薄紅と自己嫌悪 2
みんなで花見に来た梅吉だが、一人席を外した時に酔っ払い絡まれてしまう。女性の身体になってしまった今、力で男性に敵いそうもなく――…。
視界がぐるりと変わって、土の匂いがした。桜の花の隙間から青い空が見えていてはらはらと花弁が散っている。頭を強く打って、しばらく現実感が無かった。
そもそもこれはゲームだから現実感なんてものは初めからあってないようなものなのかもしれないけれど。
確かに痛みはあって、匂いがあって、感触も生々しいのに――これはゲームの世界なのだ。
押し倒されていた。
圧倒的な男の力に全く身体が動かない。腕を持たれて、上から体重を掛けれたたったそれだけのことでびくりとも男の身体は動かなかった。
これが女性と言うことなのかと思う。
ゲームなのに、非現実なのに、ちっとも思い通りになりはしない。そもそも、こういうゲームに入って出れなくなったとかならそうなった者はチートな能力があったりするのではないか。そういう物語は溢れていた筈だ。
なら自分だって、そうあって良い筈なのに、全くの凡人。しかも非力な女の身体。美女でもなければ秀才なわけでもない。何もいいことがない。ずっと逃げたいと思っていた現実から、不本意ながらも逃げたと言うのに逃げた先で酔っ払いに犯されそうになるなんて、リアルのがマシだったじゃないかと思う。
――ああ、こんなものまでリアルで無くていい。
アルコールの匂い。
荒い息使い。
太ももに当たっているものの熱さや固さ。
(最悪だ)
抵抗する気がだんだんと失せていく。梅吉の思考は諦めに支配されていった。
これはもう駄目だと観念する。目でも瞑っていれば終わるだろうかと瞼を閉じる。自分で暗闇を作り出す。瞼の裏にさっきみたばかりの青空が広がって、正に青姦だなんて思うのだ。馬鹿みたいにぼんやりと。
「そいつを離せ!!!!糞野郎!!!!」
鼓膜を突き破るような罵声の後、ドカリと鈍い音がして身体の上の重みが消える。瞼を開けるとそこには凄い形相に周の姿があった。
「梅、梅、大丈夫?」
肩を持たれ、思い切り身体を揺さぶられる。
「う、うん」
なんとかそう返事をするが思考が追いつかない。ふと左側を見ればさっき身体の上に載っていた男が転がっていた。
周に腕を引かれ立ち上がる。その力強さにああ、男性なんだと思った。そして、自分は今、女なのだと自覚する。それは酷く惨めな気分だった。
腕を引かれてみんなのいた場所まで帰る。押し倒されたせいで服はどろどろ、所々に擦り傷を作った。
梅吉のそんな様子にみんな酷く驚いた様子で心配もしてくれた。嬉しかったけれど「転んでしまった」と言うありきたりな理由で話を誤魔化す。周は何も言わなくて、ただ悲しそうな顔をずっとしてる。まるで自分が襲われたみたいだ。
情けなくて、涙も出なかった。
せっかくの綺麗な景色も美味しい弁当も全て台無しになった花見だった。
「じゃあねー!」
七緒が元気に手を振っている。その横にはほづみと真澄もいた。
教師たちともさっき別れて周と梅吉は二人で自宅に向かって歩いていく。花見を終え、今は帰り道だ――あれ以降、梅吉は周と会話をしていない。なんだか、妙に気まずい。それは、自分が女であること、周が男である事を改めて自覚してそいまったせいかもしれない。別に意識してるわけではない。周に恋愛感情みたいなものを梅吉は持っていなかった。
でも、違う生き物なのだと根底から分かってしまって少しショックを受けていた。女と男でこんなにも中身が違うだなんて思って居なかったからだ。
(女らしくしなきゃ駄目なのかなぁ)
とりあえず、自分はもっと『今は女性でだ』と言うことを意識しなくては自衛できない。今の梅吉は自分が思ってるより力が無く、弱い女の身体なのだ。もし周が来てくれなかったら――仮想現実とはいえ本当に危ないところだった。
そう言えば――と、その時気が付いた。
「ありがとう」
まだ彼に礼を言っていなかったのだ。
周は抱えていた重箱に顔を埋め込みそれからその場にしゃがみ込む。
「お、おい……」
どうしたのだろう。腹でも痛くなったのだろうか。その肩は小刻みに震えていた。
「ごめん……」
絞り出すように周が言葉を零す。
「早く助けてあげられなくてごめんね。怖かったよね」
震えたその声色はもしかして
(泣いてるのか?)
