30 『狼』
フツヌシを起動し終えたローデヴェイクはマルハレータの行方を探そうとしたが、残っていたであろう痕跡は自分がすっかり破壊してしまっていた。自業自得だが生前からよくやらかしていた事なのでこれはもう慣れた。だが連絡手段も無いため手がかりが全く無い。フツヌシは先ほどから何やら勝手に集めた情報の解析作業に入っており、ローデヴェイクの言葉に《ああ》だの《そうだな》だのいい加減な相槌しかしてこない。
最終手段として何度か頭の中から話しかけてきていた国元の創造主の言葉に耳を傾けると、マルハレータと連絡をとったらしい彼女から「居場所がわかったら知らせるから、とりあえず落ち着いて待機」と指示が来た。
しかしローデヴェイクには待つつもりはなかった。
*
仲間の死体があちらこちらに転がっている中で生き残ったイェルマーク達は拘束され一箇所に集められていた。
元々の計画では列車を襲撃し、ひと通り武器の性能を確認したらすぐに離脱するつもりだった。想定外だったのはこちらの襲撃を読まれていた事。国内で三本の指に入る実力者の紅濫将軍がいた事。
列車襲撃が失敗したせいで無事だった車両が目的地へと走って行ってしまった。これで自分たちの動きが赤麗国軍に伝わっただろう。これ以上情報を渡すわけにはいかなかい。だがもう逃げることは出来ない。イェルマークは死を覚悟した。
「おい」
突然耳元で男の声がした。驚いて頭を上げるが同じように縛られた仲間達も不思議そうにあたりを見回している。見張り役の赤麗国軍兵士は気づいた様子がない。誰の声だ?
「死にたくなかったら走る準備しろ」
再び声が聞こえた。耳元のごく近くで聞こえるようなこもった声だ。何が? 誰だ? の返事をイェルマークがしようと顔をあげた時、空が一瞬光った。
眩しさに目をすがめ眉間に皺をよせた次の瞬間、いきなり傍らの線路上に残されていたボロボロの車両が爆発した。
爆風によって周囲にいた兵士はおろか爆風でイェルマーク達も吹き飛ばされるが、縛られているためろくに受け身も取れず地面に転がる。顔を打ち付けてしまい口の中に砂が入り、鉄臭い血の味が広がる。
「一体なんだ!」
うめきつつもなんとか起き上がろうともがいていると、突然身体を拘束していた縄が破裂音と共にはじけ飛んだ。そしてまた耳元で声がした。
「そのまま森へ走れ。荷車のあった丘のところまでだ」
意味を理解した瞬間、イェルマークは立ち上がると目の前に広がる木立めがけて走り出した。何が起きたのかも、先程から指示してくる声が何者かもわからない。だがイェルマークはこれがこの場で自分が生き残る唯一の可能性だということは理解していた。
同じように拘束から開放された仲間たちも走っているのが視界の端に見えた。皆何者かの声が聞こえていたらしく、お互い言葉を交わすことなく一斉に森の奥を目指す。赤麗国軍が気づいて追ってこないうちに距離を稼ごうと、とにかく無我夢中で走った。
イェルマーク達が息も切れ切れに荷車のあった場所に戻ってくると、驚きのあまり息を整えるのも忘れ目の前の光景に足が停止する。
そこはあたり一帯漆黒の海が広がっていた。
見覚えのある地形が黒い液体を撒き散らしたかのように真っ黒に染まっている。何かの影かと思い空を見上げるが、そういった物体は何も見えない。しかもよく見れば地面の黒は陰影が無くひどく均一だ。一瞬自分の目がおかしくなったのかと思ったが、他の人間も驚いているので実際に存在している光景らしい。
「集まってきたか」
黒い海から声が聞こえ、イェルマークの肩が震える。
ようく目を凝らすと黒い一帯の中心部分に動きが生まれていた。
それはどうも人の形をしているようだった。しかもこちらに向かってゆっくりと近付いてくる。
あまりに異質に見える存在にイェルマークがその場から離れようとするが、出来なかった。見れば漆黒の海の一部が足の下まで広がってきており、靴底が縫い止められたかのように動かない。
「生き残ったのはこれだけか?」
黒い塊から聞こえてきたのは先ほど列車が爆発する直前に聞いた声と同じだとイェルマークは気付いた。赤麗国軍から逃げた先はこの得体のしれない物体に食われてしまうのだろうか。
だが黒い塊は彼らの目の前まで来ても何もせず、ただ動きを止めると、一度だけ身を震わせた。
すると黒い表面が溶けるかのように地面に落ちていき、同時に周囲に広がっていた黒い海も滑るように一箇所に集まっていく。それはあっという間にひとつの縦に長い板のような物になり、黒い塊の中から現れた人物の手に収まった。
そこにいたのはイェルマークでさえ見上げるような体格をした人物。銀髪に強い意思の宿った灰色の瞳、強靭な筋肉に包まれた長い手足。ここまでイェルマーク達に同行してきた『狼』と名乗った男だった。
「あ、あんたが俺達を助けたのか?」
思わず声が震えるが、構わずイェルマークが質問する。返事の代わりに男の機嫌の悪そうなきつい視線が返ってきたが、会話する気はあるらしく、少し間をおくと口をひらいた。
「そうだ」
「『霧』と名乗った女は一緒じゃないのか?」
