第三章『女神は力を与えた』
第三章『女神は力を与えた』
「タ、すけ、テ」
女のか細い声が聞こえる。
だが、どこか遠い所から聞こえるその言葉は、カラルの耳にはっきりと入ってこない。
いや、まだ意識がはっきりしていないのだろうか。
「許シ、て」
女の声が先程よりはっきりと聞こえてくる。
声は大分近くから聞こえており、どうやら、声がはっきりと聞こえなかったのは、自分の意識がはっきりとしていなかったからであろう。
「もう、許して!」
あぁ今度ははっきりと声が聞こえる。
そしてカラルの意識がはっきりとした瞬間、彼の右手の拳は、目の前の女の顔面の中央に吸い込まれていった。
ベキ。
嫌な音が路地裏に響き、女が訳の分からない声を上げる。
何が起きているかは分からなかったが、カラルの右手には一瞬遅れて熱い感覚が伝わってくる。
目の前には、ボロボロになって倒れている女性、先程まで自分を殺そうと襲い掛かってきた女性が息も絶え絶えにこちらに怯えた目を向けている。
自分の身体の複数の傷口からは、大量の血が噴き出している。
「ねぇ、もう狙わないからさ、許してよ」
女はこちらに懇願するように、息も絶え絶えに泣きついてくる。
どうするか。
いや、自分の身体は、そもそもどうなっているのか。
見た所、胸の上にはしっかりとナイフが刺さり、明らかに致命傷であるその部分からは、大量の血が溢れている。
なぜ自分が生きているのか。
目の前ので死にかけている女は、自分がやったのか。
様々な疑問が頭の中をめぐる中、カラルは、混乱した頭でふと周りを見渡す。
これだけの騒ぎにも関わらず、周りには誰もいない。
営業している店舗も碌にないような路地裏である。
そもそも、目の前の女が、自分を殺すために人気がないところに誘導したのだろう。
余計な目撃者がいないことに一安心をつき、カラルは改めて、目の前の女に視線を移す。
こうなれば、この女から少しでも有益な情報を絞り出すしかないだろう。
「ねぇ」
女は、こちらに媚びたような表情を見せながら近づいてくる。
こいつから、情報をどれだけとれるだろうか。
そして、そう考えた一瞬、ガラルは、彼女から無意識に視線を外した。
「はぁ!」
だがガラルが視線を外したその瞬間、女は、こちらに手に握ったナイフを向けて飛び掛かってきた。
女の声に反応し、視線を向けたガラルの目の前で、女の勝ち誇ったような笑みが見えた。
そして、女が持つ刃物は、カラルの心臓には深々と突き刺さる。
カラルの身体に痛みが走る。
胸に衝撃と、強く鋭い痛み、その後に少し遅れて全身に鈍痛が走る。
女の安堵が混ざった笑みが見え、そしてそれが驚愕に変わった。
「あぁ何だろうな。これは」
カラルは、痛みに支配されながらも平然と動く自身の身体を見下ろしながら、そう呟く。
『くくくく。マライサの血が入っていると言っても、所詮半端者ね。この程度の力の行使がやっとだとわ』
女性の笑い声に混ざりながら、軽蔑したような声が頭の中で響く。
「うるさい!だまれええ!」
頭の中に響く声と、身体中の痛みを投げ捨てるように、本能が赴くままに腕を振り払う。
その瞬間、身体中の痛みが、カラルの身体から抜けていき、同時に、その感覚が靄のようにカラルの身体から離れ、目の前の女に向かっていく。
「ひっ、なにこれ?」
靄のようなものが女の顔にまとわりつく。
初めての感覚、初めての現象。
だが、カラルは、これから起きることを十分に理解していた。
グシャ。
そこまで大きくはない音であったが、何かが潰れるような音を、カラルは確かに耳にした。
「あ、なた、一体何、もノ?」
女の断末魔と共に、グチャグチャに潰されたような彼女の顔で唯一原型を留めていた唇から紡がれた最後の言葉が聞こえ、女性の呼吸が止まる。
「さあな」
カラルは、つまらなそうに応えて、物言わぬ肉塊となった女の死体を見る。
情報を引き出そうと考えていたが、こうなった以上、何も聞きだすことはできないであろう。
事前に人払いがされていたのか、これほどの騒ぎにも関わらず、様子を見に来る者はいない。
そして、周囲に人がいないことを確認し、カラルは声を出し問いかけるように悪態をついた。
「くそ。どうしてこうなった」
カラルの悪態に応えるように、頭の中では、笑い声が響く。
『だから、これが私の祝福だよ。わかったかい?』
笑い声と共に聞こえてくる女の声は、頭の中で不愉快な程、響き渡る。
同時に、身体中の血が、冷えながらも沸騰するような、不思議な感覚が駆け巡る。
「祝福?」
自身の身体に起きた違和感と、この頭の中を響く言葉を結び付けようと、カラルは必死に思考を巡らす。
『力を求めているのでしょ?これが、その結果よ。ふふふふ』
不気味な笑い声が響き、同時にカラルは、声の主が言う『祝福』を、その身に一気に受け入れることとなった。
「あっあっ、ああ、うあああ!」
祝福という響きからは信じられないような身体の様々な部位を襲う苦痛。
『哀れね。血が薄いとこうなるのね。でも、マライサアの種子よ。貴方に選択肢はないわ』
痛みの中、頭の中で響く女の声が、こちらを憐れむようなワザとらしい声で、冷笑と共に語りかけてくるのを耳にする。
「マライサアの種子?お前は、一体、何者だ?」
痛みを飲み込みながら、カラルは必死に問いかける。
『さあねぇ。まあ、この力がもたらすものを楽しみなさい』
痛みが一層激しくなる中、女の声は、徐々に小さくなる。
「お前、誰だ?」
そんな声に、縋りつくように、カラルは、最後の質問を口にした。
『私?私は、』
その後の言葉は聞こえたはずだった。
だが、なぜかカラルはその言葉を認識できず、そのまま意識を失った。
そして意識を失う瞬間、自分の体の中から何かが抜けていくような確かな感覚が身体中を駆け巡っていった。
同時に、彼の右目は、元の青色に戻り、禍々しく光っていた左目も、その輝きを失い紫色に戻っていった。




