カリモノノ世界デ 1
借り物競争開始。目指せ一万点!
集合のアナウンスが流れて梅吉達はスタート位置に付いた。梅吉の左足首は鈴之助の右足首にしっかりと括り付けられている。それからお互い肩を組んで準備は万端だ。
後は、スタートを待つばかりの状態。
緊張で喉はカラカラだし、心臓の音がさっきから鼓膜まで響いてきて煩い。その音が「もうすぐだぞ」「もうすぐだぞ」って言ってるみたいで余計に焦ってしまう。
「大丈夫、大丈夫」
そんな自分の様子を見て、鈴之助は回した手で軽く肩を数回叩きながらそう言う。
「大丈夫」と言う言葉がこのゲームに入ってからの梅吉の精神安定剤のようになっている。なんの根拠も確証もないのに、その言葉だけで少し勇気が湧いたり不安が取り除かれるから不思議な気分になる。
そう――幼い頃、自分はそうやって誰かに慰められたのだ。
その記憶は自分には無くて、でも夢と言う形で時折見るあの青年に。
だからだろうか?鈴之助にそう言われると、少し気分が落ち着くのだ。それはやはりあれがただの夢ではなく『過去』なのだと証明のようだと思わずにはいられない。
「梅!負けないからね!」
不意に横から元気な声が聞こえて、見れば対戦チーム側に居る七緒の姿がそこにあった。
「悪いが今年は私のチームの勝利だ!」
そう高らかな勝利宣言をしたのは真崎千景、攻略キャラで梅吉の担任、そして七緒の思い人だ。
(七緒ちゃんよかったね)
二人のそんな姿を見て、素直に思う。千景は攻略キャラだし、実際彼の自分に対する好感度は既にMAXに近い状態だし、本来ならば自分は七緒から彼を奪い取らないといけない立場なのだが、本当は彼女を恋を応援したい。
結局これはゲームで、自分のキャラクター攻略がシナリオの中心だから、自分がもし千景を攻略する事を諦めたところで七緒の恋がかなうわけではないと思うが、それでも応援したいのだ。
ひたむきに誰かを思う女の子は単純に可愛いし、それは自分には出来ない事だから憧れも感じる。
自分は男だし、本当に恋と言う意味で攻略キャラクターに好意を持ってるわけでない。だから、彼女やほづみや百花のようなライバルキャラには少し罪悪感を覚えると時がある。
勿論、それよりも自分の命のが大切なので、申し訳ないと思いつつも日々彼らの攻略に努めるしかないのだけれど――。
だからこそ、今、七緒が千景とペアなのが嬉しいのかもしれない。そう思うのは凄く偉そうな気がするが。
「位置についてヨーイ!」
そして、ついに戦いの火蓋が切って落とされようとしている。
パアァァァン!と高らかにスターターピストルが秋空の下に鳴り響いたのと同時に一斉に走り出す集団はまだ団子状になっていて抜きんでて早いペアはいない。
「いち!に!いち!に!」
梅吉と鈴之助も掛け声をかけながら必死に足を前に踏み出した。
そうしてトラックを半周した辺りで机の上に置かれた白い封筒を見つける。そこにはきっとこれから借りてくるものが書かれているのだろう。
手を伸ばし、触れたものを引っ掴む。なるべく借りる事が容易いものが出てくれるといいのが、こればっかりは運だ。
(頼む!)
