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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第71話 研究者の願い

 ■【学院・王都連絡報告書】


 件名:近隣市街地における連続災害と戦力対応の不備について


 ここ数日、王都南区および学院近隣にて魔物被害が散発的に発生している。

 特にマンティコアによる襲撃では、中央市場の一角が炎上し、翌日には第二区の転移陣設備が一時的に機能停止に陥った。


 被害は局所的ではあるものの、臨時に張られた結界の一部が既に二度突破されており、現状の防衛体制では長期的な維持は困難と判断される。


 軍部はこれまでに計4度迎撃を行ったが、魔獣の個体が回を追うごとに強化されており、被害規模は徐々に拡大している。

 このままでは市街地の生活圏が浸食され、全面的な都市機能の低下も避けられない見通しである。


 以上を受け、王都より「学院戦力の臨時動員」が正式に検討段階へ移行。

 しかし、最大戦力の一人とされるSクラス生徒・レオン=ヴァレントは、通達以降すべての出撃要請を黙殺しており、現状学院側は有効な戦力行使が不可能な状況にある。




 ***




 石造りの重厚な会議室。古いランプの光が机の上に書類の山を照らし、魔導計の針がかすかに音を立てて回っている。学院幹部たちは、誰も口火を切れずにいた。


「──奴が動けば、今のマンティコア程度なら抑え込める。

 だが……あの通達以降、まったく反応がない。返答すらしないんだ」


 年配の教官が、苦い顔で報告書を叩く。


「特級A相当の実力を持つ生徒だぞ。軍部でもこのクラスは一都市防衛レベルとして扱われる。その剣が動けば、被害は最小限にできるはずだった」


 対面に座る魔術局の長官が低く呟いた。


「今さら“許可する”と伝えても無駄だろうな。あいつはもう学院のためには剣を振るわない……まるで見限られたようだ」


 別の幹部が苛立ちを隠さずに言う。


「皮肉な話だ。“守る者”がいたから戦ったのに、学院はそれを『規律違反』とした。そりゃ動かんよ」


「だが……このままじゃ、街が壊れる。結界維持も限界だぞ。

 現状維持すら不可能なんだ。時間が経つほど、個体は進化していく。

 いずれ、軍の結界すら意味をなさなくなる」


 緊張に満ちた沈黙が走る。やがて最も年長の理事が絞り出すように言った。


「……今さらだが、レオンを“特例許可”で動かせと?誰が頭を下げる?」


「……今、あいつに頭を下げても遅い。“もういい”と切られた後だ」


 言葉が重く机の上に落ち、室内の空気がさらに冷たくなる。

 彼らは理解していた──“特級A”という学院最強戦力を、自らの手で遠ざけてしまったことを。



 ***



「……軍では抑えきれません。次に現れるのは、中央区かもしれない」

「学院の威信はどうなる。学生を守るどころか、市民に被害を出している。王都からの圧力も限界だ」


 押し殺した声が重なる。やがて誰もが口を噤み、重苦しい沈黙が落ちた。

 その沈黙を破ったのは、最年長の教師だった。


「レオン・ヴァレントは応じぬ。 ──ならば、呼ぶしかあるまい」


 一斉に顔が上がる。数人の視線は怯えを帯び、別の数人は苦々しい諦念を浮かべていた。


 軍は機能していない。レオン・ヴァレントは要請を黙殺した。残るはただ一人──忌避され、監視対象とされていた“異端”。


 間もなく、学院の研究棟の最奥。

 扉を叩く音が冷えた空気に響いた。


「……オルフェ・クライド。頼みたい」


 教師の一人が言葉を絞り出す。

 中にいた青年は、白衣の裾を翻しながら顔を上げた。


「頼む?」


 紫の瞳が細められる。

 微笑は浮かんでいたが、その気配は鋭利な刃のように張りつめていた。


「君の結界術、禁術の知識……いま学院に必要なのは、それだ。軍も、我々も……もはや防ぎ切れない」


「……つまり」


 オルフェは静かに言葉をなぞった。


「君たちでは無理だったから、俺にやらせると。随分と勝手のいい話だ。俺が犯人だと噂されていたのに、君たちは名誉のために黙殺した。“元学院生”の名を、公表しなかった。」


