op.18
「澄海!澄海っ!」
出来るだけ大きな声で叫ぶ。
がたいの良い芳から出る声は、どこまでも届きそうな程で、まるで吠えているようだった。
そんな声で名前を呼ばれては恥ずかしくて敵わない。
慌てて後ろを振り返って立ち止まり、
「やめてっ」
と顔を赤らませながら叫んだ。
「ごめん…つい。どうした、澄海らしくない」
大股で近付いてくる芳は息切れもせずに涼しい顔をしている。
「顔も赤いし熱中症になるぞ。上がってけって」
本気で心配している大きな瞳。
澄海は、顔が赤いのは別の理由なのにと思いながらも従った。
「お邪魔します」
またさっきの家に戻り、敷居をまたぐ。
「ちょっと芳、あんた恥ずかしいねぇ。あんな風に名前を呼ぶもんじゃありませんよ」
悪かったねぇ、と澄海にも話しかける芳の祖母、カネ。
誰にも聞かれていないだろうと思っていた澄海は、再び顔を赤らめた。
「ばあちゃん、体調悪いみたいだからさ、休ませてやってよ」
澄海のことをカネに任せ、自分は台所に向かう。
カランと耳に心地良い音が何度かして、お盆を持った芳が居間に戻ってきた。
「これな、ばあちゃん特製の麦茶なんだ。すっきりする」
ガラスのコップに麦茶を注ぎ、澄海の前に置く。
「あ…ありがとう」
最近は芳や圍と仲良くなった澄海だが、ここまで優しくしてくれるのは初めてのことだった。
「ゆっくりで良いからお飲み。こう暑くっちゃすぐ脱水しちゃうからねぇ」
にこにこ笑うカネは、もう八十をとうに過ぎているというのに若々しい。
芳と二人きりの家族だから簡単にはくたばらないと豪語しているらしい。
こくっと一口飲み、味わってみる。
氷でひんやりと冷えた麦茶はすきっと喉元を通りすぎ、まろやかだ。
「すごい…美味しいです」
市販の麦茶はもっと棘っぽい味だと思う。
「愛情かけた麦に、隠し味をブレンドしているからねぇ。そんじょそこらの物とは違うはずさぁ」
満足そうに笑いながら説明をする。
「ふあー、美味しかったっ。生き返りました」
確かに脱水していたのかも、と澄海は思う。
朝起きた時に一杯の紅茶を飲んだきりだったのだ。
「うん、良かった。俺も飲もう」
澄海のコップにも注ぎ足し、カネには氷を入れずに注ぐ。
「あ、そうだ。今日もバンドの練習するけど来るか?」
何ともなしに澄海を誘う。
「えっ、行って良いのっ?!」
仲良くなったとは言え、圍とは見えない壁が立ちはだかっているし、練習を見にいくことは無かった。
「あぁ、これも圍に見せなきゃいけないしな」
ぴらっと彩音からのルーズリーフを片手で出す。
「え?それはお手紙でしょ…?」
手紙を人に見せるなんていけないことなのに。
一瞬澄海は芳を咎めそうになった。
「いや、歌詞」
ほら、と澄海に見せる。
「貴方に伝えたい想いが…。ほんとだ、ラブレターかと思った」
冗談で芳に伝え、ルーズリーフを返す。
自分でそう言ってから、気付く。
ラブレター……?
「あぁ、そうだな。俺の曲にぴたりと合う」
芳は何も感じずに彩音の才能を喜んだ。
「俺と圍で色々考えたがなかなか上手くいかなかった。これで明日はライブが出来る」
嬉しそうな芳。
「そうだね、めぐちゃんも歌上手いもんっ」
ライブが見られる、そのことはとても嬉しい。
澄海は芳たちにライブをやってほしいと何度も励まし、それで圍が歌う気になったのだから。
「じゃあそろそろ学校に行くか」
立ち上がり、コップと麦茶を素早く片付ける芳。
「行ってらっしゃい。今日の晩御飯は鰈の煮付けだからね」
玄関でカネがにこやかに送り、芳と澄海は学校へ向かった。