第51話 奇妙な三人
【Sクラス名簿】
ジーク・ヴァルフォア 軍人一家
ノア・シュタルク 宮廷魔術師の名門
マリアン・アロイス 貴族 伯爵家
キース・ローゼンベルク 商家
エルマー・リーベルト 平民
オルフェ・クライド 休学中
レオン・ヴァレント A→S進級
エリック・ハーヴィル 席だけ
銀の装飾が施された厚い扉の前で、レナは深呼吸した。ここは、カリグレア学院・Sクラス専用棟の最上階である。
「……ここが、Sクラスの教室……」
「怖気づいたか?見学してみる?って軽く言ったけど……実際に来ると、すごい圧だよなあ」
横にいたエリックが、からかうように笑う。
「ううん、ただ……なんか、別世界みたいで」
「まあ、ある意味“別の国”だからね。さ、見学見学。まだ俺も教室には入れるはずだからさ」
エリックが静かに掌をかざすと、音もなく扉が開いた。その瞬間、空気が変わった。魔力の濃度が違う。圧のある沈黙と、冷たい視線。レナが一歩足を踏み入れた瞬間、Sクラスの生徒たちが一斉にこちらを見た。
「……誰だ?」
最初に声を発したのは、廊下に近い席のジーク・ヴァルフォアだった。軍人一家らしい硬い声音に、レナがぴくりと肩をすくめる。
「Sクラスの見学に来たんだ。この子はEクラスのパートナー。あっ、俺の席、懐かしい〜」
エリックが肩越しに教室内を見渡して答える。
「は?Eクラスの……?冗談だろ」
鼻で笑ったのは宮廷魔術師の名門であるノア・シュタルクだ。銀縁の眼鏡を指で押し上げ、冷ややかにレナを一瞥する。
「実技パートナーにしては、えらく落ちこぼれの香りがするわ」
唯一の女子生徒である、マリアン・アロイスが、貴族的な笑みを浮かべて囁いた。教室に軽いざわめきが走る。
「Sクラスってどんなもんか、興味あるらしいよ」
エリックは淡々と返した。
「Eクラスが……?観光客かよ」
呟いたのは平民出のキース・ローゼンベルクだ。棘のある声に、レナは気後れして少しだけエリックの後ろに隠れる。
「……興味持ったっていいでしょ?」
控えめながら、はっきりとした声でレナが言った。
「へぇ。言うじゃん」
同じく平民のエルマー・リーベルトが片眉を上げて笑う。教室のあちこちで小さなざわめきが広がった。
「ていうかエリック、お前は何でまたEクラスなんかに?」
ジークが不思議そうに首を傾げる。
「確かお前、Sクラス内でも上位だったろ。術式構築速度とか、理論系の成績も高かったし」
ノアが真面目な調子で言う。
「前に出した魔導構築論、あれ教員陣が論文に取り上げたじゃん?」
マリアンが指先で髪を払いつつ、皮肉まじりに付け加える。
次々に言葉が飛ぶ。そのたびに、レナは目を丸くした。
(……そんなにすごい人だったんだ、エリックって)
すると、エリックはあっけらかんと答える。
「まあね。でも俺、Sクラス合わなかったんだよ。空気も人間関係も、倫理観も含めて。特に……オルフェ。あれと一緒は絶対に無理」
ざわめきが止まった。“倫理観”という言葉が、静まり返った教室に小さく響く。
「……オルフェはまだ休学中だ」
ジークが低い声で告げる。その一言に、空気はさらに重さを増した。
「うん。だから俺が今いるのはEクラス。居心地がいいんだよ。俺の性格には」
Sクラスの教室に、異物が二人、そしてもう一人がやってきた。その瞬間、教室の空気が明らかに揺らいだ。
「教室見学か?」
背後からかけられた声に、レナは振り向いた。
そこには、黒の制服に身を包んだレオンがいた。その姿を見たSクラスの空気が、もう一段張り詰める。
「……うん。エリックと一緒に。Sクラスってどんなところなのか気になってたら、連れてきてくれたんだ」
レオンは一瞬だけ黙って、その様子を見つめていた。
「……そうか。まあ、ここは見ておく価値はある」
レオンが自然な距離感で、レナの傍に立つ。
そうしてSクラス、元Sクラス、Eクラスという、どう見ても釣り合わない三人が、並び立っていた。
その光景に、Sクラスの者たちは無言になった。
「まるで……奇妙な並びだな」
ノアがぽつりと呟いた。
「元Sクラスと、今のSクラスと、Eクラス。……交わらないはずの属性が同じ空間に立ってるとは、異物が異物を呼ぶのかもな」
ジークの皮肉めいた一言が飛ぶ。だが、誰も彼らに手を出さなかった。レオンの存在が、“ただの生徒”ではないことを、彼らはすでに知っていたからだ。
沈黙の中、レオンがポツリと呟いた。
「……でも、あまり来るような場所じゃないぞ。レナには」
その言葉に、レナは少しだけ目を伏せて微笑む。
