ナイチンゲールとばら 3
コロコロと髪型と髪色を変える先輩に練習に付き合ってもらいながらもいよいよ文化祭が始まりました。
目的が決まっている日々はどうしてこうも過ぎ去るのが早いのだろうか。
学校に行って部活をし、帰る日々は目まぐるしく過ぎて今日はついに文化祭の前夜祭。
明日は一般公開の本番だ。
「せめてうちのクラスの出し物が地味だったのが救いだよなー」
梅吉のクラスの出し物は「休憩所」と言うなんとも投げやりなものに決まった。机を四つ四角になるようにくっつけて、そこに椅子を四設置しそこにちょっとしたお菓子とジュースを用意しただけと言うかなり手抜きな仕上がりだ。
そういう机と椅子が教室内に六セット、黒板には休憩所と書かれて生徒の落書き。達者過ぎるモノからもはや何を書いたのか分からないもの、自分の名前など色とりどりに描かれていた。
鈴之助いわく、梅吉のステータスがもっと良かったならクラスの出し物もそれなりにちゃんとしたものになるらしいが、部活動にプラスして凝ったクラス展などとてもじゃないが体力が持たない。
だからむしろこれで良かったかもしれない。そんな事を思いながら梅吉はぼんやり教室に用意されたオレンジジュースを飲んだ。
クラスの他のみんなは居ない。みな校内を回りに行ってしまったクラス委員の自分は言うならば留守番をしているわけだが、喫茶や屋台も出ているのにわざわざ「休憩所」で休む生徒はいなかった。
賑やかな騒めきだけが梅吉の耳に届いている。
(あっ、なんか――)
ずっと忘れて居た孤独感を久しぶりに覚えた。疎外感、どうしようもなく自分は一人なんだと実感する。
でもあの時ほど不安を覚えないのは何故だろうか、確かに少し寂しい――しかし、自分が一人だと感じるのと同時に自分は一人でもちゃんと此処に居ると思言える。
上手く説明できないが生き居る感じが浮き彫りになるような、感覚がある。自分が今、此処に居て呼吸をしているのだと感じられるのだ。
(きっとこんな風に思えるのもみんなのおかげだ)
決して一人ではない。そう今は思えるからこの孤独感も疎外感もあの時程不安なものではない。
あの頃自分が不安になってしまったのは自分は一人だと思い込んで居たからからだ。
でも梅吉は一人ではない。そりゃ、ここはゲームの世界でこの世界から現実へと帰ったら自分には友達と呼べる人間なんて居ないし通っている予備校に行ったとしても誰かと仲良くなんて出来ないと思う。
それでも、梅吉はきっと一人ではない。家族が居るし、自分の心がけ次第で多分たくさんの人と出会い関わる事が出来るのだ。
今までの梅吉は過去の些細な出来事に怯えて自分から動く事を辞めた。もしかしたら誰かから手を差し伸べられた事だってあったのかもしれない。でもそれさえ信じられないと梅吉は回りを見ようとしてこなかったのだ。
それじゃ駄目なのだと此処に来て学べた気がする。ここはゲームの世界で誰もが主人公の梅吉に優しくて、それは当たり前の事だけど分かった事は優しくされたら嬉しいし好かれたら嬉しい。頼りにされたらやっぱり嬉しいし誰かが嬉しいと自分も嬉しい。
月並みだけど、だから少しでも喜んで欲しいと思うから梅吉は明日の軽音部のライブをなんとしても成功させなくてはいけなかった。
少しでも伝わればいい、あの日見たライブのように誰かの心を揺さぶる事が出来たらきっと最高だ。
「ああ、此処にいたのか、明日のライブの打ち合わせを、と思ったのだが――」
ガラリ音がして振り返ると教室の扉を開けた三郎の姿が其処にあった。
「スイマセン!自分、今店番なんであと三十分ぐらいしたら交代してもらえるんですけど」
誰かが来る可能性が低いこの教室に居る事にあまり意味を感じないが一応、生徒の荷物も置いてあるし誰も居ない間に室内を荒らされたりしたら文化祭どころではなくなってしまう。
「そうか」
それだけ言うと三郎は梅吉の向かい側の椅子に腰かけた。
「あの?」
てっきり教室から出ていくと思ったのに三郎にその素振りはない。
なんとなく気まずく感じて紛らわせる為に梅吉は目の前の菓子を摘まんだ。袋に入ったチョコチップクッキーだ。
「ほ、本当は係りは食べちゃいけないんですけどねーでもどうせ誰も来ないし、あっ、先輩もよかったらどうぞ」
気まずさから梅吉は早口にそういって、がさがさと袋を開ける。コミュ障気味の自分には彼ちょっとハードルが高すぎると思う。どちらかと言えば物静かなタイプだからだ。いや物静かと言うか無駄な会話はしないと言うべきだろうか。
今まではほっといての喋り出すキャラが多かったのだと改めて自覚する。そのおかげであまり沈黙を感じる事なく済んでいたいたのかもしれないが。
(まぁ、攻略キャラじゃないのが救いかな)
三郎の右下にはハートのゲージが現れてはいない。それはすなわち彼はキャラがちょっと濃いだけのモブキャラだと言う事だ。
(モブなら空気とか背景みたいなもんだよな――じゃあよくできた背景だと思う事にして)
なんとかこの気まずさを乗り越えられないかと考える。
背景、背景、背景、と自分に言い聞かせる。
が、
(ってできるかーーーーーーーーー!)
