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Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
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第56話 洞窟への出発

 朝の教室で、レナは手元の紙を見つめていた。


「……今回の実技指導は、洞窟……?」


 紙にはびっしりと小さな文字が書かれている。装備の注意、移動手段、そして演習内容。


 ほどなくして、教師の一人が教壇に立ち、説明を始めた。


「えー、本件は魔術学院による年度行事の一つです。CクラスからEクラスまでの合同で行う、実地演習の一環ですね」


 教師は投影魔術を使い、空中に洞窟の地図を映し出す。


「場所は学院管理下の“初心者用洞窟”。探索制限あり、魔物のランクも限定されています。低級魔獣ばかりで、Eクラスでも対応可能。過去に事故は一件もありません。安心してください」


 教室の前列で、Cクラスの生徒たちがどこか余裕の笑みを浮かべる。一方、Eクラスの生徒たちはどこか不安げな表情を浮かべ、ざわ…と小さなざわめきが走った。


 教師はそれを意に介さず、続ける。


「生徒の安全確保のため、外部ギルドから“護衛”が1グループに1人ずつ同行します。基本的に4人1組で行動し、護衛者は戦闘には原則不介入。ただし、生命の危機があれば即介入します」


「移動は明日の朝。集合は学院中庭、遅刻厳禁。実習時間は日中のみ、宿泊はありません」


 教師が最後に、少しだけ真剣な声色になった。


「最深部には向かいません。指定地点で折り返してください。洞窟には学院の結界が張られており、高難度の魔物は出現しません。……ただし、油断は禁物です。いいですね?」


 周囲から小さな歓声が上がる。屋外実習、それも安全なものと聞いて、皆ほっとしているようだった。


 レナも小さく息を吐き、胸元で手を握った。


(大丈夫、大丈夫。これくらいなら、私でもできるよね……)



 ***



 一方その頃、レオン・ヴァレントは同じ洞窟演習の書類を手にしていた。レナの動きだけは常に把握していた。


(初心者用洞窟、C〜Eクラス合同。護衛付きか)


 静かに書類を閉じる。最深部までは行かない予定だというが、彼にとって「予定」など何の保証にもならない。


(……念のため)


 その日のうちに、彼は洞窟へ向かった。

 薄闇と湿った空気。水滴の音が時折響くだけの静けさ。

 剣の柄に手を添え、足音を殺して進む。


(敵の数、魔力反応……この辺りまでは問題ない)


 数体の魔物を目にしたが、斬るまでもない雑魚ばかり。

 生徒たちが通る予定ルートの安全は確認できた。


 だが奥の道の先、ほんの僅かに、違う匂いがした。

 生臭く、魔力の波が微かに乱れている。


(……奥までは時間がかかる。待機はこの辺りだな)


 岩場の陰に腰を下ろし、周囲に意識を巡らせながら瞼を閉じる。夜の洞窟は、昼間の湿気よりも冷たい。岩肌を流れる水の音が、静寂を細く切り裂いている。持ち込んだのは最低限の荷。予備の水袋、保存食、油紙に包まれた魔石灯、それだけだ。


 焚き火はしない。

 光も匂いも、余計な気配を呼び寄せるだけだ。

 だが、この場所に限っては、その必要すらなかった。


 低級魔物たちは、彼の存在を察すると、まるで見えない壁に阻まれたように近づこうとしない。

 殺気も魔力も抑えているつもりだったが、彼の歩んできた生き様そのものが、既に捕食者の匂いを放っていた。


 岩壁に背を預け、剣を膝に立てたまま目を閉じる。野宿は慣れている。兄と共に、道なき道を越え、屋根もなく眠った夜は数え切れない。裏仕事も、潜伏も、逃走も経験してきた。生き延びるための手段は、もう骨の髄まで染みついている。


