俺はロックなんか聴かない
休憩室で流れていた曲を、ひさしぶりにちゃんと聴いてしまった日のことを書きました。
休憩室に入ると、若い同僚たちがスマホから音楽を流していた。
イヤホンを片方だけ外して首にぶら下げ、
ギターの歪んだ音が電子レンジの唸りと混ざって漂っている。
「うるさいな」と思わず口にした。
去年配属されてきた坂本くんは、「すみません」と言って音量を少し下げた。
悪びれもせず、反抗もしない。その中途半端さが、なぜか気に入らなかった。
「それ、何聴いてるの」
「ロックです。昔のやつですけど」
「俺はロックなんか聴かないから」
坂本くんは少し笑った。馬鹿にしたわけではないと思う。
私のような人間がそう言うのを、ごく当たり前のこととして受け止める笑い方だった。
かつてこの職場の課長だった男が、いまは嘱託として、
坂本くんの下で雑務をこなしている。そんな男が「ロックなんか」と言うのは、
案外様になっているのかもしれない。
ただ、本当のところ、私は聴かないのではなかった。聴かなくなっただけだ。
三十年前、私もギターを持っていた。バンドを組み、下手な英語の歌詞を叫び、
狭いライブハウスの床が抜けるのではないかと思うほど飛び跳ねた。
就職が決まったとき、それをあっさりやめた。誰に言われたわけでもない。
そういうものだと思っていたのだ。
坂本くんが流していた曲には聞き覚えがあった。
二十代の頃、狂ったように聴いていたバンドの、
代表曲というほどでもない地味な一曲だった。
昼休み、彼が席を外したあと、画面に残っていたバンド名をこっそり自分のスマホで検索した。
十年以上前に解散していた。メンバーの一人は、どこかの田舎で楽器屋をやっているという。
きっと私と同じくらいの歳だ。
その晩、家に帰って押し入れの奥を探った。段ボール箱の底に、
埃をかぶったギターケースがあった。開けるのは十年ぶりくらいになる。
弦は錆び、チューニングは滅茶苦茶に狂っていた。それでも弾いてみると、
指が勝手に、忘れたはずのコード進行をなぞっていった。
リビングから顔を出した妻に「何それ」と訊かれ、「昔のやつだよ」と答えた。
「懐かしいね」。妻はそれだけ言って台所に戻っていった。私はしばらく、
近所迷惑にならない程度の小さな音で、狂った音を鳴らし続けた。
翌日、休憩室で顔を合わせた坂本くんは、イヤホンをしていなかった。
「昨日の曲、なんてバンドだった」
「え。覚えてたんですか」
「別に。ただ気になっただけだ」
彼はバンド名を教えてくれた。私は「へえ」とだけ返した。
それ以来、坂本くんはときどき音楽の話をしてくるようになった。
私はいつも、興味のない顔をして聞いている。
ギターは、あれから一度も弾いていない。ケースに戻して、
また押し入れの奥にしまった。弦も張り替えていない。弾こうと思えば、
いつでも弾ける。それでいいと思っている。
いまも私は「ロックなんか聴かない」と言い続けている。
それでも、休憩室で若い連中のスマホから音が漏れてくると、
片方の耳だけが、少しだけそちらを向く。
読んでくださって、ありがとうございます。




