それでも世界はまわるので
ジェニファーの飼い主も無事見つかり、未だ未来に波乱を感じながらも時間は確実に経過していく。
くるくると世界が回っていて、いつから地球の自転はこんなに早くなったのだろうと――朝目が覚めて思ったのはそんなこと。
「おはよう梅!」
そして聞こえてきた周の声に今の時間帯を知るのだ。
三つセットした筈のアラームはいつの間にか沈黙している。消したことも覚えてなければ鳴ったことさえ覚えてない。
仕方ない、今日は久しぶりに周と登校するしかないと身体を起こした瞬間、
「うぇっ」
突然の吐き気に梅吉はそのままうづくまる。頭が酷く重たいし、身体がだるいそう言えば昨日も微かに具合の悪さを感じていたが、頭を下げさせられて頭に血が上ったせいだと思い込んでいた。
「ど、どうしたの!?」
周が慌ててかけよってくる。
「具合悪いの?学校休む?」
梅吉の顔を覗き込んできた周の表情は今にも泣きそうな子供のようだった。
「だ、大丈夫」
今日は生徒会があると昨日、ほづみと真澄が言っていた。メンバー的に逃げたいのは山々だが、もう逃げないと決めたのだ。ちょっとした体調不良ぐらい。
ベットから出て立ち上がろうとした瞬間、くるりと視界が回ってベットの上に仰向けになっていた。
頭が痛い。胃が気持ち悪い。関節が痛い。身体がだるい。
「大丈夫じゃない!大丈夫じゃないよ!」
周の声が頭に響いて、頼むから大声を出さないでくれ、そう思うけれど言葉にもならない。
(そういえば喉痛い)
唾液を飲み込む度に覚える喉の痛み。これは完全に、
(風邪引いた)
熱を測れば三九度五分――結局その日、梅吉は学校を休む事になった。
父は仕事、母は今日に限って知り合いの法事の手伝いをしに行かなければいけないようで家は梅吉一人だった。
別に自分はもう留守番のできない子供ではないし、そもそも家族と言っても擬似的なものだし、一人の時間は嫌いではない。
(なのに、なんで――)
病気の時はこんなに心細いものなのだろうか。
静まり帰った家の中、聞こえるのは呼吸音と咳、どちらも自分もので、一際孤独を実感させられる。
(今更寂しいとか)
そもそもこの世界に入った時から自分は一人、孤立した存在で、現実でたって人との関わりは少なかったし、一人でいる事は多かった。
寂しいと感じる事なんてここ数年無かった筈なのに、
(弱ってるから)
女の子になったから、賑やかでいつも誰かが傍に居る事に慣れてしまったから、病気になったから――弱っているだけだと自分に言い聞かせる。
ゲームから出れたら現実が待っていて、あのただ自分の事だけに集中すればいい時間がまた過ぎていくに違いない。そうしたらこんな胸の中に穴が空いたみたいな感覚は直ぐに忘れてしまう。
(所詮人間なんて生まれてから死ぬまで一人なんだし)
それは呪文。一人で生きていけるようになる為の呪文。こんなに弱くなってしまうなら、やっぱり人と関わるのなんて怖いと思わずにはいられない。
今はみんなの感情が、自分への重いが、グラフになって見る事ができる。ゲームだから現実じゃないから、みんな梅吉に優しいのは当たり前だし、嫌な事もしない。
昨日の百花の叫びは自分の叫びと同じだった。
みんな悩んでると真澄が言った。生きている以上一生それはついて回るのだと、本当にそうだとしたならやっぱり自分以外の人達は凄いと思う。自分にできるかどうか分からない。
今は人との繋がりで得るものよりも、失うものが怖すぎて――……。
(ねよう)
きっと体調が悪いから心も弱っているのだろう。さっきからネガティブな考えしか浮かばない。早く体調をよくしなくては、梅吉にはやるべき事が山積みになっているのだから。
瞼を閉じる。なるべく何も考えないようにする。外から強い風の音が聞こえていた。
(春の嵐だ)
ぼんやりとそんな事を思いながら意識を手放した。
子供が眠っている。畳み張りの部屋の真ん中に布団を敷いて一人、枕元には洗面器と薬、子供は具合が悪そうにぐったりとしている。その子はは小さい頃の梅吉によく似て居た。
(ああ、これは)
過去の記憶だ――見覚えのある風景に梅吉は思った。似ているのではない。それは小さい頃の梅吉だった。
梅吉の家は母子家庭で父は梅吉が小さい頃離婚して出ていったきり会っていない。今時そんな家庭は少なくないし特にその事は負担だと思った事はない。
けれど、兄弟二人を養う母の仕事は看護師で夜勤もあったため、子供だけで留守番をさせるのは不安だとよく祖母の家に預けられていた。
祖父母の家は古い家で木の梁がむき出しの古民家だった。場所も電車が一時間に一本通ればいいぐらいの田舎の山奥の静かな場所にある。それも去年、祖父が他界して8年一人で暮らしていた祖母も去年亡くなったために取り壊され今は更地になっているが。
だからこれは思い出だと直ぐに分かった。
そして、目の前の光景の日の事を梅吉は覚えている。
(ああ、この日は)
そうこの日、梅吉は風邪を引いて熱を出してた。
いつもは祖母の家に来たなら祖母と祖父、そして桜子と四人で並んで寝ていたのだけど、風邪が染るといけないからと梅吉だけ隔離されて別の部屋で眠っていたのだ。
