op.2 純粋な笑顔達
「ふぅ…」
清々しいのだけど、同時に空虚感も味わう。
何故なら今歌った歌をもう一度歌うことが出来ないから。
ワンフレーズだけ覚えていることはある。でもそれもすぐに忘れてしまう。
歌っているときは力強いのに、終わった途端に儚さを持つ。
でもこの爽やかな風に吹かれながら歌うことは、何にも変えられないと思う。
とさっ
砂浜に腰を降ろし、遠くまで目を凝らす。
小さく漁船が一艘見えるだけで観光客はいない。夏休み中だからシーズンだろうに、人っ子一人いないなんて、実は穴場だったのかもしれない。
「眠い…」
ぽつり、呟く。
誰もいない自分だけの空間。
なんて心地よいのだろう。
おばちゃんの家に帰るのはまだ後で良い。
今だけは本当の自分でいたい。人と話すなんて煩わしいことでしかないのだから。
どさっ
今度は勢い良く寝転ぶ。
洋服が砂だらけになるだろうが気にしない。
どうせ古いタンクトップと短いジーパンなのだし。
ふと気付いて新しいサンダルを脱ぐ。
これはまだ汚すわけにはいかない…。結構気に入っているのだ。
目を瞑ると、太陽の光を感じながらゆっくりと眠れそうだった。誰もいないのだし寝てしまおうか…。
ふっ
太陽光が遮られる。反射的にパチッと目を開ける。
「ふゎっ」
息を吸い込みながら、声にならない驚きの声を出す。
それもその筈、見知らぬ少年が顔を覘きこんでいるのだから…。
「あーなんだ、起きてたかっ。具合悪いかと思って来てみた」
にこにこ笑って、良かった良かったと言ってくる。彩音と同い年くらいだろうか。
なまっているわけではないのだが、特徴のあるのんびりとした話し方をする。
「あの…近いんですけど…」
寝ている彩音の頭の方に立ち、覘きこむ少年の顔は彩音の顔と十センチ程しか離れていなかった。
下手に動くとぶつかってしまいそうだったので身動きがとれないでいた。
「んー?あぁ、悪かったな」
少年の黒く焼けた健康的な肌は、白い歯をより惹き立たせた。
顔はきりっとしまっていて整い、格好良い部類に入る。
「お前、越して来たんか?」
「あ、うん。よろしくね」
起き上がりながら、いつもの笑顔を浮かべる。
「おうっ」
にかっと笑う少年の顔は汚れを知らない純粋な顔だった。
「俺、土屋健太。中二」
彩音の自己紹介を待っているようだったので、
「高梁彩音、十四歳。それじゃぁ…私帰るから」
さっさと立ち去ろうとする。
折角良い気持ちで、新しい場所を満喫していたのに。この、健太とかいう少年のせいで台無しになってしまった。
この辺には中学校は一つしかないというからきっと同じクラスになるだろう。
「おーそっか。じゃぁまたな」
にかっ
白い歯が輝く。
こういう素直な人とはあまり話したくない。
自分のペースを乱されそうだし、何より……。
「…まぁ、いいや」
同じクラスだろうがただ笑顔を作って生活すれば良い。
面倒に巻き込まれそうになれば真顔に戻る。
そうすればあっちが驚いて近寄らなくなるだけだ。
「只今」
台所で音がする。
トントン…
包丁とまな板の音。
お味噌汁の良い香りもする。
彩音は好き嫌いも食物アレルギーもないので何も心配することはない。
静かに階段を上り自分の部屋に行ってみる。
カララ…
木の板が部屋をしきっていた。少し古ぼけた机と椅子。ライトもちゃんとついている。
窓を開けると涼しい風が流れてくるこの部屋は日当たりも良く、快適に暮らせそうだ。部屋は四畳半あるし問題無い。
「あー…着替えなきゃ」
さっき砂浜で寝転んだことを思い出す。
ぼそぼそと独り言を言うのは癖になっているようだ。
薄い生地のワンピースをさらっと着る。
黒く長いストレートの髪は痛みを知らず、洋服の黄色とよく合う。
一人床に座り、ぼーっとしていると、ドタバタと階段をかけあがる音がした。
ガラッ
「彩音ちゃん?!あっいた!元気?澄海だよっ」
柳瀬澄海。おばちゃんの一人娘で彩音の従姉妹。彩音と同い年だ。おばちゃんが初めてここに来たとき、あまりにも海が澄んでいたからとつけた名前。その話を聞く度に、彩音はなんて単純なのだろうと呆れてしまう。
「どぅしたの?疲れた?」
賑やかに人を和ますことが出来る子だと、誰もが喜んでいたっけ。彩音にとっては騒がしいだけなのだが。
「あっ、ごめんね。澄海ちゃん久しぶりだなーって思って」
慌てて笑顔を作る。
この子とは仲良くしなければならないだろう。
もっとも、彼女は名前の通り心がきれいな子なので嫌われるとは思わないが。
「ほんとー懐かしいよねっ。夏休み終わったらさ、毎日一緒に学校行こうね。澄海、ずっと今日を楽しみにしてたんだぁ〜」
夢を見るような顔で彩音に話しかける。テンションも声も高い。
「そだね、楽しみ」
こんなに煩い子だったかな、と彩音は思いながら話を合わせる。
「そうそう、今日も川で遊んでたんだけどー、明日も行くから彩音ちゃんも行こっ。
友達に紹介したいな。彩音ちゃんってきれいだから皆ビックリするよぉ〜」
何がそんなに楽しいのか、彩音はわからなかった。
自分のことをきれいだなどと言う意味もわからないし、川で何をするのかもわからない。この子と一緒に暮らせるのだろうか…。
「あ。そだ。もう夕御飯だって。行こっ」
唐突に話を変え、部屋を出て行く。
さっきの少年はのんびりしていそうだったが澄海は早口でせわしない。正直、疲れる。
「彩音ちゃぁん??早くぅ」
階段の下から声がする。
これからの生活が不安になってきた。
高校生になったらこの田舎を出て一人暮らしをしようかと本気で考え出した彩音だった。




