第59話 完全なる隠滅
演習待機地はざわめきに包まれていた。
洞窟の入口から、土を蹴り飛ばすような足音が響いてくる。振り返った瞬間、生徒の一人が飛び込んできた。
顔は真っ青、唇は震え、呼吸は掠れている。
「せ、先生っ!! あ、あの、ゴ、ゴ、ゴーレムがッ! 中に……! 中に……!」
声が震えすぎて形にならない。今にも倒れそうな身体を教師が抱き留めた。
「落ち着け!息を整えろ!」
「何があった?ゴーレム?そんなはずはない、この洞窟に……」
「他の班は!?残っているのは誰だ!」
一人の教師が肩を掴み、問い詰める。
生徒は震える唇で、ようやく搾り出した。
「レナ・ファリスの班が……中に……っ……皆……っ……!」
その言葉に、数名の教員が即座に武装し、魔術を展開しながら洞窟へ駆け込んだ。後方では、逃げ延びた生徒たちが地面に膝をつき、泣きじゃくっている。
数分後、戻ってきた教員たちの顔は土気色だった。
一人が、低く、しかし全員に聞こえる声で言う。
「……死んでいる。護衛も、生徒も、魔物も……」
「結界は?どうやってゴーレムが?」
「痕跡はある。だが……意図的に消されている。高位の結界術だ。犯人の魔力波形も残っていない」
別の教師が息を呑む。
「このレベル……少なくとも我々の結界術じゃ追えない」
洞窟は幾重にも枝分かれしている。彼らが確認できたのは学院が指示していた中央通路のみだった。
単なる事故ではない。仕組まれた襲撃であり、しかも巧妙に“足跡を消す”という高度な犯行。
「上に報告を……いや、これは学院上層部案件だ」
少し離れた位置でそのやり取りを聞いていたサラは、耳鳴りのような感覚に襲われていた。
「……レナの班が……?」
馬車の中で笑っていた彼女が、今はもう……?
思考が凍りつく中──洞窟の闇が揺れた。
そこから現れたのは二つの影。
一人は、全身を血で濡らした少女。
もう一人は、返り血を浴びたまま剣を手にし、冷たい碧眼で周囲を見渡す青年。
生きていた。
サラの胸に安堵が走ったが、同時に疑問も芽生える。
(……どうして、あの人がここに? Sクラス、関係ないよね? まさか、レナの為にこんな洞窟まで来たの? 一体、いつから……?)
そんな事を考えると、サラの胸の奥が少し痛んだ。
***
「……犯人は不明、か」
学院上層部の対応会議室で、報告書に目を落とした年配の教官は、眉間に皺を寄せた。
「教師陣では対処不能な結界遮断……しかも魔力痕跡の再構築すら不能とは」
「故意の事故だとしても、証拠がゼロ。だがこれは明らかに魔術犯罪だ。何らかの手段で封印が解かれたと考えるべき」
「どう考えても、生徒のいたずらのレベルじゃない」
「……Sクラスに、復学者がいたな」
ある教官が呟くように言った。
「ああ。オルフェ・クライド。だが、今回の演習には顔を出していない。現場に姿を見せた者もいない。記録上は一切の関与がない」
「ならば、動けん。我々は“証拠”がなければ、誰も罰せられないのだよ」
教官たちは重い沈黙に包まれた。
***
学院医務棟の静かな一室で、レナは白い寝台に座り、硬い顔をした2名の教師に囲まれていた。生存者への聴取だった。片方がゆっくりと口を開く。
「……君は、実際にその“ゴーレム”と遭遇しているね?」
「はい……」
「どうやって戦ったのですか?」
しばらくの沈黙の後、レナは視線を伏せ、指を強く握りしめた。
「……戦ったというより、逃げ回ってました。ただ、最後は一人、時間を稼ごうと魔法を撃って……」
「どういう魔法を?」
「……ただの、風系です……あまり、覚えてなくて」
レナは言葉を濁す。その傍に立っていたのは、胸元にSクラスのバッジをつけたレオンだった。教師たちの視線が一瞬だけ彼に向けられる。レオンはため息混じりに言った。
「私が彼女を助けに入ったときには、すでに彼女は限界でした。あのゴーレムは最深部から初心者ルートに行ったもので、私が倒しました」
「……君は演習の参加者ではないはずだが」
「近くを通ったときに、強い魔力異常を感じて、学院の生徒が巻き込まれていると判断して入っただけです。確認したら奥にA級やS級の魔物や、初心者ルートにゴーレムがいたから生徒達の安全の為、全て仕留めました」