「うん、でも……“レオンがどこにいるか”くらいは、知っておきたかっただけ」
その言葉に、一瞬レオンの目が揺れた。そのまま、三人はその場を後にする。背後には、重く沈んだSクラスの視線が残されていた。
***
Sクラスの扉を閉めた瞬間、レナは肩の力を抜くように小さくため息をついた。
「……はぁ。あれが、Sクラスなんだね」
「うん。ね、雰囲気おかしかったでしょ?」
「うん。怖かった。あの空気、ずっとピリピリしてて」
「Sクラスって、たぶん実力と同じくらい“神経の図太さ”が必要なんだと思う。言い換えれば、まともな人間は居づらい」
エリックが苦笑する。
「みんなレオンのこと、なんとなく警戒してたように見えたよ」
「そりゃそうだ。レオンの実力はあの中でもトップクラスだし、何より“何考えてるか分からない”ってのが一番怖がられる」
「……エリックも、そう思ってるの?」
「うん。あいつが何考えてるなんて、わからないよ。ただあいつを見てれば分かることだってあるけどね。」
レナは歩みを止め、エリックの顔を見上げた。
「エリックはSクラスの時……どんな感じだったの?」
「俺?真面目にやってたよ。成績だって悪くなかった。オルフェ以外には負けた記憶もない。ただ、どうしても合わなかった。レナ、君が“あの教室”に入った時、何を感じた?」
「……居場所じゃない、って。怖くて、ひんやりしてて」
「そう。俺もそうだった。あの中にいると、段々と“他人の痛み”とか“限界”とかが、どうでもよくなっていくんだ。正しいことより、勝つことばかり考えるようになる」
「……」
「だから逃げた。あそこに居続けたら、俺は壊れそうだったからさ」
レナは言葉を探すように、ふっと俯いてから微笑んだ。
「エリックがいてくれてよかった。私、一人だったらたぶん……泣いてたかも」
「それは困るな。俺、レナの泣き顔は見たくない派」
いつもの調子で軽口を叩きながら、エリックはちらりと背後を振り返る。
(あの異様な教室で、レオンだけが“ブレてない”のも……ちょっと怖いけど)
***
エリックとレナが教室を出ていった後、Sクラスにはざわめきが広がった。
「……おい、あのエリックって、本当にあのエリック・ハーヴィルだよな?」
最初に声を上げたのは、ジークだった。
「そうだ。以前、Sクラス最上位の一人って言われてた……」
答えたのは、銀縁眼鏡をかけている青年、ノアだ。その声は淡々としていたが、わずかに揺らぎが混ざっていた。
「マジでEクラスに降りたのかよ。アホなのか?」
皮肉めいた声を放ったのは、平民出のキースだった。だがその響きには、笑いよりも恐れが滲んでいる。
「いや、あれは……違う意味で、怖いな。あんな強いのが、Eクラスにいるんだろ?」
軽口を叩きつつも肩をすくめたのは、同じく平民のエルマーだった。
「レオンはどう思う?あいつ、エリックとEクラスの子……レナだっけ?あれを守るような立ち方してたけど」
ジークが問いかける。
「……どこかで、線引きしてるように見えた。踏み込んだら、全員殺すぞって目だったな」
ノアが眼鏡越しに低く答えた。
重苦しい沈黙の中、やがて唯一の女子生徒、マリアンがつぶやいた。
「“獣”が、懐を守ってるみたいだった。あれは──間違いなく、敵に回す相手じゃない」
その言葉に、誰も否定の声をあげられなかった。
誰もが心の奥で、同じ結論に辿り着いていたからだ。
──レオン・ヴァレントは、敵に回してはいけない。
「それにさ、オルフェがもうすぐ復学するって先生に聞いたぞ」
エルマーが軽く言った瞬間、空気が一段と冷え込む。
「処分されなかった時点で、もう学院は“戦力”として切り捨てられなかったんだろう」
ノアが低く呟く。
「でも……あいつが戻ったら、また誰か死ぬぞ」
キースの声は恐怖に近かった。
「オルフェ・クライド。天才だけど、狂ってる。結界の暴走で何人も巻き込んで……Sクラスですら死んだのよ」
マリアンの囁きに、生徒たちは息を呑む。
「レオンに、オルフェか……」
ジークが腕を組んで吐き捨てるように言う。
「Sクラスは化け物の巣窟だな」
誰も笑わなかった。
静かな教室に残ったのは、「自分は生き残れるのか」という、生々しい恐怖だけだった。
いつも読んでくださりありがとうございます!登場人物が増えたので、整理用にSクラス名簿を作ってみました。「誰だっけ?」となった時に、ぜひ見てみてくださいね。
ブクマやリアクションなどいただけると作者のやる気がSクラスになります。今後ともよろしくお願いします。




