07 匂い
※血みどろの描写が出てきます。
マルハレータが機関車の屋根の上でしばらく佇んでいるうちにすっかり日が昇り、そう深みのない空の色と共に、周囲の地形がはっきりと目に入ってきた。
乾いた大地だがそこそこ草は生えており、時たま木立や小さな丘も見える。遠くには切り立った山々が見えるが、周囲一帯はかなりの広範囲でなだらかな地形が続いているようで、鉄道を敷くにはうってつけといえるだろう。
そして目当ての先行する車両も見えてきた。五車両ほど連なった列車は簡単な板金と木材で出来た造りで、窓は無いようだった。おそらく貨物車両か何かなのだろう。
それを確認するとマルハレータはローデヴェイク達の元に降りた。
「目的の車両が見えたぞ」
「ああ」
ローデヴェイクも機関部から身を乗り出して前方を見ていたが、何か気に入らないものでもあるらしく苛立ちをにじませ、睨みつけるような顔つきをしていた。
生前からよくあることだったのでマルハレータは気にせず、その隣で動力機関に手をかざすと、法術で適当に操作する。強制的に出力をあげられた機関車が軋んだ音をたてる。急加速に老いた男がよろめき、あわてて取っ手にしがみついて転ぶのを防いでいた。
「俺様がいく。アンタはここでエンジンをみていろ」
ローデヴェイクはそう言うとマルハレータの睨みにひるまず機関車の胴体へと飛び出した。
うずくまった姿勢で一度背中の合皮ケースの位置を調整すると、上着や銀髪が風に遊ばれるのを構う様子なく前方へと駆け抜け、その勢いを使い先頭部分を蹴り、手最後尾の車両へと飛び移る。
扉をこじ開けるのが面倒だったので、ローデヴェイクは屋根から木製の壁を殴り壊して内部に侵入する。中に降り立つと表情はさらに険しくなる。
あたりには彼のよく知る匂いが濃厚な空気と共に漂っていた。
木箱や布袋が所狭しと積まれた貨物車両の中を隙間を見つけながら大股で歩き進むと、匂いは益々濃くなり、次第に靴裏がべたつきはじめる。だが歩みは止めない。
窓はないが車両の壁の隙間から光が差し込んでいるので内部の様子は見て取れる。
障害物が無くなり広がった場所に出ると、貨物はそれ本来のものではない鮮やかな色に染まっていた。
漂う匂いもより複雑で強烈なものとなり、あたりには赤黒い液体が器からひっくり返したかのように飛び散っていた。よく見ればその中には染まった布の破片や、てらてらと濡れる白い物体、薄紅色のぶよぶよとした崩れた形をした塊なども混じっている。
「ちっ」
予想していた以上の光景にローデヴェイクは舌打ちした。
「おい」
赤黒い液だまりの中心には女がうずくまっていた。
「うう、うふぅ、ぐすっ、ぐずっ」
夜闇の中で見かけたきりなので定かではなかったが、背格好と声の響きから攫われた女だろう。
「これをやったのはお前か?」
「ううっ、ぐずっ、だから言ったのに…」
女はローデヴェイクの声に反応せず、泣き続ける。
「おい」
「やめてって…やめてって言ったのに。わたしちゃんとおねがいしたのに」
「聞けよ、おい!」
声をあげると女は驚いたように顔をあげ、ようやくその存在に気づいたようで、睨みつけてくる銀髪の男を見上げる。
「これはお前がやったのか?」
「うぅ、ふぇ、わたし…あの、その」
「時間がねえんだ。はっきり答えろ!」
まどろっこしい物言いにイラつき、ローデヴェイクは思わず女に怒鳴る。
「うう、うぐっ、ひぐっ、ひぃいいん」
見開いた目になみなみと涙がせり上がると、女はふたたび泣きはじめた。
「何泣かせてやがんだ」
軽く後頭部を叩かれ、振り返るとマルハレータと老いた男がいた。
「なんで来るんだ!」
「追いついたからだ」
苛立つ声をあげるローデヴェイクに合わせるように、不機嫌そうにマルハレータが答える。それから彼の向こうに見える女を見た。
「シュダ!」
老いた男が声をあげて女へと駆け寄る。
「あう、うあ、べ、べーざぁん、べーさん、うぇえええん、またやってしまいましたぁ」
「だめじゃないかこんな派手に散らかして。やるならもっと穏便にって言っただろ?」
べーさんと呼ばれた男は言いながら傍にあった布袋を勝手にこじ開け、中の麦穂のようなものを周囲の赤黒い物体や女に対してぶちまける。
「さあ、シュダ。血を落とそうね。怪我はあるかい?」
男は慌てる様子なく、女へかける声には落ち着きがあり、女に語りかけながら汚れた先から麦穂を払い落とし、新たにふりかけている手つきもやたら手馴れていた。麦穂はどうやら血や汚れを吸着して落とすためのようだ。
「泣き止んだらここから逃げるよ。この人達が手伝ってくださるそうだ」
「ひっく、ひっく、ううう、ふぁい…」
思わずマルハレータとローデヴェイクは目を合わせた。お互い同じような感想を抱いているらしいとわかると、ローデヴェイクは視線を戻し声をかけた。
「おい、あんたら一体何なんだ」
年老いた男は振り向くと、血と麦穂まみれの女を背後に銀髪の二人を見上げ、目尻と口元に柔らかい皺をつくりながら微笑んだ。
「この子は私の妻ですよ。シュダといいます。申し遅れましたが私はベリャーエフといいます。単なる観光旅行中の、ごく一般的な夫婦です」
((おもいっきり違うだろ、それ))
数百年前の常識しか持たない二人でも、さすがにそれは嘘だとわかった。