第94話 一通の手紙
第二章は、今回で終幕です。
第三章に入るまで二週間ほどお時間をいただきます。
この期間で、改稿と章分けなどを進めて、より読みやすい形に整える予定です。
いつも読んでくださってありがとうございます。引き続きよろしくお願いします!
レナには十日ぶりの学院だった。
学院の門が静かに開く。
金髪碧眼の青年──レオンと、その隣に寄り添うように歩く少女。
彼の手が、自然な仕草でレナの鞄を持っている。
「あれって……レオン?」
「隣、Eクラスの子じゃない? レナだっけ」
「てか二人とも休んでたよな……まさか一緒?」
ざわり、と空気が揺れた。
その視線が刺さるたび、レナは小さく肩を縮める。
(違う……そうじゃない)
けれど否定する言葉は喉で溶け、
レオンは平然としたまま、いつもの歩幅で先へ進む。
扉が開き、教室に足を踏み入れた途端──
空気が変わった。
がやがやと賑やかだった教室が、一拍遅れて沈黙する。
視線が──走った。
誰も何も言わない。
けれど、“見ている”。
レナは笑おうとした。いつも通りに。
けれど頬が引きつり、うまくできなかった。
席に向かう間にも、背後から囁き声。
「……十日以上も、何してたの?」
「レオンと一緒だったって話だよ」
「Eクラスのくせに、コネすごいね」
「特別扱いってやつ?」
レナは顔を伏せて鞄を机の横にかけた。
耳の奥がじんとする。
(違う。何も、特別なんかじゃないのに……)
机の周囲、まるで結界でも張られたかのように誰も近づかない。
話しかける者も、目を合わせる者もいない。
隣の席の子が、わずかに椅子を遠ざける動作さえ見逃さなかった。
(いつもと同じ場所なのに、世界が違うみたい……)
レナは机に手を置き、視線を落とした。
爪がほんの僅かに震えていた。
教室の隅で、誰かが言った。
「Sクラスに守られて、何様のつもり?」
「Eクラスのくせに、特別ぶってんじゃないよ」
その言葉に、レナは顔を上げなかった。
けれど心の奥で、何かがヒリついた。
言葉では表せない、冷たいものが胸の中で広がっていく。
孤独。
疎外。
嫉妬。
無理解。
レナはそれを──もう何度も味わってきたはずなのに。
(……慣れてたはずなのに)
そう思った時だった。
「レナ!」
明るい声が、教室の重さを一瞬で裂いた。
サラが両腕いっぱいに資料を抱えて駆け寄ってくる。
「もう! ようやく登校できたのね! 心配して、プリント全部取っておいたんだから!」
勢いそのままに、レナの机へ書類が積み上がる。
サラは周囲の視線など一切気にせず、当然のように隣へ腰を下ろした。
「……ありがとう」
それだけで、喉の奥が少しほどけた。
「レナ、大丈夫だった? ずっと心配してたんだよ〜。あ、くだらない噂なんて、踏み潰しとけばいいのよ」
サラの視線が教室中をさりげなく一掃する。
その一瞥が、誰よりも強かった。
レナの肩が、僅かに下りた。
その時、静かな声が近づいた。
「席、空いてる?」
振り返るとエリックが立っていた。
彼は周囲の視線の痛さを読み取った上で、飄々とした笑みを浮かべる。
「おかえり、レナ。……お前がいない間、静かだったよ。色々と、ね」
その言い方が妙に優しくて、胸がまた熱を帯びる。
「ただし、今からはそうはいかないと思うけど」
彼は屈んで、レナの目線と同じ高さに視線を合わせた。
声を落とし、誰にも届かない小ささで──
「何かあったら、すぐ俺を呼んで。……本当に、何でも」
サラはそんな空気もお構いなしに、朗らかに笑う。
「はいはい、二人とも難しい顔しない! レナは帰ってきたんだから。ね?」
レナは、小さく頷いた。
ほんの数秒前まで息が詰まりそうだった教室が、
少しだけ──呼吸を取り戻していた。
***
裏路地の酒場は、昼間から酒と煙草の匂いで満ちていた。湿った木の床には酒が染み込み、客たちのざらついた声が絶え間なく飛び交う。
リゼはカウンター席に腰をかけ、赤い酒が入ったグラスを指先でゆっくり回していた。紅のドレスはこの場には場違いなほど艶やかで、長い巻き髪ときらびやかなネイルが薄暗い灯りを弾いている。
少し離れたテーブル席から、低い声が漏れ聞こえてきた。
「なあ、聞いたか? “あの拠点”が一晩で消えたってよ」