風鳴りが聞こえた。そう言えばこの時も丁度春で、強い風が吹いていた。
(それで――)
子供が起き上がる。元から具合が悪くて深く眠っていなかった。瞼を綴じたら悪夢ばかり見ていた気がする。もちろんこの時の夢の内容までは覚えてはいないけれど、目覚めた瞬間に身体が固まってしまったかのような恐怖だけは未だ覚えている。
それぐらい怖かったのだ。
子供はしばらく固まって、天井をじぃっと見つめた。
ひゅぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおぉぉぉ。
悲鳴のような風の音に子供は肩をびくりとさせて怯えた。
風の音、猫の声、虫の囀りもすべてこの年代には恐怖でしかなくて、じっとしていられずに子供は立ち上がり駆け出す。
(そうだ、この日は確かじーちゃんは村の組合の飲みとかでいなくて俺の熱を心配したばーちゃんが桜子連れて医者呼びに行っちゃって)
家に一人きり、心細さに子供は泣いた。
泣いても泣いても誰も現れてはくれない。
しゃくりあげて、鼻水を垂らして、顔がぐしゃぐしゃになりながら、祖父を祖母を妹を、そして母を呼んだ。
この時の自分は風の音が怖かった以上に一人でいる事が怖かった。
誰でもいいから傍に居て欲しいと思っていたのだ。
いつから一人に慣れたのか、いやもしかしたら慣れてなど居なかったのかもしれない。
忘れていただけだ。
忘れようとしていただけだ。
人は一人じゃ生きられないなんて言葉は大嫌いだ。人と言う字はお互い支えあってるなんて言葉を耳にしたのなら「あれは人が立ってる姿で支え合ってるわけではない」と言ってやりたくなる。
それでもやっぱり一人は寂しい。
(一人は、いやだ)
『どうしたの?』
駆け出した玄関、子供は一人の青年と対面している。
『みんな、どっか、いちゃった』
(こんなことあったけ?)
『大丈夫、みんなすぐ帰ってくるから』
(俺、覚えてない)
青年の顔はよく見えない。これが記憶なのか、それとも梅吉の願望からできた夢なのかもよく分からない。
『みんなが帰ってくるまで一緒にいてあげるよ』
低いけれど優しい声だった。
『大丈夫』
額に誰かが触れていた。
母か父か周か、それとも他の誰かだろうか。
今はとにかく眠くて仕方ない。
身体が重たい泥のようで思考は再び底へと沈んでいく。自分の熱で暖まった布団が心地よくてたまらない。
(ああ、気持ちいい)
こうして頭を撫でられるのなんて本当にいつぶりだろうか。もしかしたらコレも夢なのか、そもそもこのゲーム自体夢みたいなものだけれど。
「大丈夫」
そう鼓膜に届いた声はあの夢の中の声とよく似て居た。
翌朝の目覚めはスッキリだった。身体のだるさも熱ももうすっかり下がっていた。
喉だけは未だ痛みを覚えたからマスクをして梅吉は学校に行く事にする。目覚ましをかけ忘れたせいで結局、幼馴染の迎えを許してしまい仕方なく周と学校へ向かう。
「なぁ、お前、昨日俺の部屋に来た?」
登校途中そう聞く。
「いや、染るといけないからって」
周は首を横に振る。表情を見る限り嘘はついていないようだった。
(じゃあ、あれは)
本当に夢だったのだろうか、それにしては触れられた感覚がまだ残っている気さえする。そもそもあれはどこからが記憶でどこからが夢だったのか、あの夢の中の青年は一体誰だったのだろう。
記憶を探ってみても小さい頃の記憶は断片的でおぼろげで、よく思い出せない。
春の強い風はまだ吹いていた。けれどその空気の中に暖かいものを微かに感じる。
(まっ、いっか)
久しぶりに丸一日眠ったおかげで、肉体的にも精神的にも大分回復したらしい。
今は小さな事を考えても仕方ない。前を向いてただ歩くしかないのだと昨日のネガティブな考えを吹きっ飛ばす。
ゲームだろうと現実だろうと時間は経過する。世界は回る。朝が来て夜を迎えまた朝が来て、繰り返しながら少しずつ変化していくのだ。
季節は巡り、月日は過ぎて、少しずつ少しずつ何かしら変わる。それは時にいい事であったり悪いことであったりするけれど、梅吉も今は止まることなく進んで行きたいと思った。
理想の人間にその結果なれるかどうか分からない。そもそも自分の理想と言うものもよく梅吉が分かっていない。でもこのままではダメなことだけはよく分かったから、少しずつでも変わっていけたらいいと思う。
出来れば自分が後悔しないような変化をいや、進化をしたい。
「おーし!今日も一日頑張るぞ!」
すっかり回復した梅吉、今なら真崎ブラザーズだろうが腐女子と不良だろうが相手できそうな気がする。
「あっ、そう言えば昨日は生徒会長が急用ができたとかで結局生徒会無かったんだよ。だから今日の放課後だって」
周が思い出したように告げる。
「え?てかなんでお前、生徒会とか知ってるの?」
行かずに済んだかと少し安心していたイベントはどうやら強制イベントのようで――しかも、
「だって俺、一組のクラス委員だし」
出現キャラ勢ぞろいのこのイベントに嫌な予感しかしない。
(なんか、また具合悪くなってきたかもしれない)