第六章『私の心情』
第六章『私の心情』
「不愉快な男でしたね」
従者筆頭、ツナミがミリーに話しかけてくる。
「あれは、私の兄なんだけど」
若いながらも、その優秀さと使い勝手の良さから重用しているが、この馴れ馴れしさがミリーはどうしても好きになれず、その返答も棘がある物になる。
「失礼しました」
わざとらしく頭を下げてくるツナミ。
だが、その謝罪を無視してミリーは、目の前の紅茶を飲み干す。
カラル。
畑が違う自分の兄。
アラルスター家の、正式な跡取りと言われながらも、多くの人々に嫌われている哀れな男。
だがミリーは、そんな兄が嫌いではなかった。
世を悲観しながらも、どこか達観した様子で、淡々と生き続ける姿勢。
その一方で、鉄道事業という一つの事業で得られるものを貪欲に求め、それを使い、のし上がろうとする必死さ。
目の前のツナミを初め、この家にいる多くの者達は、ミリーがこの家の次期当主になると考えている。
だがあの兄を押し退けて、自分がその立場に滑り込むことができるのだろうかと、ミリー自身は非常に懐疑的に考えていた。
確かに自分にも跡目を継ぐチャンスはあるだろう。
いくつかの事業にも関わり、アラルスターにそれなりの財をもたらしているし、何より昨年、正式にこの家の一族として正式に迎え入れられた。
実際、この一年でミリーは、カラルを上回るだけの実績と利益を上げていた。
鉄道事業自体は順調であるが、あくまで国営事業の利益の一部を配当として受け取っているだけ。
今は順調だが、これから先どうなる不透明である以上、他にも柱となる事業が必要となることは明らかであった。
だがカラルは、鉄道事業を盲信するあまり、他の事業についてはおざなりな対応しか進めておらず、そのほとんどの結果が芳しくなかった。
そんな彼を見切り、この家に新しい柱を作ってくれるであろうミリーに期待を寄せてくる者達も多く、そのような者達に担ぎ上げられる形で、ミリーは、自身の出生に基づき、アラルスター家に入ることとなった。
最も彼女自身は、そこまで後継者と地位に魅力を感じていたわけではなかったが。
元々、自分の隠し子という立場を考えると、表舞台に立つことは一生無いだろうと考えていた。
母は、父の事を非常に身分の高い人であり、お前にもその高貴な血が流れているという事を何度も言って聞かせてきたが、その言葉もどこか異国の話のように、彼女にとっては何も感じる事が無い話であった。
だが、まともに働いてない母と自分の二人だけの家族でありながら、贅沢こそはできないが苦労しない程度の生活を送ることができたのは、アラルスターの家から、多少なりとも支援があったからであろう。
五年ほど前、母が亡くなった時、葬式にやってきた父の使いという男は、ミリーに二つの道を示した。
ある程度のまとまった金銭と月々の仕送りを求めるか、職を求めるか。
工業都市のすぐ横にスラムがあるような住環境では、多少の小銭があろうとも、一歩間違えば、あっけなく堕ちる所まで堕ちてしまうだろう。
ミリーは迷わずに後者を選んだ。
その後、アラルスター家が管轄しているいくつかの関連会社の事業に関わり、腫れ物を扱うような周囲の態度に辟易としながらも、自身の手でチャンスをつかみ取り、アラルスター家の本流の場でそれなりの成果を出し、正式に養子として迎え入れられたのが昨年。
工場地帯のすぐ横にある、表面だけ取り繕って綺麗にした肥溜めのような街で生まれた小娘の人生としては、上出来の類であろう。
ここにいれば、三度の食事にも困らず、ある程度の贅沢もできる。
自分を慕う人間、自分の才覚を高く買ってくれる人々もいる。
だが、同時に自分を忌み嫌い、排除したがっている者も決して少なくない。
そして貴族という人種は、やたら謀略を好み、常に互いに牽制をしあっている。
時折考えることがある。
あの時、アラルスターの家から、手切れ金としてある程度の金銭を得て、そのままあの街で暮らし続けたらどうなっていだろうか。
決して楽ではない生活。
だが、地に足がついたともいえる、落ち着いた生活。
「そろそろ時間ですよ」
紅茶のお代わりに手を付けたミリーに、ツナミが急かすように声をかけてくる。
こちらの思考を遮るような無遠慮な声により、紅茶の香りもどこか霧散していく。
一つ恨み言でも言いたくなるが、ツナミは、主の気を遣うような忠臣の表情で立っている。
「わかったわ。ありがとう」
メイドに飲みかけの紅茶のカップを渡すと、そのまま軽く身支度を整える。
ツナミが大げさな身振りでこちらにコートを渡してくる。
この男は、本当に間が悪く不愉快だ。
だが、自分を慕っているのも事実であり、また腕が立ち、それなりに有能ではあった。
だからこそ、使い続けるしかない。
そう思いながら、言葉とため息を飲み込み、ミリーは歩き始めた。
カラルは自分をどう思っているだろうか。
先程の会談の様子からは、明らかにこちらへの露骨な敵意を向けていた。
あの感じでは、先日あった襲撃に自分が関わっていると考えていてもおかしくはないだろう。
冗談じゃない。
カラルと事を構えるつもりはないし、ミリーは、カラルと積極的に敵対をしたいわけじゃない。
だが、先の襲撃と自分が無関係とは言い切れない立場であることも事実であった。
自分が望む、望むまいと、ミリーの派閥に居る人物の中で、カラルを目障りと考えて、彼女に相談もせず、彼を排除しようとしている者がいてもおかしくはない。
もう自分ではコントロールができない状況。
アラルスター家に立ち込められたこの混沌とした空気が、ミリーは非常に嫌いだった。
誰の本音もわからない。
ただ、何かよくない物が詰められて、今にも破裂しそうになっている空間。
だが、それが破裂するまでは、ミリーにどうすることもできない。
ふと、正式に養子になる前に、ここに来たばかりの頃にカラルと出会ったことを思い返す。
顔を合わせた時、当初のカラルは、興味がなさそうにこちらを一瞥しただけあった。
だが、同行していたアラルスター家の執事の一人が、カラルに彼女の功績を伝えていくたびに、その表情は徐々に歪み、こちらへの視線は憎しみを込めたものに変わっていった。
彼女は、自分の兄に対して、何も思うこともなく、ただただ、その不躾な視線を受け止めていた。
その時、彼は自分の事をどう思っていたのだろうか。
ただ、ふと思い出すと、彼は、自分にはっきりとした感情を見せてくれていた。
今、誰もが自分には本音を見せようとしない。
心の内を隠しながら、取って付けたような笑みを浮かべながら、こちらに近づいてくる。
そんな中、カラルだけは、自分を敵として、そのことを隠そうともせずに扱ってくる。
誰に対しても、感情がすぐに表情として出てしまう兄。
だからだろうか。
本音で生き続ける彼に、ミリーは、どこか安心を感じてしまっているのであった。