襲われたのは自分なのに、まるでこれではリアクションが逆だ。しかも謝られる筋合いは全くない。
「ごめんね」
なのに周は謝ってくる。全くなんてお人よしなのだろう。
「なんでお前が泣いてんだよ。泣き虫」
頭を軽く叩く。
梅吉の痛みを、恐怖をを想像して彼は泣いて居るのだ。
呆れてしまう。人工知能の癖に、人に創られたデータの癖に、どうしてこのゲームの住人は時に梅吉の心を温かくする。
良いゲームじゃないかと思った。シナリオはまだ分からないけれど、こんな人間が本当に梅吉の回りに居たのならもしかしたら自分はもっと違う人生を歩めていたのではないかと思ってしまう。
「ひでぇ顔だな」
顔を上げた周の顔面は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで思わず指を刺して笑ってやる。
綺麗に整った顔でも、鼻から液体が垂れている様は結構マヌケな様なのだとこの時初めて知った。
授業終了の鐘と共に、梅吉は席を立ち上がり七緒の席に向かった。
「な、七緒ちゃん!」
上擦ってしまいそうな声を一生懸命腹に力を込めて抑える。今日一日、脳内で何度も繰り返した言葉を七緒に向かって言うためだ。
「い、一緒に買いものに、お買いものにいかない?」
多少ぎこちなかったが一日脳内で繰り返した言葉はなんとか声になり七緒に伝えることができたようだ。
七緒は少しだけ驚いた顔をして、それからにっこり笑う。
「いいよー暇だし、どこ行こうか?」
七緒の返事に梅吉は心の中でガッツポーズをする。
あの事件以降、自分の自覚不足を実感した梅吉はまず自分が今は女である事を自覚すべきだと言う結論になった。その為には女の子らしいカッコをすることから始めることにする。何事も形は大事だ。しかし、女性の服と言うものが20年間男をやってきた梅吉には理解できない。だから七緒を誘って買い物に行けば良いのではないかと思ったのだ。
これなら、七緒との好感度も上がるし一石二鳥だろう。
学校が終わってから誰かと買い物になんて、男とだって行ったことがない梅吉にとってそれはとてもハードルが高い事だったが仕方ない。
しかしこのまま動かなかったら確実に周のエンドが待っているのが今の状態だ。やはり幼馴染設定は強い。接触も多いし花見の事件時に好感度メーターが一気に上がってしまった。今出現してるキャラの中で、周が一番好感度が高い。
(いや、嫌いじゃない。嫌いじゃないよ?むしろ良い奴だと思うよ?)
しかし、現状女であることは認めるが梅吉の本質は男である。恋愛対象はもちろん女性だし、これは全年齢のゲームだから友情エンド以上は女性キャラとは存在しないだろうが、もしこれがエロゲーで同じ状況なら男に落されるぐらいならユリエンドを目指し邁進するだろう。昔も今も、男性は女性に興味を抱き、レズは平気だがホモは嫌だし女性にも逆の思想があったりする。
リアルに自分がその対象に入るのか入らないのかで、想像力の幅が変わって来るから仕方ない事だと思う。だから梅吉は女性のホモ好きを否定しないが自分は好きにはなれないし、ホモよりユリの方が好きだ。
「あっ!梅!梅!これどう?可愛いくない?」
そんな下らない事を考えていると七緒に声をかけられた。彼女はショートパンツを自分に合わせこちらを見ていた。ピンク色で裾の部分に白いレースが付いている奴だ。
ここは学校近くの大型ショッピングモール。着くなり七緒は行きつけの店に入り、服を物色し始めた。
梅吉はぼんやりと店の中を見回す。やはり何が良くて何が悪いのか何が可愛いくて可愛くないのか分からない。
「そ、それに合わせるなら上の服は何がいいかな?」
それでもめげてはいけない。七緒との好感度を上げるためにもお洒落心を手に入れるためにも、ここは勉強だ。
まず『可愛い』を知らなければ――。
「これ?そうだなー……あっ、これ合わせたりとか、これもいい!あっ、これも」
黒いカットソー、白のブラウス、ベージュのトレナーその他にも七緒は次々と服を選びながら、自分の身体に合わせていく。
(お、女の子ってすげー)
その判断力とパワーにすっかり圧倒されてしまう。
「梅はなんか買わないの?」
ただ立ち尽くす梅吉に七緒は不思議そうな顔をして聞いてきた。
「あ、あの、俺、じゃなくて私、お洒落とか分かんなくて……どんな服着ていいかとか、買えばいいのか分かんないから」
恥ずかしさに顔を伏せる。ああ、駄目だ。せっかく頑張って誘ったのに……と内心で泣きたくなる。きっとこんな梅吉の態度に七緒は腹を立てるだろう。
好感度を上げようとして下げてどうするんだ――。
「じゃあ、私がコーディネートしてあげる!」
――と予想外の返答に梅吉は伏せていた顔を上げた。
視界に入った七緒の顔はキラキラと輝いている。
(え?もしかしてこれで正解!?)