そんな事、できるはずもない。
七松三郎と言うキャラはあまりにキャラが濃すぎる。
それに、あの日言われた一言が未だ梅吉の心に引っかかっているのだ。
それを聞いてみたいような、聞いてはいけないような、いやきっと彼は千鶴を攻略するうえで重要なポジションにあるから、過去に何があったのかはきっと聞くべきなのだろう。
RPGで情報集めをする時のように無感情に話しかければいい。向かい合ってボタンを押すような感覚で「そう言えばこの間言ってた事って?」そう切り出すだけでいい。
そうすれば、この気まずい沈黙も情報収集もできて一石二鳥だ。
(向かい合って、ボタンを押す。向い合ってボタンを押す。向かい合ってボタンを押す。向かい合ってボタンを押す。向かい合ってボタンを押す。向かい合ってボタンを押す。向かい合って――)
「この前言った事だが」
--と、口火を切ったのは以外にも三郎だった。
「あっ、はい向かい合ってボタンを押せばいいんですよね?」
「え?ボタン?」
しかし咄嗟に話しかけられたせいで梅吉はさっきまで自分に言い聞かせていた言葉を口から零してしまう。
「うわっ!何でもない!何でもないです!」
己のマヌケさに恥ずかしくて顔が熱くなった。きっと今、梅吉の顔は赤面しているだろう。
「耳まで赤い」
フッっと三郎が笑って、途端に空気がさっきよりいくらか柔らかくなったような気がした。
「あはは、馬鹿ですよね。ほんと」
頭を掻いてそう誤魔化すように笑えば眼鏡の奥の瞳が眩しいものでも見るかのように細められたような気がした。
「君には悪いことをしたと思って、大分噂になってるしつい知ってるかと思って、雰囲気に流されて言ってしまったけど――そんな事聞いたところで困っただろうと後から後悔してね」
昔、千鶴の周りでよくない噂がたったと言う。今は性格は破城した変態としか思えない真崎千鶴だが彼の話によれば昔は結構な人格者だったらしい。でもその噂がたった瞬間に彼を慕っていた者たちは彼から離れていったらしい。
その噂の内容は『千鶴の親の会社はもうすぐ倒産する』と言うもので、結局、千鶴を慕ってた者たちは家が裕福と言うブランドに憧れていたのかもしれない。噂の内容よりも世間の反応に千鶴は傷つてしまったようだった。
そして何より噂を流したのが自分が幼い頃から一緒に居た無二の親友だと思っていた『七松三郎』だと言う事実が千鶴の性格をとり難解に捻じれさせてしまった。
何故三郎がそんな事をしたのかは今はまだ分かっていない。その理由を聞いていいものかどうか、今梅吉はすごく迷っていた。
「忘れてくれたまえ」
ぽつんと教室内に響いたその声はよく通るテノールででもなんだか泣いてるみたいに聞こえた。
「あの、聞いても絶対、俺、解決なんかできないし、たぶん自分が聞きたいって言うだけの理由の方が強いし、先輩の助けになんか絶対なれないと思うけど、言ったらスッキリするって聞くし、あの、だから!」
ああ、自分は一体何を言っているのだろう。
話を掘り返す事で三郎は傷つくかもしれないのに――…。
三郎はきっと本当に千鶴の事が嫌いで陥れたくてそんな噂を流したわけではない――と勝手に思っている。
だって嫌いな相手なら未だに交流を持ってる筈はなくて――。
だからその話はきっと三郎にとっても傷になってい居る筈なのだ。
そんな話を果たして自分が聞いてもいいのだろうか?だって千鶴の事も三郎の事も梅吉はまだ上辺しか知らない。
「俺、ずっと考えてて、なんで先輩そんな事したんだろうって、考えてて、でも俺に分かる筈なんかなかったんです。俺は人を好きになる事も嫌いになる事も拒否してたから」
そう、自分が傷つかない為に誰の事も好きにならないようにした梅吉は誰かを憎いと思った事もなかった。意識して他人には無関心を向けずっと自分を守ってきた卑怯者だったから。
「だから多分、解決なんかできないし聞くしか、本当に聞くしかできないけど嫌じゃなかったら、俺の事はよくできた背景だと思って言葉に出して吐き出して下さい」
そうすれば少し楽に、彼が少し楽になるんじゃないかなんて、梅吉の勝手な思い込みでしかないけれど。
「ありがとう。すごく気を使ってくれたみたいで嬉しいよ」
彼はトレードマークともいえる眼鏡を外して、ポケットから出したハンカチでレンズを拭き始める。
(や、やはりイケメン!)
