27 谷
法術で追跡でもされているのか、なかなか追っ手を振り切ることができず二人は山の方へと移動していった。荒野と違いマルハレータが大胆に術を使えないのと、地の利が向こうにあるらしく、じりじりと距離を詰められていき、ついに先回りされ深い谷の近くで戦闘になった。
だがこの段階でも二人には余裕があった。今度は一気に振り切るつもりで、この場を離脱する隙を伺っていた。
ある一瞬の時までは
それは本当に突然だった。
「あ」
「んなっ」
ローデヴェイクは頑丈で、大抵の攻撃は単独で対処できるものだと本人もマルハレータもわかっていた。だが六人ほどの相手から法術のかけられた剣で同時に切りかかられたのが視界に入った瞬間、彼女の身体はほとんど無意識に動いてしまった。
「すまん」
そう言って突き落とした張本人のマルハレータは落ちていくローデヴェイクに謝った。
谷底へ落ちて行くローデヴェイクは叫ぶ。
「なにしやがる!」
驚きから一瞬で持ち直すと左腕を絶壁に突き刺して落下を止め、上を睨み上げる。
その視界の先にはなぜか呆然とした様子で立ち尽くしているマルハレータがおり、体に何本もの刃を受け力なく崩れ落ちていく姿があった。
マルハレータの瞳がとじた瞬間、ローデヴェイクの叫びが岩肌に響いた。
ローデヴェイクは手刀を崖面に突き刺し猛烈な勢いで這い登る。だが崖上に戻ってみるとすでに誰もいなかった。
先程までマルハレータがいた場所には赤い血痕が残っている。
それが目に入った瞬間、ローデヴェイクの思考は焼き切れた。
「バカがっ!! 俺のことなんざ放っておけっつってんだろうが!」
ローデヴェイクは雄叫びのように声を荒げ両手の拳をおもいっきり地面に叩きつける。衝撃で地面にひびが入り、さらに崖側に向かって周囲が崩れ始めるが、構わずいらだちに任せ再び地面を殴る。
だがいくら殴っても破壊衝動は収まらない。
しばらく経ち、周囲の景色がすっかり変わってしまう頃になり、ローデヴェイクの呼吸が落ち着きを見せはじめた。
最後に腹の底からの叫び声をあげると、しばらく荒い呼吸を繰り返す。拳をにぎり、うずくまるようにしてこれ以上感情の波に飲まれないようにする。
「……そばにいるっつったろうが!」
ローデヴェイクは最後に喉の奥から絞りだすようにそう叫ぶと、静かになった。
ローデヴェイクは暴走しやすい。それはかつて戦争の道具として生きたために後天的にもたらされた性質で、そのほうが戦場では好都合だった。何度も大きな戦果をあげ自身の命を危険にも晒したが生き伸びさせもした。そして暴走中はどこか冷静な彼自身もかすかに存在しており、そのため時間が経ち感情の奔流が収まってくると頭脳は冷静に状況を分析し始める。
ローデヴェイクはゆっくりと起き上がり、周囲を見回した。苛立ちにまかせて地面を殴り続けていたためあたり一帯はすっかり破壊され、一面瓦礫の山と化している。
その中から少しでも彼女の残したものを探そうと、ローデヴェイクはぼんやりとした足取りで周辺を探索する。
「あの精霊が言ってたな……」
歩きながらローデヴェイクはマルハレータのとった行動に対して、闇の精霊から言われていた内容を思い出していた。
旅立つ直前、顔を布で覆った闇の精霊は小声でローデヴェイクに話しかけてきた。
「彼女を守りたいのなら決して目を離してはいけません」
どういうことだと目を細めて睨むが、闇の精霊は落ち着いた様子で説明を続ける。
「彼女はここにいるうちにだいぶ“マルハレータ”を受け入れましたが、あれはファムさまとのやりとりがあったからです。国を離れるとおそらく何かの拍子で過去の状態になりかねません。一見落ち着いているように見えますが、ああ見えてまだ不安定です。記憶の奥深くに残っている光景に近い状況に遭遇した場合、忘れ難い感情にとらわれ、突発的な行動をするおそれがあります。この場合、本人の意志は関係ありません」
