表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fated Oath ―誓約の果て―  作者: りんごあめ
第ニ章 真贋の饗宴─ Carnival of Blood
56/70

第53話 オルフェ・クライド

 オルフェ・クライドが教室の扉を開けると、空気が変わった。


 いつも通り、空調の効いた魔術制御空間。カリグレア魔術学院、Sクラスに久しぶりに戻ってきた。


 静かな空間の中、いくつかの視線がこちらを刺すように突き刺さる。オルフェはそのすべてを無視した。


(変わらないな、この場所も。替わるのは生徒だけだ)


 事故の件を、誰も口にはしない。けれど、何人かは明らかに身構えていた。


 その中に──見慣れぬ顔があった。


 金髪、碧眼。肩にかかる短髪。


(……ああ、新入りか。俺がいない間に変なのが入ったもんだ)


 けれど、数秒後。オルフェは眉をわずかにひそめる。


(……ん?あの顔……どこかで……)


 記憶の奥から、何かが引きずり出される。輪郭、目の形、仕草……妙に引っかかる。


(……似ている……)


 口には出さない。ただ、無意識のまま視線がその新入り、レオン・ヴァレントに注がれていた。


 何人かが、ざわめいた気配に気づき、オルフェの目線を辿った。だが、レオンは何も気づかないように無表情を保ち、淡々とノートを取っていた。


(面白い)


 オルフェは静かに自分の席につき、背筋を伸ばして座る。


(どういうことか、調べる必要があるな。あの顔が、ただの偶然だとは思えない)


 かつてのうるさい奴──エリック・ハーヴィル、Sクラス時代に隣の席だったあの少年──の席は空いていた。教師は席だけ残しているようだが、もう彼はここにはいない。


(……倫理だの規則だの、口を開けばそればかり。魔術師をやめて役人にでもなればよかったのに)


 エリックの声色や言葉の端々が、記憶の中に蘇る。あれは議論というより、ただの干渉だった。危険だからやめろ、命を軽んじるな、結果より過程を──そんな建前を何十回も聞かされた。


(……結果が全てだろう。手段に価値を置くのは、敗者だけだ)


 空席は、教室の中でひときわ静かだった。だが、オルフェにとっては静寂の方が遥かに心地よい。少なくとも、もうあの声を聞かずに済む。



 ***



 魔術理論の講義室では、黒板に映し出される術式を写していた。


 オルフェ・クライドはいつも通り、淡々と数式を記録していた。だが、不意に意識が別の一点へと向いた。


(……あの男、レオンだったか)


 教室の後方、静かに席に着く金髪の少年。


 ただ座っているだけのはずなのに、周囲の空気が違っていた。緊張が走るわけではない。むしろ、当人は何も気にしていない。だが、彼の周囲の空間には「侵入を拒む気配」が満ちていた。


(……妙だな。演算もしていないのに、術式が“干渉されにくい”空気になっている)


 講義後、実技演習でそれはさらに顕著になった。訓練内容は「結界展開」。だがここはSクラス──飛来するのは模擬用の魔弾などではない。実戦そのものの威力を持つ雷撃や炎槍だ。避け損ねれば重傷、下手をすれば即死する。


多くの生徒は結界の発動がわずかに遅れ、火傷や痺れに呻き声を上げていた。


多くの生徒が結界の発動にわずかに遅れ、火傷や痺れを負って呻いていた。訓練場の端には学院専属の治癒師が控えており、魔術の光が絶えず走っている。


そんな中、レオンだけは違った。無詠唱の速さで展開し、余計な力みがない。張られた結界は最小限、しかし必要な威力だけを正確に弾き、すぐに次の動きへ移っていた。


(……術式構築ではない。“身体”そのものが、戦うために最適化されている)


 剣を振るうときの姿勢を見ただけで、オルフェには分かった。これは「殺すことに慣れた身体」であり、理論や反復訓練ではなく、実戦で磨かれた動きだった。


(……やはり。俺の魔術が「術式」なら、彼のそれは「本能」だな)


 戦士の勘と、術式構築の直感は似ている。

 ただ、方法が違うだけ。

 彼は計算せずに選び、最短の破壊を実行する。

 無駄がないのは、美しい。だが同時に、乱雑だ。


(……精密さでは俺が勝る。だが、接近戦では剣を持つあいつが上か)


 彼の青い瞳は一見すると氷のように冷たいのに、奥底に燃えるような炎が揺らめいていた。


(興味深いな。……観察する価値はある)


 その瞬間、レオン・ヴァレントは、オルフェの研究対象リストの片隅に加わっていた。



 ***



 レオンが初めてその男、オルフェ・クライドを見たとき、思わず眉をひそめた。


 黒い学院制服を着崩し、白衣のような上着を肩から滑らせている。一見すれば、ただの不真面目な生徒。

 だが、足を止めさせるほどの“異質さ”がそこにはあった。


(……隠してるつもりか?)


 無造作な銀髪。紫の瞳。童顔めいた柔らかい顔立ち。普通なら人畜無害に見えるはずの外見なのに、纏っている空気はまるで逆だった。底の見えない結界の残滓のような気配。一歩でも間違えれば、全てを焼き払うような“理性を欠いた危険”の匂い。


(あの顔で……中身は、化け物か)


 オルフェの瞳が、一瞬だけこちらを捕らえた。

 感情の温度が一切ない瞳。標本を見るような視線。


 戦う意思を見せてはいない。だが、あの視線は「分解してしまいたい」と無言で言っているのと同じだった。



 ***



 廊下の足音だけが静かに響いた。


「……君が、新入りか?」


 レオンは背後から声をかけられた。わずかに振り返ると、オルフェが立っていた。金髪と銀髪、碧い瞳と紫の瞳、異質な組み合わせが、視線の中で交差した。


「レオン・ヴァレント。17歳。……あんたは?」


「俺はオルフェ・クライド。18歳。復学だ。教室の君の席、元は知り合いが使っていた」


「……そうか」


 短い沈黙。


「……で、俺はまだ、君のことをよく知らない。レオン、でいいかな?」


「好きに呼べばいい。敬語も必要ない」


「それは助かるよ。──ところで、ひとつ聞いてもいい?」


 レオンは視線を戻す。オルフェは興味深そうにレオンの表情を見つめていた。


「君、どこかで誰かと“似てる”って言われたことは?」


 一瞬、空気が引き締まる。


「──そうか?」


 レオンは軽く目を細めた。それだけだった。

 だが、その瞳の奥に一瞬だけ“何か”がよぎったことを、オルフェは見逃さない。


(やはり、何かある)


「……まあ、気のせいかもしれない。僕の記憶違いってことにしておこうか」


「それが賢明だな」


 互いに笑わない。皮肉も、感情もない。

 ただ淡々とした“対話”だけが交わされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