祈るような気持ちで白い長方形の封筒を破る。そして中からは一枚の紙が現れた。そこには――。
「ん?」
思わず首を傾げてしまう。一体これはどういう意味なのだろう?紙には『赤大鷺の蝶形骨』と書いてあった。
「鈴之助、これはどういう――」
と言いかけて視界がぐにゃりと歪んだ。
「不味い!ハッキングされてる!」
鈴之助が叫んで頭からすっぽりと抱えられた。視界に彼が来ていた白衣の袖だけが見えていて、それもぐにゃぐにゃと歪んでいる。
身体中の全てが痺れて、舌の先まで痺れを感じていて、梅吉は話す事さえできない。これは、今までで一番まずいのかもしれない――そう思うだけで、身体は動かないし思考も停止してしまっていた。
いよいよ死ぬのか。
ここで。
こんなに頑張ったのに。
ただどうしようもない絶望だけが梅吉に圧し掛かってくる。
ごぉぉぉっと言う音と共に、風景がブロックでも崩すみたいにガラガラと崩れていく。
あんなに立体的に見えていた筈の世界が途端に平面的な一枚の絵のようになって、跡形も無く壊れていった。
まるで世界の終わりのようだ――と思う。勿論、世界の終わりなんて見た事が無いけれど。
真っ暗になる世界。みんな風景と一緒に崩れていく。
(嫌だ!)
その光景に梅吉は泣き叫びたい気分になった。
殺したいのは自分だろう?だったらこの世界を壊す必要はないじゃないか!そう叫びたい。でも痺れた身体はやはりそれさえさせてはくれない。
「しっかりしなさい!」
梅吉の身体をしっかりと抱きかかえたまま鈴之助が言った。
「あたしたちは今から別の場所に飛ばされるのよ!何が起こるか分からないんだから気をしっかり持ちなさい!」
彼の言葉と同時に前方から鮮烈な光が梅吉達を照らした。
眩しさに瞼を開けていることが出来ずに思わず固くそれを閉じた。
それでも瞼越しに差し込む光りが眼球を圧迫してくるようで眼孔に痛みを覚えた。閉じた瞼の裏で光の残像がチラチラとしている。
気が遠くなると言うのだろうか――すっとさっきまであった痺れが無くなり身体中の力も抜ける。そして意識はぷつりと電気でも消すかのように無くなった。
「ちょっと!大丈夫!?」
声が聞こえて、梅吉は瞼をそろそろとあけると目の前には少し心配そうな顔をする鈴之助の顔があった。
「大丈夫……」
だと、思う。
頭はクラクラするし少し吐き気もあるが、生きている。それに一人じゃないからそれだけでも少し梅吉は安堵した。
さっきまで学校のグラウンドだった筈の地面にはみっしりと緑色の苔が生えていて辺りには土の匂いがしている。見回すと、熱帯雨林によく生えていそうな形の木や極彩色の花が目に飛び込んできた。極めつけに鈴之助の背後には大きな滝がある。
「ア、アマゾン?」
もちろんアマゾンになんて行った事が無いけれど、そこはテレビで見た事のあるその場所に良く似て居た。
「アマゾンならまだいいけど」
呆れ気味に鈴之助は言う。その姿に少し違和感を覚える。
「お前いつの間に髪の毛切ったの?」
長くウェーブのかかった彼の金髪が、いつの間にか耳が見える程の短髪になっていたのだ。
「切るわけないでしょ!こんな非常事態で!」
そう叫ぶ鈴之助。よく見ればさっきまで白衣に赤のタイトスカートのスーツだった彼の服装がファンタジーゲームなんでありそうな鎧姿になっていた。
鎧と言っても胸当てと小手やグリーブと言った動きやすそうな軽装だったけれどさっきまで見慣れていた筈の女装ではない。
そして、自分のカッコも彼のそれによく似たカッコなのだと気が付いた。
「これはつまり……どういうことだ?」
学園乙女ゲーから自分達は一体どこに飛ばされてしまったのか。問い掛ければ鈴之助も分からないと首を横に振った。
「とにかく、このままだと動きにくいし足、ほどきましょ」
