真昼の月
夏休みも終わり、季節は秋になりました。
夏休みはやっぱり短い。昔どこかのアーティストが歌ったそんな歌のフレーズが思わず頭を掠める。
ついこの前まで暑いと嘆いていた筈なのに九月も半ばになると吹き抜ける風が冷たくなり、外を歩くのも半袖ではもう寒さを感じる。
夏の青い空と大きな入道雲はもうどこにもない。雲の無い薄い青が空高くこちらを見下ろしているだけだった。
あの日、あの別荘で犯人らしき者が現れて以来、結局何も起っていない。日々は平穏に退屈と思うぐらい平和に過ぎて行っている。
梅吉はあの犯人の目的を達成させない為にも、勉強やスポーツをしっかりし、時に不本意ではあるがほづみの貸してくれる本を読み己のステータスを上げていた。
同時に、キャラクターとの好感度も上げるよう日々なんとかこなしている。どうしても毎日顔を合わせる担任の千景は上がりがちになってしまうが、同級生や先輩とも積極的に交流を持つようにしているし女の子キャラ相手にもぬかりはない。
最初その存在に気が付いた時には絶望的な数値だった自分のステータスも日々の努力が実ってかなんとか上がって来ているし、好感度もほとんどのキャラが悪くない数値を示している。
ただ、一人を存在を覗いては――……。
「なぁ、なんでお前の好感度そんなに上がんないの?」
思わずそう聞かずには居られない。基本的にキャラの好感度は遭遇回数だ。そして、遭遇回数で言えば彼はこのゲーム一だろう。しかし、彼の好感度だけはイマイチ伸び悩んでいる。
梅吉が見つめるのはまだ半分も満たされていないハートの表示。
「そー言われても、私の好みは頑張ってる女の子だからねぇ」
花園鈴之助の好感度の数値だけが一向に上がらないのだ。
「俺が頑張ってないとでも!?お前、実は俺の事嫌いだろ!?」
鈴之助のセリフに梅吉は思わずそう怒鳴らずにはいられない。こんなに頑張って、こんなに必死でステータスだって上げて、何故この男だけ好感度が上がらないのか。
「うーん……私も自分でよく分からないんだけどあれかしら?頑張ってる女の子じゃないから?」
眉を下げ、困ったように言われたそのセリフに梅吉ははっとする。
「お、俺の中身が男だからお前の好感度は上がらないと言うのか?」
心配になってそう聞けば、鈴之助は曖昧な笑顔のまま分からないと首を振った。
もしかしたら、これも例の『犯人』の仕業なのか、それとも単純に『鈴之助が梅吉の正体を知っている』からなのか。詳しい事は今は分かりそうもない。
「まぁまぁ、兎に角!私なんか後回しでいいから!」
結局そう誤魔化されて他のキャラの攻略に回るように言われたのだ。
納得いかないが、解決の仕方が分からない問題にいつまでも取り組み続けてもあまり意味がない。
梅吉が本当に女の子で本当に恋愛対象として鈴之助が好きならそれもまた別の話しだが、どんなに身体が女の子になっても女の子のようにお洒落をしても梅吉はどうしようも無く男だった。
男性キャラ全て『良い奴』とは思うが例えば『この中で誰と結婚したいですか?』って聞かれたら『そんな事考えた事も無かった』と答える。そのぐらい彼らは自分の恋愛対象ではない。
でも、嫌われるよりは好かれたい気持ちもあるし、これだけ毎日顔を合わせ話していて、唯一秘密を打ち明けたにも関わらず鈴之助の好感度が上がらないのは少しショックな気もする。
自分に対しする態度を見れば、別に嫌われてはいないだろうけど
「やっぱり、気持ち悪いとか思ってるのなぁ?無意識に」
そう思われても仕方ないとは言え
「でも、それをあいつだけには思われたくない」
とも、思うのである。
花園鈴之助と言う男は、私生活を女装で過ごす一般人から見たら『変態』の枠に入る男だ。その男に外見が女で中身が男の鈴之助を『気持ち悪い』と思う権利はないだろう。
向こうだって似たようなものなのだから。そう考えるとだんだんと腹立たしく感じてきて、梅吉は怒りのまま廊下をずんずんと大股で歩いた。
とにかく、今日は周でも誘って家に帰ろうと思う。
家に帰って、熱い風呂にでも入って美味しい夕食でも食べればこの腹の奥に渦巻く黒く重たいものも胃液に溶けて無くなってくれるだろう。
(そう言えば、もうすぐ半年か?)
