op.7 練習の始まり
ガラッ
勢い良く音楽室の扉を開ける。圍も芳も、まだ来ていない。
「気合、入れ過ぎたのかな…」
少し恥ずかしい。こんなにも今日という日を待ち望んでいたなんて、自分でも思わなかった。
気を取りなおして、すぐにスタジオに行く。昨日の雰囲気のままの楽器が置かれていた。また歌えるのだと嬉しくなり、興奮しだす。
「まだ来ないよ…」
午前十時。集合は九時半だった筈だ。彩音はもう一時間も待っている。暇なのでキーボードのスイッチを入れ、弾く。
「ドーレーミーファーソーラーシードー」
音程は狂ってないし、声も出る。早く、早く歌いたいと気持ちばかりが焦る。
そして、ふと気付く。
「私、一人で歌ってたんだよね…」
昨日まで、一人で歌うことが大好きで堪らなかったのに、忘れていた。ここならキーボードがあるから適当に音を確認しながら歌うことが出来る。
昔、母親に買ってもらったディズニーの楽譜。初心者の曲から、少し難しい曲が入っているが、彩音は右手だけで弾くのが精一杯だ。
バサッ
楽譜を広げ、譜面台に立てかける。慣れない手付きでたどたどしく弾く。
「あっ、指が足りないよ。指遣いとかどうするんだろ…」
ぼそぼそと独り言。
ガラッ
「おはよーっ。って彩音、キーボード弾けないんだ?」
サバサバした喋り方で、明るく笑いながら彩音に近づく圍。
「何々?ふーん、ディズニーかぁ…。めぐは『星に願いを』とか弾いたな」
ずけずけと入りこんで来ても、彩音は気にしない。逆にその態度を嬉しいとさえ思っている。
「あの……。一回、弾いてみてくれる?」
おずおずとお願いしてみる。圍は軽く、おう、と言いキーボードーの正面に立つ。
♪♪♪
心地良いテンポで曲が流れる。乗ってきた圍は、アドリブを入れまくり、より楽しい音楽へとしていく。
「こんなもんかな。……お、芳、遅いぞ!もう十一時過ぎてる」
音もなく現れた芳に、圍が話しかける。彩音は芳が来たことに気付いていなかった。
「あぁ、悪い。母ちゃんが色々手伝わせるもんだから…」
「何ごにょごにょ言ってるのさ!さっさと始めよう。スコア作って来たんだろう?」
圍は芳の言い訳を遮り、スコアを要求する。
「スコア…?」
耳にした事はあるが、よく知らないので彩音は圍に質問した。
「うん。スコアってのはな、指揮者が持ってたりする、色んなパートの楽譜が一つになったもんさ。日本語だと総譜ってゆうんだ」
「そうなんだ…」
スコアを見ると、タイトルに『扉の向こう』と書かれていた。
芳は彩音の目をしっかりと見て、こう伝えた。
「彩音が歌った詞を入れてみた。歌詞はちゃんと、考えてもらおうと思って」
(私が歌詞を考える…?)
彩音は戸惑った。ただ、零れて行く存在としか見ていなかった詞を、どう拾い集めて行けば良いのだろう。
「ふぅ〜ん。じゃ、ぼちぼち考えてみといてくれよ。さ、合わせようぜ」
歌詞のことが頭に引っ掛かりながらも、早く歌いたかった彩音は即座にマイクを持った。
「あ、ごめん。ギター、チューニングするから…。それと圍、メンバーにベースかドラムやれる人入れたい」
芳が少し慌てながら、圍に伝える。
「はぁ?なんでさ。どれも芳が出来るだろ」
「いや、俺にはたくさんの手がないから…」
すこし天井を見て、考える圍。
「……あぁっ!そか、一つしか楽器出来ないもんな。ま、曲によって変えるしかないんじゃん。いきなりメンバー増やしたら不安定になるし、だいたいメンバーになれるヤツなんてそうそう見つからないだろうさ」
「だから、頭に入れておいて欲しい。今すぐじゃない」
ぺらぺら喋る圍を声の低さで抑えるかのように、短い言葉で応え、チューニングを終わらせる芳。
「はいはい。じゃ、始めるか」
彩音は圍と芳の遠慮の無い会話に憧れながら、歌を歌い始めた。
スッキリと響くその歌声は、青い空に吸いこまれて行った。