状況はいくつか考えられるが、と間をおき精霊は顔を寄せさらに小声になる。
「まず挙げられるのがあなたの死です。彼女はその様子を見ています。死ぬ前から、直後、そしてその後の一連の状況をです」
自分の死。それは戦場での不利な状況で戦い続けた結果のものだ。
あなたが死んだ後どうなったか。ええそうです。状態はさらに悪化しました。
晩年の彼女の記録を見ますか? 傷の治癒や元から弱かった体を無理に動かすために自ら薬物の使用量を増やし、さらに副作用で起きる幻覚を消す薬も用い、心も体も衰弱しきっていきました。
それでも戦争は続きましたから、彼女はそんな状態でも何度か戦場に出ています。体調からして退位もできたはずですが、それはしませんでした。
ですが次の王が育つ前に身体が保たず亡くなってしまい、国の衰退はさらに進みました。
木の上にマルハレータが放り投げたらしい黒の鞄が引っかかっていた。
単体で逃走中なのか、さっきの集団に捕まったのだろうか。
彼女が一人でいることにローデヴェイクの中に焦りにも似た苛立ちが蘇ってきた。
ローデヴェイクの頭は状況を分析し続ける。
戦場で生き残るために必要な力は未だ保たれている。僅かな時間で事態を把握し、そして判断する力。自分に何があり、足りないかを知る力。
「情報がねえな。あいつがどこに行ったのかわからねえと……」
そうつぶやくと黒い合皮のケースから中身を取り出した。
両手で持ち手を掴み、本体を日の光に翳し青空の下で鈍く輝くそれをざっと眺める。
この時代の者から機甲器と呼ばれたそれ。
全体は大きくローデヴェイクの半身以上の長さがある。無機質な形をしており、表面は象嵌細工に似た最小の端子以外外部の造形は無いため装飾が極めて少ない、持ち手があるので変わった形の漆黒の大剣に見えなくもないが、その一部にはこの時代の武器にはない銃口が存在している。また剣といっても刃は存在しない。
ある程度の動力が補充され、起動できる状態になっているため、本体の表面にはガラス体のような表皮が形成され独特の光沢を生み出していた。マルハレータが粗雑に管理していたと言っていた割に外装の状態は元から良かったのだ。
ローデヴェイクは自身の最後の戦いに“これ”を伴わなかった。そのおかげで今まで残っているのだが、持って出ていれば生き残れたかといえばそうかもしれないし、それでも無理だったかもしれない。
手に持ったそれを眺めているとローデヴェイクの記憶にわずかに懐かしさと共にこれを作り上げた男の面影が思い出された。いつも敵陣で孤立して戦う自分が危なっかしいからと、これを作ってよこした男だった。最後に会った時はこれの改良結果と、新しく導入予定のシステムについて嬉しそうに語っていた。珍しく自分にとって友と呼べた間柄の人間で、自分より先に死んだ男。今はもうそいつの墓すら残っていないが、何の因果か男の最高傑作と言われたこれと自分は共にここにある。
自然と形見となってしまい再び動かす気になれず、修理はしつつも放置気味だったが、流石にこの状況でローデヴェイクが一人で出来る事は少ない。
改修作業はまだ途中だったが、必要最低限の動力は蓄積され部品も揃い起動には問題ない。
ローデヴェイクはポケットから人差し指と同じ長さの黒く光る細い針のようなパーツを取り出すと、工具で持ち手のグリップを外し中の小さな隙間に挿し込んで素早く元の状態に固定した。
グリップを戻して数秒待つと象嵌部分に光が宿る。
「起動しろ、フツヌシ」
個体名を呼ぶと本体表面に様々な色を宿らせた光が走り、起動のためのシステムチェックが走り始める。
《きどうじゅんびちゅう……ゆーざー せいたいでーた の ていきょうを ねがいます》
ローデヴェイクは一瞬悩んだが、マルハレータが斬られて流血していた様子を思い出し、親指を噛んで傷をつける。
「一応血は出るんだな」
