第44話 世界が彼女を見つけた日
霞む意識の中、何かが触れた。
優しく温かな光のようなもの。
それは夢のように、遠い日の声だった。
『レナ……』
(……お母、さん……?)
声がする。柔らかな光の中で、誰かが彼女の手を握っている。それは、死に別れたはずの、母の手の温もりだった。
『生きなさい。レナ……あなたは、生きていて』
その声とともに、胸の奥に火が点いた。
(ああ……私は……生きなきゃ……いけない……)
自らの血が、何かを求めて蠢く。
(──私のこの血、全てを使ってでも)
その瞬間だった。
空気が沈むように圧縮され、鼓動とともに、レナの体から赤い魔力が溢れ出した。
「…………っ……!!」
全身が焼けるようだった。筋肉が裂け、骨が軋み、皮膚の下で“魔力”が蠢いた。
(痛い、けど、まだ……動ける)
瀕死だった体が、再構築される。
傷が肉に、肉が骨に縫い合わされる。
血が逆流しながらも、止まることを知らない。
その血は、呪われた血脈。
「──アアアァァァアア!!」
叫びとともに、周囲の空気が爆ぜた。
魔竜が咆哮する。
だが、もはや遅い。
紅と黒が混じり合った爆炎が、レナの背から立ち昇り、
槍のように魔竜へと突き刺さった。
次の瞬間。
爆光。
大地が裂け、空が揺れる。魔竜の巨体は紅の波に包まれ、焼かれ、溶かされ、悲鳴すら上げられないまま蒸発した。
熱風と衝撃が森を薙ぎ払う。地表はえぐれ、円形に削られた巨大なクレーターが姿を現す。すべての草木は燃え、石すらも熔けていた。
レナの足元から広がるその場所が、まさに爆心だった。
彼女の目からは、まだ涙が流れていた。
だがその涙すら、蒸気のように空へ消えていった。
「……生きてる……」
呟いた声は、風に乗って静かに消えた。
だが、彼女の巨大な魔力反応は、確かに、世界中の“探していた者たち”の網に引っかかっていた。
その血が、完全に解放されたのだから。
***
地図にも載らない獣道を駆け、踏み荒らされた枝葉を読み取りながら、レオンは森の中を走っていた。
空が、赤く染まっていた。
木々の影は焼け落ち、黒い煙が地平を埋めている。息苦しい硫黄の匂いや立ち上る蒸気、赤黒く焼け焦げた魔力の余波。既にこの一帯は“戦場”だった。
レオンの足が止まる。
視界の先にはぽっかりと穿たれた巨大なクレーターがあった。まるで空から隕石でも落ちたかのように、地面が半径数十メートルにわたり崩落し、焼け溶けていた。
空気が、重い。ここまで空間が歪んだ爆心地は、見たことが無かった。
(……まさか)
降り注ぐ灰の中、その中心に小さな影があった。
血に濡れた制服。破けた袖。焼け焦げた靴。
倒れているのは、レナだった。
レオンの心臓が、どくりと跳ねた。
「……」
呼吸が詰まる。
息をのむという表現では追いつかない。
心臓の音が、耳の中で爆発しそうだった。
数秒間、世界が止まっていた。
(生きているのか……?)
恐る恐る歩みを進めた。
風が吹くたび、少女の髪は微かに揺れた。
僅かに胸が上下に動いている。……呼吸をしている。
(生きてる──)
その確信と同時に、胸の奥が焼けるような焦燥に包まれた。
なぜ、こんな力が解放されたのか。普通の魔力暴走とはかけ離れた力だ。レオンは記憶を手繰る。濃い赤の魔力を、昔、一度だけ見たことがあった。
「……血の魔力?まさか……ファウレスの……」
呟いた声は、呪いのように地に落ちた。
かつて、村を襲った。レオンにとっては、ただの依頼の一つだった。その中で一人、取り逃した少女がいた。
名前も、顔も、忘れかけていた。
だが、目の前に横たわるその少女が、あの日の“ファウレスの血”の子だと、今やっと理解した。
(……繋がった)
心臓が冷たくなる。
この力は既存の魔術では説明できない。
魔力理論でも、精霊の加護でもない。
これは“血”の力。
血統に刻まれた、“本来あってはならないもの”。
レオンは膝をつき、手を伸ばす。
そっと、彼女の頬に触れた。
冷たい。けれど、確かに、生きている。
「……よく、生きてたな」
声は低く、微かに震えていた。
この瞬間レオンの中で何かが音を立てて崩れた。
少女はただの“守るべき存在”ではなかった。
彼女は、世界を揺るがす“起点”であり、
あの日、自らが犯した“罪の象徴”でもあった。
レオンは静かにレナを抱き上げる。
足元の地面は、焦げて溶けてしまっていた。
そして空の彼方では、遠く、彼女の力を“観測”した者たちが、動き始めていた。




