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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第70話 エリックの疑念

 昼休みのEクラス教室は、いつも通りの賑やかさを取り戻していた。

 だがそのざわめきの奥では、やはり“例の事件”の話題が止む気配はなかった。


 レナは窓際の席で、持参したサンドイッチをかじっていた。その隣、菓子袋を手にしたエリックが、ひょいと視線を向けてくる。


 「なあ、軍より早くキメラ倒したのって、やっぱレオンだろ。お前、居合わせてたんだよな?怪我は大丈夫か?」


 素朴な問いかけに、レナは小さく頷いた。


 「うん……。怪我はないよ」


 「はー……」


 エリックは感心したように頭を掻いた。


 「怖い奴だと思ってたけどさ、キメラだとか伝説級のマンティコアまで相手にできるって、どうなってんだか。俺、よく今まで暗殺されなかったわ」


 「……暗殺?」


 レナがきょとんとする。エリックは慌てて手を振った。


 「いやいや! 何でもない! ただの冗談! 俺、善良市民だし!」


 レナはぽかんとした後、ふっと笑った。


 「レオンもこれで一躍有名になったよね。軍のスカウトとか来るんじゃない?」


 「来てたらしいぞ。けど、学院側が“うちの生徒なんで”って断ったって話だ。さすが学院、手放したくないってワケか。ま、当然だな。あの強さは。オルフェだって色々やらかしてるのに手放さねえもんな」


 そう言って、エリックはお菓子をもうひとつ口に放り込む。咀嚼しながら、少しトーンを落として続けた。


 「もう一つの噂、キメラ作った奴だっけ。……あれ、オルフェのことを皆が言ってるんだろ」


 レナは顔を上げた。


 「アイツはアイツで、誤解生むことが多いんだよな。……やってることも最低だが」


 それを聞いて、レナは少しだけ、真剣な表情になる。


 「……あの人は犯人じゃないよ。見たもん、犯人」


 「……見た?」


 「うん。派手な異国風の服の男の人だった。すっごい軽そうな人。……ぜんぜん、オルフェさんとは違った」


 エリックはしばし沈黙し、肩をすくめた。


 「だよなあ。あの男は……そういうの、作るには軽すぎる。あんな中途半端なもん、オルフェが作るはずないよ。めちゃくちゃ、変なとこで拘るからな」


 「うん。……なんとなく、分かる気がするよ」


 レナはそう言って、少しだけ微笑んだ。


 その会話のすぐ外。


 廊下の陰、誰にも気づかれない位置に、ひとつの気配があった。


 オルフェ・クライド。


 教室に背を向け、壁にもたれながら、閉じられた瞳をゆっくりと開く。


 (……噂に惑わされない奴らが、まだ……いる)


 それだけで、なぜか胸の奥が少しだけ静かになった気がした。空っぽだったはずの感情の隙間に、何かが微かに触れた。


 だがそれを確かめることはせず、彼は静かに歩き去っていく。



***



 午後の図書館は、静寂に包まれていた。


 高い天井から差し込む光が、埃の粒を淡く照らし、古い本の匂いが空気を支配している。


 レナは一人、窓際の席で本を読んでいた。

 分厚い魔術理論書。慣れない専門用語に眉を寄せていたそのとき、斜め後ろからひょいと声がかかった。


 「……その解釈、三行目から逆に読んだ方がいい」


 驚いて振り返ると、そこには白衣の青年──オルフェが立っていた。

 白銀の髪に、紫の瞳。無表情のまま、レナのページを指差している。


 「……ありがとう」


 そう答えたレナに、オルフェはしばし黙していたが、やがて低く問いかけた。


 「……俺が怖くないのか?」


 レナは一瞬、きょとんとした顔をしたあと、思い出したように微笑む。


 「……噂のこと? 私は犯人、見てるから」


 言いながら、本を閉じる。

 表紙に手を添えて、柔らかく続けた。


 「それに……見てなくても、何となく違う気がするよ。これは、感覚だけど」


 オルフェはまばたきを一つしてから、言った。


 「噂だけじゃない。……俺が君に接触している理由、分かっているだろう」


 声色は変わらない。冷静なまま。

 ただ、それがむしろ緊張感を孕んでいた。


 「君の血が欲しい。……その血で研究がしたい。あの赤い魔力の流れを、構造として解き明かしたい。……君という現象の、解析がしたいんだ」


 静かに、真っ直ぐに告げる。


 そこには“人間的な線”を越えかけた、何かがあった。


 レナは視線をそらさずに、しばらく黙っていた。

 そして、ほんの少し困ったように、けれど柔らかく微笑んで言った。


 「それは、怖いというより……困るかな」


 「……困る?」


 「うん。どれだけ研究熱心でも、渡せないものはあるから」


 拒絶ではない。否定でもない。

 ただ、静かに“線を引く”声だった。


 オルフェはそれをじっと見つめていた。

 その瞳の奥で、何かが一瞬だけ、揺らいだ。


 「……そうか」


 それだけを呟くと、彼は静かに背を向けた。

 そして、再び誰もいない本棚の奥へと、白衣の裾を揺らして消えていった。


 その後ろ姿は、不思議と、どこか寂しげだった。



***



 学院の渡り廊下。


 昼下がりの光が射し込む中、エリック・ハーヴィルは足を止めた。耳に飛び込んできたのは、聞き捨てならない会話だった。


「え? オルフェが? レナと……?」

「うん、時々話しかけてるみたいだよ」


 ほんの些細な噂話。

 だが、その瞬間、エリックの表情から笑みが消えた。


 ゆっくりと踵を返し、廊下を歩き出す。

 靴音が、妙に重く響いた。


(……マジかよ)


 心の奥に沈んだ声が、波紋のように広がっていく。


(オルフェ・クライド。そもそもあいつは、人間に興味を持つような男じゃない。そんな奴が、“レナに興味を持った”なら……それは、ただの気まぐれで済む話じゃない)


 知識、技術、規格外の魔術。

 表向きの学院では理解されていないその力を、エリックは知っていた。

 そして同時に──その異常さも。


(レナは普通の女の子だろ? オルフェみたいな異常者が目をつける理由なんて、本来あるはずがない)


 そう思い込もうとした瞬間、脳裏に浮かんだのは冷たい青の瞳。

 レオン。あれもまた、常軌を逸した存在だった。


(……レナが引き寄せてるのは、危険な狂人ばかりだ。俺の前提が間違ってる? レナは、本当に“普通”なのか? あいつは、何を隠してる?)


 疑念と恐怖が胸をかすめる。

 けれど同時に、それを振り払うように奥歯を噛み締めた。


(それでもあの笑顔が消えるのは、見たくない)


 沈む夕陽の赤が、渡り廊下に長い影を伸ばす。

 その影の中を、エリックは迷いを押し殺しながら歩いていった。


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