 耳を澄ませば、洞窟の奥で風が揺れる音がする。


 レオンはそのまま目を閉じ、浅い眠りに身を沈めた。

 明日のために、最も安全な場所で。



 ***



 馬車の中は、班ごとのざわめきで満ちていた。

 向かい合わせの長い座席に、2班分──C〜Eクラスの生徒8人が詰め込まれ、その端に護衛が一人ずつ座っている。

 後部の荷台には、食料と予備装備の木箱がきっちり積まれていた。


 窓の外にはまだ学院の外壁が見えている。


「レナ、レナってば」


 窓の外から呼びかけられ、顔を向ける。エリックだった。通りの石畳の上で、片手をひらひらと振っている。


「え?洞窟に来るんじゃなかったの?」


「んー、俺は留守番。つまらないし。初心者用だと俺の出番ないからねぇ。見送りだけー」


「……やっぱり、元Sクラスは格が違うんだね」


「おいおい、そんな言い方ないでしょ~。俺はただの落ちこぼれだよ?」


 エリックは軽く肩をすくめて笑う。


 御者の掛け声と共に馬車が揺れ、動き出す。

 エリックは笑みを残したまま、後ずさって人混みに紛れていった。


 後方から、ひょこっと顔を出したのはサラだった。


「私、レナの後の班だよー。一緒になれなくて残念だったよね」


「うん、一緒の班がよかったな」


「まっ、簡単らしいし!ねっ、帰ったら打ち上げしようよ」


 サラの声が弾み、馬車の中の明るい空気に溶けていく。

 護衛の一人がちらりと視線を流したが、特に口は出さなかった。



 ***



 車輪が石畳を離れ、森道に入る。揺れが少し強くなり、窓の外の景色が緑に染まっていく。暫くして木々の間から岩肌が見え始める。そこに、学院の管理下にある“初心者用洞窟”の入り口があった。


「到着だ、降りろー」


 御者の声が響き、馬車の扉が開く。冷たい朝の空気が流れ込み、生徒たちが一斉に立ち上がった。


 入り口前の広場には、すでに担当教師とギルドの冒険者たちが待機している。荷台からは木箱が降ろされ、魔力灯の準備や点呼が行われていた。


「Cクラス〜Eクラスの諸君、こちらに整列!」


教師の号令に合わせて、生徒たちが各班ごとに並び替えられる。四人一組、前に護衛が一人。整列の列は緊張と期待の混じったざわめきに包まれていた。レナの班にはCクラスの少年少女2人とDクラスの少年がいた。


「ここからは、班ごとに順番に入ってもらう。洞窟内は狭い場所もあるため、指示通りに間隔を空けて進入すること」


 教師の声は、いつもの講義の時よりも厳しく聞こえた。


 レナたちの班は先に入っていく班の背中を見送りながら、冷たい岩肌に囲まれた洞窟口をじっと見つめる。やがて、レナたちの班が呼ばれる。


 レナの班に護衛としてつけられたのは中年の男性冒険者だった。


「じゃ、行こう。緊張しなくても大丈夫だ。奥には行かないから」


 薄暗い洞窟内に一歩踏み出すと、足元に湿った空気がまとわりつく。


 魔力感知を薄く張って進む。

 最初に現れたのは、淡い青緑色をしたスライムだった。小さな水たまりのようにぷるぷる震えている。


「来たな。落ち着いて、連携だ」


 護衛が静かに声をかける。班の一人が氷の矢を放ち、スライムが身をすぼめる。別の生徒が槍で突き、レナが補助魔法を重ねる。氷片が砕ける音と共に、スライムはしゅう、と泡を立てて溶けていった。


「やっぱりCクラス2人いると楽勝だな」


 Dクラスの少年が肩の力を抜いたように笑う。


「他の班だとCクラス1人のところもあるんでしょ?」


 Cクラスの少女が問いかける。


「そうそう。Eクラス2人ってところもあるらしい。俺ら、先の班に追いつきそうだよな」


 Cクラスの少年が軽く肩をすくめ、レナの方へ振り返る。


「レナちゃんだっけ?俺らと一緒でよかったなー」


「う、うん。……足引っ張らないように、頑張るよ」


 レナはそう言って、小さく笑みを返す。


 次に現れたのは、灰色の巨大ラットだった。人の腕ほどの大きさで、赤い目をぎらりと光らせている。

 班員の一人が投げた小型魔石が足元で炸裂する。爆風に怯んだラットの動きを、護衛が木の棒のような長杖で牽制し、最後にレナが放った小さな雷光が命中して、鼠は痙攣しながら倒れた。


「よし、いい連携だ。こんな調子でいこう」


 冒険者が小さく頷く。生徒たちはわずかな達成感を覚えたようで、張り詰めた空気が緩んでいた。


(……順調だ。学院で習ったもので対処できてる。)


 そう思いながらも、レナはふと立ち止まった。


(でも、何組か入ってるのに……まだ誰も戻ってきてないみたい)


 洞窟内で先発のパーティーが戻ってくるのをまだ見ていなかった。


「おかしいな? こんなに魔物が少なかったっけか?」


 護衛の男性冒険者が呟いたのを、レナは聞き逃さなかった。


(……魔物が、逃げてる?)


 それは、何らかの異常が起きた時に起こる生態系の“逃散”に近い現象だった。


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