op.14
「彩音ちゃぁん、芳君来たよぅ!」
階段の下から大きな声で部屋にいる彩音を呼ぶ澄海。
「よ…芳君?」
ぽつりと独り言を洩らしながら立ち上がり、階下へ向かう。紛れもなく芳が玄関に立っている。
「えーと…」
いらっしゃい、と声を掛ければ良いのか戸惑う彩音。
芳も緊張によって少し顔が硬くなっている。
「ちょっと、話があって来た」
外で話そう、と首をしゃくって振り向き、戸に手をかける芳。
彩音は慌てて階段を降りきり、小走りに背中を追い掛ける。
あの会話がされてから一日経った夜。
学校では狭い校舎だから何度も出会うのだが、圍は堅く口を閉じ、強く前を見据えるだけだった。
彩音も目を合わせることが出来なくて廊下ではずっとうつむいていた。
芳はその二人の状態を見てどちらに対してもいたたまれなくなったのだ。
「あのな」
澄海の家の前の道路をゆっくりと学校の方向へ歩く芳。
彩音はつっかけを足に滑らせ、急いで追った。
まだ七時だが街頭のまばらなここでは暗闇に包まれる。
星と月が二人をほんのりと包み、蝉が遠くで穏やかに鳴いている。
「彩音は本当に歌を歌わないのか」
静かに尋ねる芳。
「歌いたいけど…ただの趣味、だし…」
自分で言いながらも胸が締め付けられる。
ただの趣味。そう、そんな存在でしかないのだと思い知る。
「――どうしてそう思い込む。彩音は趣味のレベルを越えている」
「そんなことない。それは芳君だよ」
「彩音、本気か」
少し語気を強くして鋭く訊く。
「うん…」
後ろ髪を引かれる思いを持ちながら小さく頷く。
「どうして…。そんなにも、そんなにも魂は叫んでいるのに」
魂が……?
芳の熱を持った声に心が揺さぶらされる。涙が溢れ出しそうになる。
やだ、泣かない。
泣くわけにはいかないと彩音は思う。
泣いたらもう歩けなくなるから。歌いたいと…思ってしまうから。
「あ…たしは、受験をするの。勉強に集中する為にここに来たんだもの」
目的を見失ってはいけないんだ、と自分に言い聞かせる。
今まで何を思って生きて来たのか、忘れてはいけないから。
「本気なんだな」
彩音の真意を読み取る為にじっと目を見つめる芳。
暗がりの中でもその瞳の強さは健在で、逆に引き立ってさえ見える。
「うん、本気」
彩音は歌への想いを断ち切るかのようにハッキリと告げる。
「分かった、模試頑張れ」
「ありがとう」