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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第85話 やっと二人きりになれたね

「来たんだね、レナ……」


 その声は、まるで最初から待っていたかのように落ち着いていた。


「オルフェ……どうして……サラを……!」


 レナが声を上げる。


「君を呼ぶために、必要だっただけだ。こうでもしなければ君は動かない。そうだろ?」


 静かな口調だが、その瞳は異様な熱を帯びている。


「君の協力が必要なんだよ。君の血管を流れるその魔力の波形、たった一滴でも──世界の理を塗り替える。俺が長年夢見てきた“式”を完成させるんだ。それよりも、一人で来て欲しかったんだけどね」


 オルフェがちらりと横目にエリックを見た。


「久しぶりだね。エリック・ハーヴィル。君がいなくなって、Sクラスも雑音が消えて静かになったよ。まさか、君が来るとは思わなかったよ。これは俺の予定外だな」


「協力協力って、レナに何をさせる気だ!? レナは……普通の女の子だ! お前みたいな狂人の玩具じゃない!」


 声を荒げたエリックの拳は震えていた。


「君、何も知らないんだね? 普通の子? そう擬態してるだけだ」


 オルフェは先端に針のついた器具を取り出し、準備を始める。


「ファウレス家。その女の子の名前は、レナ・ファウレスだ」


「…は!? お前、とち狂ってるのか! ファウレスの血筋は絶えたって言われてるんだぞ」


「表向きにはね。魔竜の森の件、聞いただろ? 魔竜と共に、辺り一面を吹き飛ばしたのは、君の隣にいる女の子だよ」


 エリックは真っ青になって、レナを見つめる。


「おい、レナ、違うよな?お前が、そんな血筋のわけないだろ?」


 レナは何も言えなかった。「違う」と言えたら、どれほど楽だっただろう。でも、その力が自分の中にあることを、否定できなかった。


 オルフェはエリックを見やると呟いた。


「エリック、君は俺の研究には不要だ。」


 結界の線が床を走った瞬間、エリックの瞳が細くなる。

 結界が“閉じる”前触れだ。


(……やっぱり来たか。孤立させて、分断する気だな)


 エリックはレナの前に出た。剣を抜く。握りは迷わない。


 エリックは踏み込む。まず一太刀。

 床を走る結界線を断ち切ろうとして、刃先が弾かれた。甲高い金属音。切れない。


 なら、正面から崩す。


「《防壁》」


 短い詠唱。前方に淡い障壁が立つ。同時に左手がもう一枚、細い術式を重ねる。

 結界の収束が障壁にぶつかり、光が歪んだ。完全に止められないが、“速度”は落ちる。


 エリックはその一拍で距離を詰め、剣で牽制しながら足運びで角度をずらす。

 狙いはオルフェではなく、床の紋の“要”になっている箇所だ。


「《衝撃》」


 石畳が鳴り、圧が走る。紋の一部がわずかに瞬いた。

 結界の線が細く乱れ、収束が一瞬だけ迷う。


 オルフェの目が細まる。


「まだ“戦い方”は覚えてるのか」


「そりゃあな! お前への嫌がらせくらいならできるぜ」


 オルフェは軽く首を傾け、紫の瞳でエリックを見た。


「……腕、鈍ったね。Sクラスを離れてから」


 静かで事実確認みたいに淡々とした声だ。


「うるせぇよ」


 エリックは障壁をもう一枚重ね、あえて大きく踏み込んだ。

 正攻法の押し合い。魔力を使って、時間を買う。


 オルフェは前に出ない。指先を落とすだけで、結界が増える。

 空間が狭くなっていく。音が薄まり、匂いが遠のく。

 世界が布で覆われる感覚。


「レナ! 無茶するなよ。生き残れ」


「なっ……エリック! 待って!」


 レナが腕を掴もうとした瞬間、透明な隔たりが指先を弾いた。


 (俺じゃ、こいつに勝てない。──通信石は、レナの部屋の前にある。やることはやった)


 オルフェの結界が一気に収束する。

 眩い光の壁が奔り、空間を閉ざす直前、エリックは短く吐き捨てた。


「クソッ……お前の思いどおりにさせるかよ」


 声が遮断され、視界が揺らぐ。

 次の瞬間、彼の姿は、魔術の隔壁の向こうへと完全に閉ざされた。



 ***



 眩い光の壁が閉じ切った。


 エリックの姿は、隔壁の向こうに薄く滲んだまま、音も匂いも一緒に奪われていく。叫んでいるはずなのに、口の動きだけが遠い。


「エリック……!」


 レナは駆け寄り、手を伸ばした。指先が触れた瞬間、透明な硬さが弾いた。皮膚の感覚だけが遅れて痛む。


 もう一度。今度は掌で叩く。


 鈍い反発だけが返り、結界は揺れもしない。


(何なの、これ……)


 レナは息を吸い、掌に魔力を流した。細い灯りが指の間からこぼれ、隔壁の表面に淡い波紋が走る。けれど、次の瞬間には吸い込まれて消えた。まるで、こちらの力を測って、笑っているみたいに。


(壊せない。私の魔力じゃ、届かない……)


 背後の気配に振り返ると、オルフェが立っていた。紫の瞳は静かで、レナの焦りだけを映している。手を出す気配もない。ただ観察している。実験台を見下ろす研究者の目で。


 レナの背筋に、ぞわりと寒気が走る。


 ここは廃棄された研究棟のはずなのに、床の線は鮮明で、結界は完璧で、逃げ道だけが最初から削り取られている。


(これが……オルフェ・クライド……)


 学院で天才と呼ばれている、異端者。噂で聞いていた怖さが、いま目の前で形になっている。


 レナは隔壁に背をつけたまま、爪が食い込むほど拳を握った。逃げる方向はない。助けを呼ぶ声も、ここでは外に届かない。


 オルフェはゆっくり口元だけを上げた。


「やっと二人きりになれたね」


 その声は甘くも優しくもないのに、距離だけを縮めてきた。

 レナの喉が鳴り、うまく息が入らない。


「……エリックとサラを、返して」


 精一杯の声は震えた。


 オルフェは答えの代わりに、指先を軽く動かす。

 隔壁の向こうで、エリックの影がさらに薄くなる。


「君が、俺の話を聞いてくれるならね」


 条件を告げる声は、あまりにも穏やかだった。

 だからこそ、レナは怖かった。

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