イェルマークの言葉に何故か男の機嫌がさらに降下した。殺気さえ感じられる雰囲気に仲間の何人かが耐え切れず悲鳴をあげる。
「……あいつはお前らが襲撃した相手に捕まった」
『狼』は片手に持っていた黒い板状の物体を肩に担ぎ上げ、イェルマーク達を見下ろす。
「女を追いたい。お前ら、助けてやったんだから俺様に情報をよこせ」
イェルマークは目の前に立つ男を観察した。これまでは『霧』と名乗った銀髪の女に大人しく従っていたため、この男について詳しく知ることはなかった。そして覇気にあふれた『霧』だけでなく、この男も相当に強い存在感を持っていることを実感し始めていた。
「条件がある」
額を汗が滑り落ちるのを感じながら、イェルマークが口を開いた。
「俺達が砦まで戻るのに同行してくれ。情報はそれから渡す」
イェルマークの、命を助けられた上からさらに要求を突きつける行為に背後の仲間達が息を飲む。
「あ?」
『狼』から怒気が立ち上り、暗い色の瞳が眇められる。
おそらくこの男はやろうと思えば簡単にイェルマークの息の音を止めることが出来るだろう。だがここで自分たちを見殺しにせずわざわざ助けたということは、そうする必要があったからだ。この男にとってイェルマーク達は現在唯一といって良い情報源であり、よほどのことがない限り殺したりはしないだろう。イェルマークはそう読んだ。そしてほぼ全ての武器を失った自分達がこのまま生き延びるためには、この男の力を利用する他無い。
「女を捕まえた相手を俺達は知ってる。どこに連れて行かれたのかもおおよそ予測できる。情報が欲しくないのか?」
苛立ちながらも『狼』はイェルマークの言葉に耳を傾ける。彼が大人しく話を聞いている理由はただ一つ。『霧』という女の行方を探すためだ。男にとってあの女は相当に大きな存在なのだろう。
「……わかった。すぐにここを去るからな。さっさと準備しろ」
わざわざ運んできた貨物、"精霊を使った武器"は『霧』によって跡形もなく消し去られていたため、まとめる荷物は少なかった。散らばっていた旅装を急いでかき集めて出立の準備をしたイェルマーク達は駆け足で丘を去り、砦を目指す。立ち去る際に一瞬だけ、イェルマークの脳裏に死んだ仲間達の姿がよぎった。
人数は減り、荷物も減り、ほとんど会話する事なくイェルマーク達はただひたすらに移動する。
『狼』は彼らの少し後ろをまるで急かすかのように付かず離れず着いて来た。時折獣が襲ってくると素早く前に出て担いでいる黒い板状の武器で追い払う。
日が暮れる前に川を見つけ、野営の準備に入ると日中の強行軍に身体が悲鳴をあげた。もう足には力が入らず、水を汲む手が震え、思考は濁り、ときおり誰かが空気を潰すようなうめきをあげた。
追っ手は不思議と来る様子が無かった。もしかしたら『狼』が何かしたのかもしれないが、男がまとう雰囲気は質問を受け付けるようなものではなかった。
「おい、ひとつ聞きたい」
だが男の方から質問があった。
持ち合わせていた小さな霊晶石のかけらに法術で明かりを灯し、それを囲むように他の男達が眠り、イェルマークともう一人だけが起きて見張りをしていると、気配なく『狼』が近づいて来た。
「なんだ」
内心の動揺を悟られないように声を抑えつつ、イェルマークが聞き返す。
「行きでは精霊がこちらの様子を何度も伺ってきていたが、今は全くその気配がない。理由を知っているか?」
「……俺達が運んでいた荷物だ。あれが精霊を引き寄せ、襲い掛かってくる原因だ」
「わかってやっているのか」
「そうだ。上手くすれば襲ってきた精霊を捕らえて材料にできるからな。……何人もの仲間がそれで死んだのも知っている」
わずかな明かりに照らされた男は何の感情も浮かべることなく、ただイェルマークの答えを聞いている。
「それが俺達の仕事なんだ」
「そうか」
*
「索敵は順調か?」
《ああ。獣避けの音波も順調に機能している》
イェルマーク達からやや離れた木の上でローデヴェイクはフツヌシに確認をとる。
彼らの護送には数日かかる。すぐに情報が手に入らない事に苛立ちはしたがフツヌシのならし運転にはちょうど良く、またローデヴェイク自身を落ち着かせるのにも一役買っていた。
「端末に入っていた地図情報は読んだか? オマエの動力になる過去の時代の兵器ってのがあちこちにあるらしい。その位置を押さえておけ。時間と場所が合えば回収しに行く」
《了解した。既に何箇所か抑えてあるが、この行程では近くを通ることは無いようだ》
「そうか」
別の枝にフツヌシをもたせかけると、ローデヴェイクは組んでいた両腕を解き、胡座をかいた自分の膝を見つめる。
少し前までここにはマルハレータがいた。夜になるとローデヴェイクに身を預け、静かに眠る一人の女が。
その重みが無い事が、彼女がここにいないという事実がローデヴェイクの胸の内をじわじわと侵食してくる。
生きてはいるだろう。彼女の強さからして何者かに危害を加えられる可能性は低い。
しかし彼女からの連絡は無く、国元の創造主からも待機命令が出たままだった。
崖から突き飛ばされた際に見た女の顔が忘れられない。
ローデヴェイクは一つ息を吸うと、空を見上げた。