第62話 完璧すぎる王子様
「理想のタイプ? イケメンでー、お金持ちでー、優しい人がいいよね〜!」
「ホントホント! あと頭良くて気遣いもできて、できれば背も高くて……!」
「そんな完璧な王子様、どこにいるんだろ〜〜〜!」
休日の午前。学院近くの小さなカフェでは、女子生徒たちが明るい声ではしゃいでいた。制服ではない分、皆少し浮かれていて、その空気にふんわりとした幸福感が漂っている。
その隣の席で、一人静かに窓の外を眺めていたレナは、彼女たちの声を耳にしながら、心の中でそっと呟いた。
(うーん、都合よくそんな人、いるわけ……)
「……待った?」
その声に顔をあげる。金色の髪、切れ長の蒼い瞳、整った顔立ち。日差しを浴びて立つその姿はまるで一枚の絵画のように美しく、レナの前に現れたその青年に、隣席の少女たちが一斉に息を呑んだ。
「あ……いた」
整った顔。全教科満点を狙える知性。類まれな実力。
そして何より、その完璧な仮面。レオン・ヴァレントは、表面だけを見れば、理想の王子様そのものだった。
「さっき来たところだよ」
「そうか、よかった」
レオンは席に着き、店員に飲み物をさらりと注文した。
一つ一つの動作に隙がなく、気品がある。その振る舞いだけで、周囲の注目が自然と集まっていた。けれど当の本人は、その視線にまったく無頓着だ。慣れているのか、あるいは全く興味がないのか。
「飲み終わったら買い物に行こうか」
「……うん」
「服と靴と……あとは何にしようか」
無邪気な少年のように、目を細めて笑う。その笑顔は本当に眩しくて、まっすぐで、少しも邪気を感じさせなかった。
「おねだりしてくれたら、もっと買うよ?」
「……お、おねだり……?」
「甘えた声で“買って”って言ってくれれば」
「えええ、恥ずかしすぎて無理っ」
レナが耳まで真っ赤になって言うと、レオンは肩を震わせて噴き出した。
「冗談だよ。……でも、もし言ったら本当に何でも買ってやる」
口調は穏やかで柔らかい。でもその奥に、何か深いものが見えたような気がした。言葉に込められた熱に、レナは思わず目を逸らした。一方、レオンは穏やかな笑顔を崩さない。
その穏やかな横顔の奥。誰にも見せない、誰も知らない、“本性”が確かに息づいていた。
それを知る者は、今、学院には誰もいない。
***
「……え、今の人、見た?」
「見た見た……あれ、ヤバくない? 顔、やばい……」
「ほんとにいたんだ、理想の王子様……!」
隣席の女子たちがざわついていた。その言葉は全て、レオンの一挙手一投足に向けられたものだった。
澄んだ金髪と、海のような深い青の瞳。
完璧な振る舞い、柔らかく落ち着いた声色。
少女たちが夢見ていた“王子様”は、あまりにも自然に、その場に座っていた。
「……なんか、芸術品っていうか、絵本の中の人みたい……」
「うん、しかもあの子と一緒にいるんだよね?Eクラスの……ちょっと羨ましいなあ」
「レナさん……だよね。地味だけど、可愛い感じの子……」
ざわめきは少しずつ、嫉妬混じりの熱に変わっていく。けれど、その輪の中にいた一人の少女だけは、笑わなかった。彼女は、ゆっくりとスプーンを置き、首をかしげた。そして、レオンの席、レナの向かい側に座る彼の横顔を、じっと見つめていた。
「……なんか……あの人、変じゃない?」
ぽつりと、呟いた。
「え?変って……完璧じゃん?」
「うん、完璧すぎるの。だから、怖いって思わない?」
少女の声は、あくまで静かで冷静だった。だが周囲の子たちは、ふふっと笑って誤魔化すように言った。
「なにそれ~、イケメンに怖いって言っちゃうの、嫉妬じゃないの~?」
「本当にやばい人だったら、あんな優しい笑顔しないって~」
少女はそれに返事をしなかった。ただゆるやかに、息を吸って、吐いた。
(あの人、笑ってるけど……目が、笑ってない。隣の子と話してるときだけ、表情に一瞬だけど、すごく濃いものが混ざった)
(……あれ、恋じゃない。愛でもない。あれは……)
彼女には、それが“狂気”だと断言できるほどの経験も知識もない。ただ、本能的に嫌なものを見た気がした。
完璧すぎる人間。
理想の王子様。
けれど、その“完璧”の裏側に、“絶対に触れてはいけないもの”が確かにあった。
(あの子……レナさんっていうんだっけ?向かいに座ってる彼女はどこまで、気づいてるんだろう)
ふと視線を向けると、レナは微笑んでいた。
ほんのりと頬を染め、恥ずかしそうに言葉を返す彼女の横顔は、まるで絵のように綺麗だった。だが、それを見て少女は、ほんの少しだけ背筋が冷たくなった。
(まるで、檻の中の鳥みたい……)
彼女のその呟きは、誰にも届かない。
誰も気づかない。誰も知らない。
……ただ一人、気づいてしまった少女は、何も言わずに目を伏せた。
「……完璧って、怖いね……」
それは、彼女だけが見た“理想の崩れ”だった。
***
彼──レオン・ヴァレントは常に冷静だった。言葉遣いは丁寧で、声は低く、相手に無用な刺激を与えないように調整されている。学院では優等生として扱われ、教官にも一目置かれ、生徒たちからも「近寄りがたいが信頼できる男」と見なされていた。
そして、レナの前ではいつも優しかった。
「疲れてるのか? 今日は、無理しなくていいよ」
「……俺がやるから大丈夫だよ」
その声は穏やかで、まるで春の陽だまりのようだった。だがその仮面の奥で、彼の思考はいつも熱に侵されていた。
(レナの手を握ったときの、細い骨の形。頬に触れた肌の、温度。声、瞳、匂い、歩き方、言葉の癖。全部、俺のものにしたい。笑う顔も、泣き顔も、痛みに歪むその表情も。キスして、繋がって、全部を自分の中に閉じ込めたい)
それは恋とは言えないもの。愛でもなかった。所有欲、欲望、執着、破壊衝動。すべてが絡まり合っていた。
けれど、彼にとってはそれが“純粋”だった。
(レナは、俺がいなければ壊されていた。だから、俺のものだ。誰にも渡さない。誰にも触れさせない。奪おうとする者は、すべて焼き尽くす。世界すら焼き尽くす。それだけだ)
レナの情報を狙う者、存在を傷つけようとする者は全員、排除する。
それは感情から来るものではなかった。事務処理であり自衛本能であり、ただの「当然の帰結」だった。
──レナが“奪われる”可能性など、一切残してはならない。
「なあ、レナ……お前が誰に笑ってもいい。でも、最後に帰る場所は俺だけにして。そうじゃないと、俺、本当に壊れてしまうかもしれない」
独り呟いたその言葉はある種の予告だった。
レオンという破滅の胎動。