 教師の顔に羞恥と悔恨が入り混じる。

 それでも、背に腹は代えられなかった。


「……すまない。だが、今はそんなことを言っている余裕がない。頼む」


 沈黙とともにオルフェは視線を外し、机に置かれた封印式のペンダントへと手を伸ばした。


「──いいだろう。君たちのためじゃない。僕はただ、“確かめたい”だけだ」



 ***



 夜の研究室。


 魔力灯の淡い光だけが灯る静寂の中、

 ガラス器具と魔術図の並ぶ机の前で、オルフェ・クライドはひとり立っていた。


 窓の外には月も星もない。

 ただ、研究室の奥で微かに震える封印式ペンダントの揺らぎだけが、静かな呼吸のように存在していた。


(──いつからだろう)


 禁術を始めようと思ったのは。

 命に触れ、魂に干渉することに、何のためらいも持たなくなったのは。


 カリグレア学院に入学するまで、

 ずっと“孤児”と呼ばれて生きてきた。


(生まれたときから、母はいなかった)


 孤児院の前に捨てられていた。

 封印式の魔術が刻まれたペンダントと、薄くほつれたタオルに包まれて。


「あなたは拾われたのよ」

「お母さん? きっともう亡くなってるわね」


 先生たちはそう言った。優しい嘘だと思った。

 信じたくなかった。


 だから、調べた。

 魔術文献を読み漁り、街の記録を漁り、医術と封印魔術に没頭した。

 何年も、何年もかけて。


 辿り着いた答えは──


「本当に、もう死んでいた」


(……遅かった)


 それを知ったとき、胸の奥で何かが静かに崩れた。

 絶望というにはあまりに乾いていて、涙も出なかった。


 ただ、その日から確かに、オルフェは“生者の領域”に未練をなくした。


 母に会って、話してみたかった。

 この手で触れてみたかった。

「なぜ捨てたのか」と、「名前を呼んでほしかった」。


 けれどそれは、生きている限り叶わない。


 だから、始めた。

 死者蘇生の研究を。


「ネクロマンサー」──そう呼ばれることもあった。

 だが、オルフェ自身はそれとは違うと思っていた。


 ただ、“会ってみたかった”。

 それだけだった。


 魂の呼び戻し。

 器の再構築。

 魔力中枢の複写。

 どれも理論上は完成に近づいたが、肝心の“命”だけが戻らなかった。


 幾度も禁術を試みた。

 人間を使ったこともあった。

 生きた素材を“器”に変える試みも、何度も。


 模造の魂なら、作れるようになった。

 だが、“本物”ではなかった。


 所詮は記録に近い。残響に過ぎない。


(偽物はいらない。俺が欲しいのは、唯一の、たったひとつの……“本物”)


 そして、行き着いた。


 ファウレスの血。


 レナの血に流れる、あの異常な魔力の構造。

 命と魔力の接点を越える純度。

 通常の魔術とは異なる、根源的な“魔の因子”。


(あの血なら、母の魂をつなぎとめる“核”になれる)


 その思考は、もはや狂気の域に近かった。

 だが、オルフェにとってはこれまでで一番、正しい計算だった。


「……レナ」


 誰にも届かない声が、実験室の壁に溶けて消える。


「君は、俺に“理解”させてくれるだけでいいんだ」


 視線が、封印式ペンダントに落ちる。

 脈動するその中心には、彼が今も持ち続ける唯一の“接点”があった。


 母と魔術と、彼自身の原点すべてが今、レナに向かって収束しようとしていた。


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