第二章『女神は力を与える』
第二章『女神は力を与える』
「くそ、あの豚野郎が…」
痛む身体を労りながら、カラルは路地裏で愚痴をこぼす。
豚は、面倒ごとを恐れてか、それともこちらへの情けか、カラルの財布には手を付けなかった。
カラルが投げ捨てられた裏路地は、娼館が多く立ち並び、時間帯もあってか、そこらかしこで呼び子達が道行く人たちに声をかけていた。
最も、ボロボロの状態で倒れているカラルに近づいてくるものは皆無であったが。
「ぐっう?!」
いずれにせよ、こんな場所はさっさと離れるに限ると考え、立ち上がろうとしたカラルは、身体中に襲い掛かった予想以上の痛みに、思わずうめき声をあげた。
だが、そんな身体に鞭打ち、無理やりに立ち上がる。
幸いにも骨は折れていないようであり、痛みこそひどいが、何とか歩くことは出来そうだった。
「おやおや、お兄さん。そんな身体でどこいくの?」
しかし歩き始めたカラルは、自身の前に急に割り込んできた影によって、その足を止めることになった。
「大分痛めつけられているじゃないか。少し休んでいかない?」
目の前に割り込んできたのは、若い、派手なドレスを着こんだ女性であった。
恐らく流しの娼婦の一人だろう。
客引き同士の縄張り意識が強いと言われているこの通りだが、ボロボロで、厄介ごとの塊のようなカラルに関わりたがる者はいないのか、誰もが目の前の娼婦の行動は見て見ぬふりをしている。
「あぁ、そうだな。お言葉に甘えようか」
痛む身体を考えたら、こんなところで時間を潰すより、さっさと帰路につくのが正解だっただろう。
だがその時、娼婦の妖艶な笑みを見たカラルは、その娼婦の言われるがまま、彼女が差し出した手を取り、彼女先導の元、夜の路地裏へと進むこととなった。
女性の手は、冷たく、だが柔らかく、痛むカラルの手をぎゅっと掴んでおり、その感覚が、カラルの痛みを和らげていった。
そしてその先導に身を任せながら、カラルは、これから先のことを考え、徐々に気持ちが高ぶっていた。
そんな気持ちの浮つきが原因だろうか。
カラルがふと気が付いた時、二人は、人通りがない裏通りに立っていた。
「おい、ここは?」
どこだ、と問いかけようとした瞬間、カラルの身体は、女性に掴んでいた手を引っ張られ、バランスを崩して倒れこむ。
同時に、こちらを振り向いた娼婦の女の手に、小振りなナイフが握られているのが見える。
何をすると叫ぼうとしたが、虚をつかれたカラルが声を上げる前に、女性は、掴んでいたカラルの腕を離し、その腕で、そのままカラルの口を防いでくる。
その娼婦の顔は、先程までの妖艶な笑みもなく、無表情で冷たい目をこちらに向けてくる。
刺客という単語が脳裏に浮かぶが、その言葉の意味を考える前に、カラルは強引に身体をひねろうとする。
グサリ。
女のこちらの急所を狙った一撃は、狙いが逸れて、カラルの右の脇腹に刺さる。
瞬間、腹が熱くなり、一瞬遅れて身体中を痛みが駆け巡る。
「くそが!」
女性を振り払うように、腰の刀を抜き、がむしゃらに剣を振り回す。
カラルとてある程度剣術の心得はある。
一見、やけくそにも見える剣の軌跡であったが、その斬撃は、正確に女の身体を切り裂こうとしていた。
だが、女は、その斬撃を華麗に避けカラルの後ろに回ると、今度は、背中を刺してくる。
先程の脇腹への一撃と比べると、傷は深くないものの、焼けつくような痛みがカラルを襲う。
「ちぃ!」
その痛みを堪えて、刀を背後に振り向きながら思いっきり横に振る。
こちらを刺したという事は、今、相手はこちらに非常に近づいている。
なら、この一撃を避けきれるわけがない。
そう考えての、全力の一撃であった。
ブオン。
だが、凄まじい音共に、カラルの一撃は空を切った。
「えっ?」
呆けた様なカラルの目の前には、一度後ろに飛んで距離を取っていた女が、ナイフをこちらに向けて再度突っ込んでくる様子であった。
「あっ、くそ…」
慌てて、振り切った刀で、目の前に突っ込んでくる女に一太刀を浴びせようとする。
だが、その一撃はあっけなく躱され、女の手に握られたナイフは、そのままカラルの視界の中でゆっくりと、スローモーションのまま彼の左胸の中に吸い込まれていった。
グサ。
何とも小気味よい短い音がカラルの耳に響き、その後、胸のあたりに押し込まれるような衝撃が走り、最後に非常に強い鈍痛が、心臓から一気に身体中に広がった。
「お、あ、え、くそ…」
何を言おうか、言葉を探すが、結局意味のある言葉ではなく、カラルの口からはただの悪態が漏れ出る。
そしてそのままカラルは力を失い、ばたりと地面に倒れた。
(あぁ、くそ。俺は死ぬのか)
薄れゆく意識の中、先程まで身体中で響いていた痛みがなくなりつつあることを感じながらカラルの頭の中では、一瞬様々な言葉が浮かんでは消える。
こちらを襲った殺し屋の女は、カラルの様子を一瞬眺め、まだ息があることを確認すると、懐からそれなりに刀身が長いナイフを取り出すと、こちらに止めを刺すために、一歩、また一歩と近づいてくる。
(どこのどいつだ?あの妹か?それとも、他の貴族共の差し金か?)
自分を狙っている奴らなぞ、腐るほどいる。
そんな中、考えるだけ無駄であろうが、カラルは、自身が狙われている理由を考える。
鉄道の利権、妹を担ぎ上げたい奴らの暴走、過去に潰してきた平民達の復讐、派閥間の抗争、それともただの強盗か。
色々な考えが頭をめぐり、それに比例するようにそのまま身体の力が抜けていく。
このまま自分は死ぬんだろうか。
そう思った瞬間、意識は飛んだ。
『あぁ哀れな。その血に気が付かず全てを諦めるのか』
だがその瞬間、カラルの頭に女性の声が響く。
死の間際の混濁した意識がもたらした幻聴、そう考えるには強い言葉。
『哀れ哀れ。だが、望むなら対価と引き換えに、”祝福”を与えよう』
その耳に響く声に、カラルは、最後の意識を振り絞って首を動かし、承諾の意思を示した。
『あぁ、マライサアの血。それが今一度手に入るとは』
そして強い言葉が頭の中を響き、カラルは意識を失っていく。
意識を失っていく中で、カラルは、自身の身体に何かが入り込んでくるような感覚を感じた。
そして、彼の両目は、禍々しく、不気味な紫色の光を宿した。




