第八章『妹の根回し』
第八章『妹の根回し』
「いつもありがとうございます」
そう言いながら、白髪が目立ち始めた、初老の神父は深々と頭を下げてきた。
「大したことありません。昔お世話になりましたから」
ミリーは、それなりの量の金貨が入った袋を神父に渡しながら、頭を上げるように促す。
「いえ、そうは言っても、私がやったのことは、人として当然の事。貴方が今行っていることは、自身の溢れる善意により行われている事。そこには大きな差がありますよ」
そう言いながら、袋の中を見た神父は、感嘆したように一つため息をついた。
「そうでしょうか」
そう言いながら、ミリーは、改めて周囲を見回した。
教会の礼拝堂であるこの場所は、それなりの広さがあり、丁寧に清掃をされていたが、築年数が経過し、特別修補もされていない建物である以上、隠せない傷みが所々見えていた。
目の前の神父も、最初に会った頃と比べると、大分老け込み、柔和な笑みでは隠しきれない疲れが顔に出ている。
そこまで確認をし、ミリーは一つため息をついた。
「まあ、貴方ぐらいですよ。ある程度成功してからも、ここに通い続けてくれる人は。皆、この場所で育ったことを忘れてしまうようですね」
そう笑いながら、神父は、丁寧にミリーのカップに紅茶を注いでくれる。
決して高級ではないが、彼の慈愛の心が込められたような優しい茶葉の香りが部屋中に籠った。
「ありがとうございます」
そう言いながら、彼と初めて出会った時と同じように、紅茶を口に含み、ミリーは、気持ちを落ち着けた。
幼い頃から通い続けたこの教会で、ミリーは、やさしく公正で、博識な目の前の神父を心の中で師と仰いでおり、今でも時折訪ね、彼に様々な面で知恵を借りていた。
今回も、そのつもりでここに訪れたのだが、どうも今日はうまく言葉が口から出て来ない。
こうして気を遣う神父を前にして、どこから話すべきかミリーは、一考したが、うまく結論が出ないまま、とりあえず頭に浮かんだことから話すため口を開いた。
「ビナザ神父。兄の話、最近何か聞いていますか?」
まずは牽制として、軽く聞きたいことについて触れてみる。
ここから、本題に話を進めていくしかないだろう。
「カラル様の?いえ、特に何も聞いておりませんが」
神父らしい落ち着いた話し方で、こちらの質問に応える。
最も、その言葉をどこまで信じればいいのかは注意をして判断をする必要がある。
神に仕える身として、上流階級の噂話にもそれなりに精通していると同時に、余計な秘密を口外しないという信頼も彼は持ち合わせていた。
「精々、先日襲撃を受けたという話ぐらいですかね。まあそのあたりは、ミリーさんの方がお詳しいでしょうか」
そう言いながら、自分の紅茶に口をつける。
最も、カラルの名前を口に出した時、ビナザの口元が不自然に震えたことをミリーは見逃さなかった。
少なくても、カラルについて、何か情報を仕入れているのあろう。
それをどう引き出すか、ミリーは神父の顔を見ながら考えてみる。
「そういえば、彼は、マライサアの末裔でしたか」
だがビナザは、こちらが次の句を口に出す前に、先手を取って会話の主導を握ろうと新しい話題に触れてくる。
「えぇそうですね」
何とかここから、主導権を握り返したいと考えてはいるが、もう早々チャンスは無いであろう。
「なるほど。どころで、ミリーさんは、知っていますか?マライサアの成り立ちの言い伝えを」
笑いながら、ビナザはこちらが言い返す隙を与えず、会話を進めていく。
「まあ少しは」
そう言葉を返しながら、ミリーは、会話の主導権を握ることを諦め、目の前の神父の会話の聞き役に回ることにした。
「なら話が早い。それが分かっているのであれば、彼について必要な情報を集めることは十分に可能ですよ」
そう笑いながらビナザは、話を切り上げようとする。
「ある魔術師が呼び出した黒い翼の化け物と交わった者達の、呪われた末裔がマライサアというあの伝承ですか?」
心にある疑問が表情だけでなく、声にも出る。
マライサアの民の出生に関わっているとされる伝承。
かつて、ある魔術師がいた。
力はあるが、傲慢で、残虐なところがあり、多く者に嫌われていた魔術師であったが、彼も同時に多くの人々を嫌っていた。
そして、大国に仕えていた魔術師は、ある時王国に反逆に試みた。
最も、嫌われ者である彼に付き従う者は少なく、反逆はあっけなく鎮圧されて終わるだけの話と言われていたが、魔術師による反逆は長引いた。
それを可能としたのが、魔術師による黒い召喚術であった。
黒い翼を持つ者達を、どこかの世界から呼び出し使役をする。
足りない兵力を、この魔術で補いながら、魔術師は反逆を続けていた。
最終的な戦いの結果は、魔術師の敗北で終わったが、この世界に呼び出された黒い翼を持つ者達の生き残りと交わった女性たちが生み出した墜とし子達、それがマライサアの民達の始まりと言われている。
言われているとしたのは、これはあくまで、歴史の勝者たちによる一方的な伝承であるからである。
そして、生まれが不浄であり、呪われた者の血を引いている以上、差別されて当然、そう考える者達の手により、紫色の瞳を持つマライサアの民達の末裔は、虐げられてきたという。
「えぇ。貴方が言いたいこともよくわかります。確かにあれは、手垢に塗れた、時の為政者達によって都合のいい物語にすぎません」
そんなミリーの疑問をよく理解しているという体で、ビナザは、微笑みながら応える。
「だけどね、あれも全くの嘘ではないと思いますよ。少なくても歴史の一端を記録はしているのでしょう」
だからこそ、貴方の兄について知りたいことがあるなら、そのルーツを調べるといいと思いますよ。
最後に、いつも以上の笑みを浮かべて、ビナザは、ミリーに二枚の封書を差し出した。
「求めている物ではないかもしれませんが、恐らく貴方が今欲しい情報にはなるでしょう」
笑いながら、立ち上がり、そのまま席を離れるビナザに向け、ミリーは慌てて頭を下げ、その背中を眺める。
その手には、渡された封書がしっかりと握りしめられていた。