一筋の赤い液体が流れる。だが見る間に傷はふさがり、跡形もなくなってしまった。
血が乾かない内にローデヴェイクは持ち手に近い場所の象嵌部分の隙間を押しセンサーパネルを開くと、スキャンエリアに一滴の血をたらす。
パネルの蓋を閉めると読み込みが開始された。
「声紋データを把握しろ」
《きどうちゅう……ますたーIDのせいもん と せいたいでーた を かくにん……かくにんしゅうりょう……つづいて とうろくこーど を にゅうりょく してください》
「登録コードはリセット。“ローデヴェイク”で上書き」
《りょうかい あたらしい とうろくこーど ローデヴェイクを かくにん……つづいて》
「おい、細かい事は後回しにしてさっさと起きろ」
まどろっこしい手続きが続きローデヴェイクはいらつき、声をあげた。
《りょうかい 即時起動ルーティンへ移行します。……再起動終了。マスター、ずいぶんと久しぶりだな。元気にしていたか?》
象嵌部分から低く、落ち着きのある男性の声が響く。
「まあまあだな。生きてるっちゃ生きてる。お前、登録リセットしたのに俺様を認識してるのか?」
《制作者により初期登録されたマスターと二%以内の誤差で必要なパーソナルデータが一致した。マスターは同一人物ではないのか?》
「いや、お前が同じだと認識するなら同じだろう。さっさと全ての立ち上げを終えろ」
《相変わらずだな、マスター。こちらもそれ相応の準備が必要なのだ。……現在環境データを取得中》
まともに動き出すまでしばらくかかりそうなのでローデヴェイクは一つため息をつくとフツヌシを肩にかつぎ、引き続きあたりを調べる。
《……なんだこれは。この霊素の密度は……? マスター、これはどういうことだ?》
起動作業中のフツヌシからひどく驚く声がする。
「何がだ」
ローデヴェイクはどうでもよさそうに返事をする。崖側は元の地形が破壊されている状況となってしまったので、ひとまず反対側の森の奥の方へ向かうことにする。運が良ければマルハレータの情報を持った追っ手にぶつかるかもしれない。
《大気中の霊素の数値が異常だ……重力もおかしい。マスター、ここは本当に“第三惑星”上なのか?》
「おそらくな。俺様も詳しくは知らん」
そういえばフツヌシに言われるまでここがどこだか気にしたことがなかった。もしかしたらここはよく似ているだけのまるで違う場所なのかもしれないが、ローデヴェイクにとってそれは重要ではない。
《そういえばマスターの生体データもずいぶんと変質していた。一体何が起きたんだ》
「色々あんだよ」
ふと思い出しマルハレータが持っていた鞄からローミングパッドを取り出す。しばらくいじっていると側面のカバーが外れ端子が出てきたので、フツヌシの持ち手のグリップ部分を一部ずらし細い蜘蛛の糸のような接続用のケーブルを引っ張りだしてローミングパッドの端子とつなぐ。
「おらよ。ここから情報を“食え”。落ち着いたら周辺の地形データを収集しろ」
《了解……》
それからまた歩き始める。とりあえず先程までいた集団の足跡を見つけたので追うことにした。
《数基の“衛星”の存在を確認した。しかしこれは……いや、捕獲された……? やはり……うむ。なんだと……!》
「さっきからうるっせえな。少し黙ってろ」
《これは……驚異的だ……まさか……いったい……こんなことが》
持ち主の静止の声を無視し興奮したフツヌシの声がぶつぶつと続き、ローデヴェイクはフツヌシを再起動させたことを少し後悔した。
ふつぬし=ふりまわしてぶつけるハードディスク
SFですごめんなさい。
喋る道具さん大好きです。
第三惑星とか、かの有名な第三惑星のことのような、そうでないような、といった感じで捉えていただければ幸いです。
要するに、詳しく説明しないよってことです。本人たちも誰も気にしません。元から住んでる人達も気にしてません。
作品の毛色が変わってしまうのでそこらへんは放置で。