眼鏡をとった三郎はそうなんじゃないかと思っていたがやはりイケメンだった。
洋風な顔が多いこのゲームの中、かれは割と和風な顔立ちだと思う。一重だが涼やかな瞳に元々バランスのよかった鼻と唇、たぶん七三分けになんてしてなかったらもっとかっこいい筈だ。
「噂、聞いたかな?それ通りなんだけどね。父にそういう噂を流すように言われたんだ。株の操作でね。父も人に頼まれたらしい一回きりだからと頼み込まれて根負けしたようだ。僕が学校、父が業界に噂を流したからそうとう真実味があったと思うよ」
ありすぎて、一時期は本当に千鶴の親の会社は危なくなってしまったらしい。
「でも、そしたら仕方ないんじゃないですか?親に言われたら子供は嫌とは言えないし、自分も母親に学校帰りとかにお使い頼まれて、それがおひとり様九八円の卵で、ものすごい並んで買わなきゃいけなかったんですけど、嫌だなぁーって思いながら買いましたから」
勿論、三郎の話はそんなレベルの低い話ではないとは分かっている。
梅吉がそう無理やりに共感するように言えば彼は肩を震わせクスクスと小さく笑った。
「でも、父は嫌ならそんな事はしなくても良いと言ってくれたんだ。もし僕が『嫌だ』と『そんなことはやめましょう』そう言ったなら父も実行しなかったかもしれない。でも僕は『分かりました』そう返事をした」
つまり三郎は自ら進んで行動したと言う事になる。やらないと言う選択肢を与えられながらやる方を選んでしまった。
「なんで?」
零れた疑問の言葉は無意識だった。
だって彼はそんな風に見えない。事実自分の行いを悔いている様子さえあるのに――。
「何故だろう――人に囲まれて尊敬される千鶴が羨ましかったのかもしれない」
子供だったから、自分でもその時の心理は複雑すぎて上手く説明できないと三郎は言う。
「心のどこかで千鶴がその噂によって孤立する事を望んでいた。あいつが人に囲まれるのはあいつの才能なんかじゃなくて親が偉いのだと自覚したらいいと言う醜い考えもあったのかもしれない。でもいざそうなったら正直内心焦ったよ――自分でやっておいて本当に馬鹿らしい話だ」
三郎は自嘲的な笑みを浮かべる。
「ごめーん!月見里さん!当番変わるね!」
教室の後ろの方の扉が空きクラスメイトが急いだ様子で室内に入ってきた。
「さて、明日のライブの打合せをしよう」
三郎は立ち上がり、梅吉に背を向ける。
「あっ、はい」
梅吉はその背を追うように教室を後にした。
廊下はいつもの休み時間の時より活気があっていろんな学年の生徒が行き来している。
三郎は千鶴が嫌いだったのだろうか?と考える。嫌いか好きか、それはよく分からないけれど多分嫉妬はしてたかもしれない。でも相手に関心があると言うのはそれだけですごい事な気がする。
好きでも嫌いでも関心があればそれはどうにでもなる。嫌いなものが好きになり、好きなものが嫌いになる。どちらにも転ばない無関心よりそれは可能性があるような――。
(きっと先輩は、千鶴事は本当は嫌いじゃないんじゃないかな?嫌いじゃないからこそそんな事をしてしまったのではないか、本人は嫉妬って言うけど)
それは嫉妬より独占欲に近いような――……。
ほづみが聞いたら喜びそうだと思わず梅吉は頬を緩めた。
音楽室に続く廊下はだんだんと人が少なくなって、ついに歩いているのは三郎と梅吉だけになる。
「ありがとう」
背中を向けたまま三郎が言った。
「言葉にしたら自分の気持ちが少し整理できたような気がするよ」
そう振り返った彼の
(――――え?)
右下には見慣れたハートのゲージ。
(カクシキャラッテヤツ?)
思わず脳内でカタコトになる梅吉の耳に前夜祭のざわめきが遠く聞こえていた。




