まで絶対ウチのこと『親友』って言ってくれなかったやろ?」
……そうだったっけ。
「少しだけ不安やったんよ。ミサキにとって、ウチの存在ってなんやろって。……でも、それはもう消えたけどな!」
「ミサキ……」
「あ、あの~」
「!」
そうだすっかり忘れてた、初恋の彼。
「ごめん五十嵐、無理やりアドレス聞いたりなんかして!」
「!?」
その彼が、突然床に頭をこすりつけて土下座した。
「え……え!?」
状況が飲み込めない私に、ミサキが助け舟を出す。
「さっき廊下で〆てたんよ。男やったらアドレスくらい、本人から聞けやボケナス! ……てな」
「そう、だったんだ」
恋人同士に見えたのは、私の大きな勘違いだったらしい。
「良かった……」
やっぱり、現実と向き合ってよかった。
本当のことが分かって気が抜けたのか、私の右目から涙が一粒こぼれる。
しずくはリノリウムの床に落ち――る寸前で、空中へ舞い上がった。
(え……ええっ!?)
――まったく、これだから人間は嫌なんだ。予想もつかない行動をする。
頭に響いたのはいつもと同じ、男か女か分からない中性的な声。でも。
ひとつだけ違うのは、霧の向こうから語りかけているように、おぼろげだということだ。
――ま、それが面白いんだけどね。せいぜい独りで生きていけよ、人間。
開いた窓から、外へ。
涙のしずくは曇りの空に飛んで行き、やがて――消えた。
(さようなら、妖精さん)
あなたが何者だったのか、とうとう最後まで分からなかったけれど。
今まで一緒にいてくれて、ありがとうございました。
「ところで、なっ」
「う、ん?」
放課後の帰り道は、ゲリラ的などしゃぶりだった。
二人とも傘なんて持ってきてないので、とうぜん全力疾走することになる。
最寄り駅までもう少しというところで、
「あんた、あの男に、告白、せぇへんのっ?」
「こっ、こ!?」
ミサキが爆弾発言をかましてくれた。
思わず急ブレーキをかけた私に、彼女も続く。「こんな雨じゃ走ろうが歩こうが同じや」などと呟いて。
「で、どうなん早苗。こ・く・は・く!」
「かっ」
「か?」
「考えさせて!」
「おっ、意外やわ。前までの早苗なら、問答無用で拒否やったのに」
「確かに……でも、今は少し違うから」
「?」
たとえ振られても、なぐさめてくれる人がいる。
立ち直るまできっと、根気強く付き合ってくれる。そう、確信できる親友がいるから。
「玉砕したら、なぐさめてね」
「おう、安心して砕けてきいや!」
私はもう、逃げない。
おわり
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