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血霧と狂狼  作者: やまく
21/32

21 月(無)

 夜も更け、遠方から荷物を運んできた者達は旅の途中と同じくそれぞれの荷車に防水性の布を張り、仮宿としていた。砦の中の広場はぽつぽつとそういった集団の灯した火が灯り、時折賑やかな笑い声も聞こえてくる。


 マルハレータ達はボフダン率いる集団のやや離れた場所に荷車を置き寝床としていた。女で外はきついだろうと屋内に部屋を用意すると言われたがマルハレータは断った。

 砦内には女の気配はあったが姿は一切見かけなかった。部外者がうろつき回る区域と分けられた場所にいると予想できるが、それにしてもいなさすぎた。シュダの言っていた言葉から推測すれば、この国の考えでは女性はあまり出歩くものではないらしい。おおかた裏方で男たちの仕事とは別の仕事をしているのだろう。生活上の雑用や、“夜の雑用”あたりを。

 マルハレータはその中に巻き込まれるつもりはないし、そもそもここにいる女性達と自分で話が合うとも思えない。さらに言えばローデヴェイクをこの砦の中に単独で一晩放置する方が危険だ。再生されて時間が経過したせいかだいぶ落ち着きはしたが、ふとしたきっかけで暴走気味だ。ようやく修理が完了した彼の『機甲器』も何故か起動させる様子がない。あれが動いていれば少しは落ち着くはずだが……。そして安定しないといえばマルハレータ自身にも言えることだった。



 時代が変わろうと人間の欲求に変わりはない。旅の間にマルハレータはそう学習した。男ばかりの野営組に女がいると気付かれるのは面倒だったので、マルハレータは屋外ではシュダに着せられた通りにマントを着直すと荷車の傍でじっとしていた。時折探るような気配を感じたが、ローデヴェイクがいるためボフダン達はおろか誰も寄ってこない。

 一度別の集団から酒の差し入れがあったが、強い弛緩作用のある薬の匂いにローデヴェイクが気付き壷ごと放り返した。

「女であろうとなかろうとひ弱そうなら男でも狙われるからな。薬が効くはわからんがあんた本当に気をつけろ」

「別に殺しても大丈夫だろう。門にあった死体の数が増えても誰も気にしない」

 マルハレータはそう答えながら走って逃げていく男たちを無視し、じっと空を見上げていた。

「空に何かあるのか?」

「月がないかと思ってな……もう寝るか」

 そうつぶやいてマルハレータは眠りについた。




「確かに月はねえな」

 ローデヴェイクは先ほどマルハレータが見上げていた空を同じように見つめてみた。


 そういえばこの時代に蘇って一度も月らしきものを見た覚えがない。くろやみ国にいた頃は雲に覆われていたためかと思い気にしていなかったが、今は大気を遮るものも地上の夜間照明も大したことないため、ローデヴェイクにとって煩く感じられる程の満天の星空がひろがっている。知った星とよく似たものもあり、配置もかつてと同じように見えたが、多すぎてよくわからない。マルハレータいわく星空の中には精霊も混じっているらしい。


 そして月は見当たらない。

 もしかしたら過去の戦争で月そのものが消滅しているのかもしれない。おそらく精霊か妖精、もしくはそこらの人間に尋ねれば答えは簡単に知ることが出来るだろう。だがマルハレータはそれをせず、ただ空を見て月を探していた。ローデヴェイクにはそれが何故だかわからなかった。


 ローデヴェイクは自分の膝の中で眠る細身の体をじっと見つめる。

 木の上で休んだ時は必要に駆られてと、ほとんど勢いでだったが、それ以降は野宿する際マルハレータはローデヴェイクの膝の上で休むことが増えた。女性にしてはそう小柄ではないが、ローデヴェイクにとってマルハレータ程度の重さは風が吹くと飛んでいってしまうのではと思わせるくらい軽く感じるため、いつも両腕で囲うようにして眠る彼女を守っている。

 服ごしに肌が触れ合っても不思議と肉欲のようなものは湧いて来ず、守るべき存在が腕の内にあるという安堵と充足感、そして喜びをごちゃまぜにしたようなものが身体のどこかから底なしに現れる。初めは戸惑ったが、今はだいぶ馴染んできている。男としてあるはずの強烈な欲が薄まり、慣れない感情ばかりが現れるのは影霊という身体だからなのか、一回死んで頭のどこかが焼き切れたからなのか、闇の精霊が勝手に何かしたのか、理由はわからない。

 だが、ローデヴェイクは構わなかった。彼女は彼女で、自分は自分であることに変わりはない。

 今この手で触れている感覚があることが重要で、死に際に見続けている刹那の夢であろうとなかろうと、それも構わなかった。


 かつて守りきれなかった女がいて、かつて先に死なせてしまった男がいる。

 男はそっと、吐息を消し影のように女の顔をのぞきこむ。実際は本当に眠っているのか分からないが、彼女の閉じられた瞳の中にまるで自分が写っているかのように、逸らすこと無く見つめ続ける。

2012.10.24. 微妙に加筆

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