11 記憶
マルハレータは肌に張り付く湿気に気がついた。目を開けるとあたりは霧につつまれており、緑の濃い気配とわずかに花のにおいがする。顔を起こして背後を見上げれば鋭い灰色の瞳と視線が絡む。
「目が覚めたか」
「……ああ」
ぼんやりとしながらもマルハレータは返事をした。何か夢を見たような気もするが、思い出せない。
「お前は寝たのか」
「少しな」
男の銀色の前髪から朝露がこぼれ落ちるのを見て思わず自分の髪を触ると、こちらも濡れているようだ。
「下に降ろせ」
「わかった」
ローデヴェイクは素直に従い、マルハレータは木から降ろされると伸びをして改めて周囲を見渡した。少し離れた木を見ると昨夜と変わらずハンモックが吊り下がっている。ベリャーエフとシュダはまだ寝入っているようだ。
マルハレータは鞄からタオルを取り出すと法術で霧を集めて湿らせ顔を拭う。それからざっと髪を拭き、また霧を集めて濡らし固く絞ってローデヴェイクに放り投げ、空を見上げた。
霧に囲まれているせいか木々の間から見える空は白く、朝日らしき黄色い光がうっすらと見える程度だ。それに眺め飽きると深呼吸をして朝の森の匂いをかぎ、目を閉じてにぎやかにさえずる鳥たちの声や、近くの茂みで何か小さな生き物がうろつく音にじっと耳を澄ませた。
ただ歩くだけの旅は順調に進み、三日目の昼に人間用の小路らしきものに行きあたり、それをたどっていくと人家らしきものが現れた。
木を組んだつくりの家屋に石板で屋根を葺いている建物が10軒ほど。集会所か、倉庫を兼ねているらしく規模の大きなものも2,3ある。山奥にしてはそこそこの規模のようだ。
ベリャーエフが村の入口にいた村人に話しかけると案内が現れ、これから村長に挨拶に行くという。
「おれ達はここで別行動だ」
「え、でもこの先は民家がありませんが……」
「ここからさらに山奥にあたる方角に用事ができた」
昨夜かるく母国と連絡をとった際、位置情報を送ったところ闇の精霊から「ついでにここへ行ってみてください」と情報を渡されたので、足を運んでみることにしていた。
「わかりました。お気をつけて。あの、助けていただいて本当に有難うございました。御礼をしたいので帰りに是非寄ってください。私達は当分ここにいる予定なので」
「ああ、覚えていたらな」
見送る夫婦の視界から外れたところで二人はどちらともなく自然と本来の移動速度に戻る。風を切るかのように進むマルハレータは隣のローデヴェイクを睨むように見上げた。
「あとはもう眠らんぞ」
「わかった」
数日かけて移動し続け、マルハレータ達は目的地にたどり着いた。目の前には赤茶けた石を組んだものがある。人間が住むには規模がやたら小さい。
「さて、どうすりゃいいんだ?」
マルハレータは法術で石組に“探知”をかけるが、何の変哲もない、ただの石だった。
「こんなところに、なんか用かのう」
その裏側から小さな老人が出てきた。カサついた顔、埃まみれの貧相な頭髪にぼろぼろの服、腰には小さな布袋を紐で括りつけている。そして裸足だった。
「あんたは一体なんだ」
「わしはこのあたりを担当しとる。人間達がいう妖精ってやつだ」
マルハレータは思わず眉間に皺を寄せた。かつて生きていた時代にそんなものは存在しなかった。
「精霊とは違うのか?」
「あやつらとは微妙にちがう。わしらはわしらの役割と立場がある。人間に対して興味もないし、関わるつもりもない。地味に大人しゅうしておる存在な」
ぼりぼりと頭をかきながら妖精はのんびりと言う。
「闇の精霊にここに来るようにいわれたんだが」
「闇の? ああ、あれのことか。あんたら、昔のものに詳しいか」
「おそらくな」
「じゃあこっちへ来い」