教師たちは視線を交わす。問い詰めるには材料が足りなかった。やがて、もう一人が軽く頷く。
「……協力に感謝します。今後も何かあれば報告してください」
聴取はそれで終わった。
***
その噂はあっという間に学院中へ、Sクラスの教室でも広がっていた。
「……聞いたか? 初心者洞窟でS級混じりの魔物が出たらしい」
ジーク・ヴァルフォアが低い声で言う。組んだ腕のまま眉をひそめていた。
「それをあの金髪が一人で全部倒した?馬鹿な話だろ」
ノア・シュタルクは冷静な口調だが、その声には明らかに緊張が混じっている。
ソファの肘掛けに腰かけていたマリアン・アロイスは、小さく鼻を鳴らした。
「……でも“結界が壊されてた”って話よ。そんな芸当、普通はできないわね」
「結界操作って……あの復学したやつの専門だろ」
エルマー・リーベルトが呟く。平民出身の彼にとって、オルフェの噂は恐怖に近かった。
「オルフェ? でもアリバイがあるって聞いたぞ」
キース・ローゼンベルクが半信半疑の笑みを浮かべる。
「結界操作と痕跡抹消なら、あいつならできる。問題は──証拠が一つも残ってないってことだな」
ノアがそう言った瞬間、ページを閉じる乾いた音がした。
奥の席で魔導書を読んでいたオルフェ・クライドが、ゆっくりと顔を上げた。
「……くだらないね」
紫の瞳が薄く笑う。
「疑うなら、ちゃんと調べればいい。根拠もなく名前を出すな」
低く冷たい声に、場の空気が凍る。ジークが小さく咳払いをし、マリアンは足を組み替えた。エルマーは肩をすくめ、キースは視線をそらした。
その隅で、剣の手入れをしていたレオン・ヴァレントは、何も言わずに刃に布を滑らせる。青い瞳だけが静かに周囲を見ていた。
(……奴なら、僅かな証拠すら残さない)
***
レナは、ぼんやりと風に揺れる木々を眺めていた。まだ顔色は戻らず、どこか遠くを見る目をしている。
そんな彼女の隣に、いつの間にかエリックが腰を下ろしていた。
「お疲れ、英雄さん」
「やめてよ……全然そんなのじゃない」
「まあ、戦ってる途中でレオンに助けられたってのは、周知の事実になってるけどな。けど俺は、そこじゃなくて──生き残ってることに驚いてるわけ」
「……?」
エリックはパンの袋を開きながら、軽く首を傾げた。
「レナ。あれって普通のEクラスの子が“うっかり”生き残れる場所じゃなかったよ。状況判断と強敵への対応力。普通の魔術じゃ無理な現場だったって聞いてる。Eクラスの教本だけじゃその傷ではすまないはずだ」
「……偶然だよ。本当に、何とかしなきゃって必死だっただけ」
エリックはそれ以上は追及せず、パンを一口食べる。
「ふーん。まあ、信じる。でもな」
今度は目を伏せて、真剣な声で続けた。
「今回の件、偶発じゃないと思ってる。魔物の構成、動き、結界の壊れ方……全部が“誰かが意図的に壊した”感じがする。しかも、かなり頭の切れる奴だ」
「……」
「痕跡もきれいに消えてる。結界痕からは、解析術すら通らなかったってよ。……これ、下手すりゃSクラスの仕業かもな。オルフェが復帰したばかりってのも、タイミング良すぎる」
レナはわずかに目を見開いた。
「でも、証拠がなければ何もできないんでしょう?」
「そう。だから俺は口を噤んでる。あいつ、倫理観ないから。自分の興味で人間1人くらい平気で潰すやつなんだよ。……正直、俺がSクラスをやめた理由の一つでもある」
彼はぽつりと続けた。
「レオンが本気で怒るのも珍しい。あいつが一瞬でも“殺気”出した時点で、そりゃあ、俺でも怖かったわ」
「レオン……怒ってた?」
「そりゃあな。お前を危険に晒されたんだから。もしお前に何かあったら、アイツ壊れるよ。……たぶん本人も気づいてないけど、もう境界ギリギリだ」
エリックは最後に、袋からレナの分のパンを差し出した。
「食えよ。体力くらい回復しとけ」
「……ありがとう」
レナがそのパンを受け取った時、エリックの表情はもういつもの軽口混じりのものに戻っていた。
「どういたしまして、お姫さま」