「火災でも爆発でもねぇ。調べた奴が言ってたが……魔力痕すら残ってなかったらしい」
「まるで最初から何もなかったみてぇだってな」
「生き残り? ゼロだ。逃げた奴すらいねぇ。名簿にあった連中、全員──消された」
ざわつく声。恐怖を隠しきれない笑い。
リゼは赤い酒を一口含み、唇を艶やかに濡らした。グラスを置き、ネイルの先で軽く縁を弾く。
「北西の鉱山、派手に燃えたらしいじゃない?」
カウンター越しに、何気ない調子で店主に声をかける。
「裏組織の本拠地がひとつ、綺麗さっぱり消し飛んだそうよ。人も物も記録も。ねえ、気持ちいいくらい徹底してると思わない?」
店主はグラスを拭きながら、曖昧に肩をすくめるだけだ。
「あそこ、最近は“赤魔石”絡みで勝手に暴走してたの。街でキメラ暴れさせたり、素人をさらったり……。上から見れば、とっくに“処理候補”だったのよ」
リゼはグラスの脚を指先でつまみ、くるりと回した。赤い液面が静かに揺れる。
「地下組織がひとつ燃えたくらいで、世界は大げさには騒がないわ。表向きは『老朽鉱山の爆発事故』。裏では『いい掃除が入った』で終わり」
店主が小さく鼻を鳴らす。
「……で、その“掃除屋”に心当たりは?」
「さあね」
リゼはいたずらっぽく片眉を上げた。
「私はただ、最近“仕事の早い子”がいるなって思ってるだけよ」
妖艶な声で笑い、グラスを傾ける。
酒場のざわめきにその囁きは紛れ、誰も彼女の興味の矛先に気づくことはなかった。
***
レオンが学院を休んでいた日。
その日を狙ったかのように、オルフェは戻ってきた。
学院の廊下が、一瞬静まる。
白銀の髪、紫の瞳。顔の半分を覆う包帯。
首、手、肩──随所に重ねられた包帯と魔術処理痕が、生々しくその“事件”を物語っていた。表向きは「実験事故による負傷」──学院がそう発表していた。
「……あいつ、戻ってきたのか」
「生きてたんだな……」
Sクラスの教室前、ざわめきが走る。
かつて“事故”で多くの生徒を巻き込んで消えた禁術使い、オルフェ・クライド。
その名が、また学院に戻ってきた。
扉を押し開けて入ってくる彼の姿に、教室の空気が一瞬で張り詰める。
ノアが鉄ブチ眼鏡の奥で目を細めた。
「術式逆流……って発表だったな。あの傷の処理痕、普通じゃない」
ジークは椅子に深く座ったまま、短く鼻を鳴らす。
「事故? 本当かよ。何かヤバいことやってたんだろうよ」
キースは、声を出す代わりに喉を鳴らして飲み込んだ。
オルフェは教室内をぐるりと見回す。
「……騒がしいのは嫌いだけど、反応してくれると案外悪くないね」
相変わらずの無表情。そしてどこか皮肉げな笑み。
彼が席に着くと、Sクラスの生徒たちは目を逸らしたまま、誰も声をかけなかった。
***
レオンは寮の自室にいた。
机の上に、封書が一通。毎月、定期的に届いているものだ。
差出人名はない。
だが封蝋は見覚えがあった。
黒に金の縁取り、見た者の“魔力量”によって開封の可否が決まる──結界術を応用した印。ヴァレンティア公爵家のものだ。
「……飽きずによく送ってくるな」
無造作に、手紙をつまみ上げる。
重みがある。
中身は、ただの紙のはずなのに、指先にぴたりと“視線”のような重さが残る。
──開ける気にもならない。
手紙はまだ読まれていない。
内容はいつも通り、季節の挨拶や無害な文章の羅列だろう。
だが、あの家が無意味な手紙を出すわけがない。
何重にも行間に織り込まれた“暗号”と、“牽制”と、“命令”の種が仕込まれている。
レオンは、黙ってゴミ箱にそれを落とした。
「俺は、帰らないよ」
ぽつりと呟いたその声は、誰に届くものでもなかった。
(俺は、俺の居場所を、俺の意思で選ぶ)
レオンは手袋をはめ直し、結界の強度を確認すると、寮の扉を閉め出て行った。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
第94話で第二章が一区切り、ここまでで約25万字になりました。
次章はレオンの過去や新しいキャラたちが登場、物語が加速していきます。引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。
三章は2月24日(火)からスタートの予定です。