このゲームの中に来て、それだけの年月がたった。
戸惑う事ばかりで、どうしようもなく疲れて、トラブルばかりだったけど現実より確実に濃い内容のある日々がここにはある気がする。この身体にも、この顔にも、寝起きする部屋や自分の家、母の作る料理にもすっかり慣れた。
それでも、現実を忘れる事がない。
これが、現実で、あっちがゲームの世界で帰る事なんて考えなくてよかったならどんなにいいだろう。そう思えるぐらい、ここでの日々は騒がしくも満たされる物があるのに、その度にどうしようもなく泣きたい気分にもなるのだ。
ゲームだから、この世界は現実よりもしかしたら美化されてるのかもしれない。
主人公だから、みんな自分に優しいのは当たり前なのかもしれない。
それでも、この世界の映像全ては自分の記憶の中にあったものを組み替えて見せているもので、ついこの前までの夏の濃い青い空も、この秋の高い空も、全部、元は自分のものだった筈で、それに気が着かないで生きていたんだと実感させられて悔しい。
人間関係も、幼い頃に一回の失敗で尻込みしてそれ以降誰の手も繋ごうと思わなかった。
これだけネットが発達した世界で、それすら拒否した自分はもしかしたら愚かだったのかもしれない。
どうせ誰にも理解されないと、いじけて、もう二度と傷つかないように予防線を張っていただけだ。確かにそうすればもう二度と傷つく事はないだろう。
いつだって、人を傷つけるのは人なのだから、傷つきたく無いだら誰とも関わらなければいいのだ。
でも、その代わりに梅吉の世界は狭く、小さくなってしまった。一人では空を見上げる事もその綺麗さに気が付く事無かった。
いつも、下ばかり見ていた気がする。自分の靴とその下に染みつく影だけずっと見ていた。自分はそうやってずっと下を見て生きていくのだと思っていたしそれに不満はんて無かった。
前を見れば見たくないものも見える。上を見れば、手が届かなくて悔しい思いをするような気がしていた。
影だけが、自分が踏みしめる最底辺の存在で、誰の上にも誰の目標にもなれない自分は影だけを踏みしめて安堵していた。
とりあえず立っている事に、そしてそうやって下を見て居れば自分よりまだ下があるのだと何となく安心出来ていた。
そんなものは、結局、なんの意味もない事なのに。そうしないと生きていけない。人は何時だって自分より下の者を探して、比べて、ようやく己の幸せに気が付くような生き物なのだ。
けれど、ここに来て、自分は少しずつ前を向くようになった。
灰色だった自分の過去の記憶に少しでも楽しいものがあったのかもしれないと思えるようなった。
きっと、現実の世界はここより彩度は落ちるだろう。
ここより厳しく、全ての人が自分に優しく寛容に接してくれる訳ではないだろう。理不尽な思いもするに違いない。現に、自分を殺したい人間が居てそもそも梅吉がここから出れないのはその人間のせいなのだ。
それでも、不思議と帰りたいと今も思っている。
生まれ変わったなんて大それた事は思っていない。ただ、少しだけ物の見方が変わった気がする。
どんなに辛い事があっても、理不尽でも、そういう辛い日でも世界は美しい。見上げれば、青空か夜空には星か月か、雨の日の雨音も、風の音も、生きているの実感できる大切なものが一つでもそこにあると気が付く事が出来たから、きっとおもう大丈夫だ。
きっと悩むし苦しいし、辛い事がこれからもずっとあるのだろうけど。
(あっ、真昼の月だ)
廊下の窓から、高い空の上に小さく白い半月が見えた。
こんな時間にもう月が浮かんでいるなんて、前なら気が付く事も無かっただろう。
それは立ち止まり、ぼんやりとその頼りない小さな月を見上げて居た時の事だった。
「あ!梅ちゃん!」
振りかえればそこにはほづみの姿があった、横には真澄も一緒だ。
「これから委員会だって、さっき放送入ったよ?」
行かないのかとほづみが視線で促してくる。
「え?全然聞こえてなかった!」
色々考え事をしていたせいか、すっかり放送を聞きのがしていたらしい。
一緒に行こうと言われて、特に断る理由もなく梅吉はほづみ達と一緒に生徒会室に向かう。
「でも、一体なんの会議だろ?」
文化祭は夏休み前に終わったばかりだし、他に学校行事などあっただろうか――そう思考を巡らせていると、
「体育祭の準備の話じゃないか?」
真澄がそう答えた。
「あー……そんなのもあったなー」
そう言えばと梅吉は自分が高校生だった頃の事を思い出す。最も、自分は三年間自分は当日休んで不参加を決め込んだが。
「どんな競技があるんだろうね?二人組になるのとかはちょっと嫌だな」
ほづみのその様子に、梅吉は自分を見ているようだと思った。
先生たちが無責任に言う「好きな人と二人組になって」と言う言葉が梅吉は昔から嫌いだった。
自分はいつもあぶれてしまう人間だから「二人組になって」とか「好きな人たち同士で班を作って」とかは一番困る。
そして、ほづみも同じ梅吉と同じ悩みがあるようだった。
「そしたら、俺が組んでやる」
少しだけ笑みを作って、真澄がほづみに柔らかく優しい口調でそう言った。
「ありがとう。でも男子と女子じゃきっと競技別々だよ?」
ほづみは一瞬驚いたような顔をして、それから直ぐに本当に嬉しそうに微笑んで真澄に応えていた。
きっと彼女は彼のこういう所が好きなのだろう。
「もし、そういう感じになったら、俺、ほづみちゃんと同じ競技選ぶよ。そしたら競技じゃない間は一緒に居られるしさ」
二人一組にと言われて、今の自分は特に困りそうもない。多分、七緒が自分と組んでくれるだろう。
でも、どうやらほづみはクラスで少し浮いてしまってるらしい。
確かに趣味はアレだが、彼女の性格事態にはなんの問題も無いのだが、どうも今のクラスに馴染めないようだ。
それはとても他人事に思えなくて、梅吉も何とか力になってあげたいと思わずには居られない。
梅吉の言葉にほづみはやはり嬉しそうに頷いてくれたから少しでも彼女の心を軽くできたならと梅吉は願って止まない。