案内されたのは地下空間だった。コンクリートで固められた頑丈な箱。無機質な照明に照らされ、見覚えがあるようでないようなものが視界いっぱいに広がる。
「これらはわしらがここへ来る前からずっとある。わかるか? これ」
「ああ」
マルハレータは答え、背後に立つローデヴェイクを見上げる。
「どう見てもお前の担当だな」
「そうみたいだな」
ローデヴェイクは目の前のものを素早く観察している。機関車の時とは違い、どこを見るべきかを知っている慣れた目だった。
「こんなのが大陸のあっちこっちにあるんだが、使い道もないし、わしらでは再生処理できんモンでな。ずっと置きっぱなしで邪魔になっとる。古過ぎて、人間達の間では仕組みも使い方も忘れられとるらしい。今はほれ、あんたさんがさっき使ってた方法が流行しとるそうじゃないか」
「法術のことか? そうらしいな」
確かに今まで見た限りでは生活や戦い方の主流のようだった。それが技術の進歩なのか退化なのかはマルハレータにはわからない。
「……まさか、おれ達に引き取れと?」
老人姿の妖精は満面の笑みで頷いた。
「いやあ、引き取り手がいて助かったわい。じゃ、あとはよろしゅう」
妖精はそう言うとさっさと地上へ戻っていき、あとは二人だけが残った。
「おれには見慣れないものもあるが、覚えのあるものもある……全部兵器だろ、これ」
「ああ。そうだ。何世代か後のもんだが、ここは兵站の基地か何かだったんだろう」
ローデヴェイクは目の前の棚に歩み寄り、防塵シートをはがして並んだ金属の物体表面の表記を読む。
「千年残るなんざ頑丈に作りすぎだな」
足元のなだらかに積もったホコリを見るに、人が立ち入った形跡は見あたらない。本当にずっと放置されたままのようだ。
「どうする? 国に輸送するか?」
「いや、あそこにあっても同じようなもんだ」
ローデヴェイクの提案にマルハレータは首を横に振った。
「使える奴もいないだろうし、再利用する必要はないだろう。それにここにあるものはうちの国の脅威にも成り得ない。どれも効かん。無意味だ」
国の王城で見たものを思い出し、彼女は言った。
「処分しろ。徹底的に」
マルハレータは目の前の金属の山に肌が粟立つ感覚と、不快感を覚え始めていた。
「できればおれの視界に入っても不快にならないようにしておけ」
遠い昔の、あの時かいだ血と破壊の臭いを思い出しそうになり、体のふらつきを堪えるため拳を握り締める。ふと何かが触れる感覚があり、顔をあげるとローデヴェイクが目の前に立っていた。じっとマルハレータをのぞき込んでいる。その手が彼女の髪に触れ、首、肩先までそっとなでおりると、背中のケースから中身をとりだして背を向けた。
「わかった。あんたは先に地上に戻っていてくれ」
ローデヴェイクは軽く足を開き、手に持ったそれを構えた。
「ああ」
地上に出ると、マルハレータは目についた木に背を預けてすぐさまうずくまる。地下でローデヴェイクが暴れだしたせいか地響きが鳴り響き、草木は揺れ、地面には亀裂が走るが彼女は気にする様子なく微動だにしない。
「荒っぽくやっとるな」
どこかへ消えていた妖精が再び現れ、マルハレータの隣に座ると目の前に何かを差し出す。
「これ、そこの清流から汲んできた清水な。飲むと気分がすっきりするぞ」
筒状の植物を切ってコップ状にしたものを受け取り、中の水に口をつける。ひやりとしてどこか甘みのある液体が口から喉へ通り抜けると、体の力がすっと抜けた。
「助かった」
「あんたさんも色々あるみたいだの」
「……まあな」
水を口に運びつつ、老人姿の妖精と並んでぼんやり空を眺めていると、いつのまにかローデヴェイクが地上に戻っていた。
「おお、終わったかいの」
男は暴れたおかげかさっぱりした顔をしていた。
「ああ。吸収できるものはこれに喰わせた。残ったもんは徹底的に破壊した」
「そうか」