未だ繋がれたままの自分達の足の紐を鈴之助は短剣を取り出して切り出した。
「へぇ、そんなもんもあるんだ」
便利だなぁーなんて、のんきに思う余裕があるのは一人じゃないからだろう。
それから、自分のステータス画面を開いてみる。
(持ち物が変わっている)
いつもは財布やハンカチ、スマフォなんかが入っているのだが、見慣れない名前の薬の小瓶や生肉なんかが入っていた。
「回復薬とかか?」
深い青色の小瓶を一つを取り出してじっくり眺めてみる。貼られているラベルは日本語でも英語でもない。
「ファンタジーっぽい世界よね?」
梅吉が取り出した小瓶を鈴之助も覗き込む。あの乙女ゲームの世界の中であったなら彼はきっと大抵の事を知っている。花園鈴之助はそういう役割のキャラクターだからだ。
だからこそ、プレイヤー以外で彼だけが『あの世界をゲームだと知っていた』し、そう知りながらも主人公を助けるのが彼の役目だった。
しかしその彼が、この小瓶の用途が分からないと言うことはここは、もうあの乙女ゲームの世界ではないのかもしれない。
「私、飲んでみましょうか?」
鈴之助はそう言うと小瓶に手を伸ばした。
「ばっ!毒だったらどうすんだよ!」
慌てて梅吉がそれを静止し、小瓶をしまう。
「別に、私が毒にかかったところであんたが生きてりゃ復活可能なんじゃない?ここがファンタジーRPGの世界なら」
あっさりとそう言ってのけるが、ここがファンタジーの世界だからと言ってRPGとは限らない。
だってRPGに付き物の経験値の画面やステータスの画面がメニューのどこにも見当たらないのだ。
そもそも、これは自分が主人公ポジションなのかも確定してない。
鈴之助は確かにデータで形成されたAIだが、このゲームに置いてはどういう扱いになっているのか梅吉には見当もつかなかった。
だから不用意な真似はできない。もし、鈴之助が瀕死になりそれが復活出来なかったらこのゲーム完全に詰んでしまったと言っていいだろう。乙女ゲームから出れないのも嫌だが、正体不明のファンタジーゲームから出れないのはもっと嫌だった。
「これ本当にゲームなのか?」
もしかしてここは現実ではないのか?と言う気がしてくる。土の匂いも、湿った空気も、よくできていて正直現実と区別がつかない。
「あたしが居るんだからゲームに決まってんでしょ?」
梅吉の不安を掻き消すように鈴之助が言う。言われて気がつく。データの彼が現実世界で存在できる筈がない。彼が居ると言う事がここがゲーム内と言う証明だった。
「それにあんた女の身体のままじゃない」
ため息交じりの鈴之助の言葉。言われてみれば自分の身体は女のままだ。現実の梅吉は男で、ここが現実なら性別は元に戻っていないといけない。
あまりにこの身体に慣れ過ぎて大切な事を忘れていた。
見慣れた女の身体の自分。勿論自分は男だと自覚しているのだが、なんだか身体が女であることが当たり前になってきてしまっているみたいだ。
慣れとは本当に恐ろしい。
その時、バサッ――っと物凄い羽音が聞こえた。
そして、同時に物凄い風圧、そして大きな影が頭上に過ぎる。
(なんなんだ!一体!)
逆切れ気味に頭上を仰ぐ。そして、見なければ良かったと後悔する。同時に自分がこれからしなければいけない事が梅吉は分かってしまった。
そこには巨大な鳥がいた。
赤い嘴の長い鳥が悠々と空を飛んでいったのだ。
『大赤鷺の蝶形骨』
あの紙に書かれていた文字を思い出す。
「とってこいって事みたいね」
梅吉の考えを読んだかのように鈴之助が言う。
「借り物じゃなくて狩り物競争ですか?洒落ですか?」
茫然と空を見上げながら、梅吉は呟く。
「レントじゃなくてハントですね分かります」
神妙な顔でやはり空を見上げなら零す鈴之助の言葉に。
「いや、わかんねぇよ」
突っ込む言葉すら、今は何が最適なのか分からない。




