08 言葉
「怖かったろう、こんなに血まみれになって。ああ、そんなに顔を擦ってはいけないよ」
ベリャーエフが優しく声をかけ、シュダを落ち着かせる。
「この死骸は全部そいつがやったのか」
ローデヴェイクが尋ねると、ベリャーエフは頷いた。
「シュダは感情が高まるとよくこういった粗相をしてしまうんです。けれども自分から手を出すことはないはずですから、相手方がなにかしたんでしょう」
「こ、この人たち、ぐすっ、無理やり引っ張ってきて、わ、私をとりかこんで…」
シュダはいまだ赤黒く濡れている両手を握りしめ、泣きすすりながら言う。よく見れば血濡れた服は所々やぶけ、襟元が大きく開いていた。
「私、ちゃんと嫌だっていって、でもまた殴られそうになって、だから前にべーさんにいわれたとおり突き飛ばしたら、勢いついて潰れちゃって、そしたら、ぐすっ、止まらなくなっちゃって、せっかくだから、もっとキレイにしようと思って、手が伸びちゃって、夢中になっちゃって…うう、ひうぅぅ」
そこまで言うとシュダは背を丸め、細い腕で隠れるように顔を覆いながら震えだす。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
ベリャーエフは血溜まりのなかに踏み入り、彼女の腕にそっと触れた。
「シュダ、安心しなさい。それはね、正当防衛っていうんだよ。先に相手が手を出してきたんだから、この場合だとシュダは何も悪くないんだよ」
まるで教師のように、ゆっくりと説明しながらベリャーエフはシュダの体についた血を吸った麦穂のようなものをひとつひとつ取り除く。
「ベーさぁあん」
「怖い思いをしたね」
血溜まりの中心にいる奇妙な夫婦を眺めていたローデヴェイクは、ふと隣のマルハレータを見た。彼女の表情は銀髪に隠れていおり、先程から微動だにしない。
覗き込んでみれば、彼女はじっと足元に広がる血と肉の欠片を見つめていた。
「おい」
思わず細く肉の薄い肩を掴むと、びくりと体がふるえる。
「あ、ああ。なんだ、上手いもんだと思ってな」
どこかぼんやりとした表情をしていたマルハレータは、とりつくろうようにそう言うと二度瞬きをしてシュダに対して手をかざす。ふわりとした風が吹き、女の体から血と麦穂が消え去った。
「服のやぶれ以外は綺麗にしたぞ」
「あ、ありがとうございます」
「見事だ…どこで学ばれたんですか?」
「今は存在しない場所だ」
ベリャーエフの質問に、視線を逸らしながらマルハレータは答えた。
貨物の中に衣類があったのをベリャーエフが見つけ出し、シュダが着替えるというのでローデヴェイクは貨物車両の先へ向かい、扉を叩き壊して外に出た。
車両同士の連結部は互いに金属製のフックが引っ掛かることでつながっていた。構造的に弱そうな部分に蹴りを入ると連結部分ごと外れる。それを足でゆっくり押し出すと、徐々に前の車両との距離が開いていく。
「お、おいなんだこれは!」
連結部を蹴り壊した際の音でようやく気づいたらしく、男が三名ほど前の車両の扉から現れた。
「なんだお前は。女はどうした」
うち一人はシュダを捕まえた集団を率いていた皮の帽子の男だった。朝日の中で睨みつけてくるが、ローデヴェイクは動じる様子がない。
「お前らの部下どもが不始末やらかしたんだ。もっと規律を徹底しろ。ほらよ」
そう言うとローデヴェイクは背後に転がっていた赤黒いものを掴みあげ、放り投げる。皮帽子の男はそれを避け、他の男たちからは悲鳴が上がった。
その瞬間、激しい金属音がしてローデヴェイク側の貨物車両が傾き、突如男たちが車両ごと消えた。見れば前方を走る列車とローデヴェイク達がいる貨物車両は別々の線路を走っている。
いつのまにやら進行方向が分かれたらしい。何やら叫んでいる男たちの声は遠くなり、先ゆく車両も岩山に隠れて見えなくなった。
「分岐点があったんで乗り入れた」
ローデヴェイクが振り返ると、床に向かって手をかざしているマルハレータがいた。
「あんた大丈夫か」
思わず、ローデヴェイクは言葉を投げかけた。
「何がだ」
意図がわからないと、マルハレータはじろりと睨み返してくる。
「…機関車両へ戻るぞ」
全員が機関車両に移動すると、貨物車両が突如爆発し燃え出した。銀髪の二人は顔を見合わせるが、どちらも驚いた顔をしている。
「貨物にちょうど良い火薬が揃っていたんで荷を軽く出来ました。これで彼らも平穏に地へ帰ることでしょう」
ベリャーエフはそう言うと微笑みながら皺だらけの手でシュダの髪をなでた。
証拠隠滅。プロの仕業です。