女の子の遊びの中に着せ替えというのがある。人形に可愛い服を着せたり、靴を履かせたり髪の毛を弄ったりするする遊びだ。小さい頃、妹の桜子が遊んでいるのも見て一体何が楽しいのだろうと思っていた。
そして、今、あの時の感覚を思い出している。
「次!これ着て!」
梅吉は七緒に試着室に連れられ次々と渡される服を着せられいた。
「うーん、ちょっと派手すぎかも」
「あー今度は地味すぎる」
「この色は似合わないわね」
一人そう言いながら、あれでもないこれでもないと梅吉に服を合わせていく。
「おっけー!ばっちし!」
そうして30分、一体何着試着したか分からない。自分のクローゼットに入ってる服は自動でボタン一つで着れるが、試着は脱いだり着たりを繰り返さないといけないらしい。単純なその行為も何度もすれば結構疲れる。くたくたになった時、ようやく試着地獄は終わりを迎えた。
「疲れたねー!休憩にどっかカフェに入ろうよ!」
そう言う七緒はキラキラしてて全然疲れなんて感じない。七緒にすすめられるままショッピングモール内のカフェに入る。赤い布の二人掛けのソファーが対面式でセットされていて、黒い傘のついた証明がぶら下がっている。机は白で、床は黒と白のチェッカー柄のお洒落な店だった。七緒はクリームソーダ、梅吉はコーラを注文する。
椅子に座った途端に立ちっぱなしだった足がようやく一休みできると安堵して脱力している。ソファは柔らかく心地いい。もし七緒がいなくて梅吉一人だったなら瞼を閉じて眠ってしまっていただろう。
七緒に上から下までコーディネートしてもらった服は今、綺麗に畳まれて袋に入れられ今、梅吉の隣に置かれていた。
正直疲れた。疲れたが、購入した服は確かに自分に似合ってる感じがしたし、本当に色一つ、服のシルエット一つで印象が変わるのだと実感する。
相変わらず、着せ替えを好む女子の心理は理解できないが、お洒落が好きな人達の心理は今はなんとなく分かる気がした。
(変身願望だ)
服で髪型で、自分じゃない誰かになれるような気がする。
少しでも綺麗にカッコよく、服や髪型でなれるなら、確かにお洒落は悪くない。
少し興味が持てそうな気がした。
七緒には本当に感謝しなければならない。梅吉一人ではきっと今も分からないままだっただろう。
「今日はありがと」
ありがとうと言う言葉が最近自然と口から出るようになった。
前はこんな風に誰かに感謝の気持ちを感じたことが無かったのに。
「ううん。私も楽しかった!私ね、コーディネーターとかデザイナーとかそっち系の仕事したいなぁーって思ってるの。だから自分以外の服選ぶのとか凄い楽しかったよ」
楽しそうに言う七緒に梅吉は関心する。
高校一年生の七緒。自分が高一の時にそんなはっきりとした目標なんて無かった。
むしろ今だって、夢なんてない。付きたい職業も特にないのに、彼女はしっかりと未来のビジョンを見ている。偉いなぁーと思うのだ。そしてまた自分はなんて何もないのだろうと落ち込まずにはいられない。
IAだから人として完璧なのは当たり前なのかもしれない。ゲームだから、魅力的な人間を模して造られていて当然なのかもしれない。それでも、余りにも自分とは違いすぎる。もっと自分も目的を持って生きられたらいいのにと思わずにはいられなかった。
(やり直したいなぁ)
リアルもゲームみたいにやり直せたならいいのにと梅吉は思う。そうしたらもっと違う自分になれるよう努力したい。産まれながらの容姿は無理だとしても、ただ惰性で予備校に通うような今の状況をきっと選びはしないだろう。
ストローを持ってゆっくりとコップの中を掻き混ぜるとカラカラと氷が涼しげな音をさせていた。
「はぁー」
思わず溜息を漏らす。
「なになに?溜息なんかついちゃって!いきなり服欲しいとか思ったり悩ましげな溜息ついたりもしかして恋!?」
彼女のそんな様子に女の子はコイバナが好きだと苦笑いしながら思う。
「恋なんてしてないよー!七緒ちゃんはしてる?」
本当にしていない。いや、本来ならこのゲーム。擬似恋愛をするためのゲームだから恋をすべきなのだが、相手が男で自分の中身も男な次点でそれは成立しない。だから早々に自分のことから話題を反らそうとそう聞いてみる。これには好きな女の子の好きな子が気になる的なものにも近かった。だが聞いてから気が付く、実際彼女は友達キャラで恋愛するのは主人公である自分だから好きな人自体――。
「し、してる!」
七緒が少し顔を赤くしてそう言った。
(え……?)
友達キャラは主人公の相談に乗り、主人公を支え、あくまでも主人公のサポートをするようなキャラじゃないのだろうか。
もしかして――と嫌な予感がする。確か昔のゲームのそんなシステムがあった。最近はあまり使われていないから忘れていたのだが。
「委員長じゃないか。遊んでばかりいないで勉強しなさい」
不意に頭を鷲掴みにされてからぐしゃぐしゃと撫でられる。頭上から聞こえてきた太く固い声には聞き覚えがある。
「ちっ千景!」
そこには相変わらずな意地の悪い笑みを浮かべ担任の真崎千景の姿があった。
「お?先生を呼び捨てとはいい度胸だな」
思わず呼び捨てにしてしまってはからハッとする。
「せ、先生こそどうしてここに!?」
慌てて繕い、引き攣った笑顔を作ってなんとかとか対応した。この教師はどちらかと言えば苦手な部類だ。
同じ教師キャラでも銀之助の方が余程接しやすい。
――と、さっきまで元気に会話していた筈の七緒が急に押し黙った事に気が付いた。
と見たその顔は
(もしかして、好きな相手って――)