第41話 心が疲れた時には甘いもの
あの日からレオンには会っていなかった。避けていた、と言ってもいいだろう。あの場面を思い出すたび、胸の奥が凍りつく。
(どうして……?なんで、あんなことを……?)
レナは混乱していた。彼のことがまるで分からなくなっていた。もう二年も一緒にいたのに。思えば、レオンのことを何も知らなかった。お互いについて聞かないのは無言のルールのようなものだった。
(……このまま一緒にいて、いいのかな)
だが、思い出してしまうのだ。優しい声と微笑み。そっと肩に触れる手を。
(……あの優しさも、全部……嘘だったの?本当だったと思いたいのに、もう自信がない)
昼休みの教室、誰もいない時間にレナは机に突っ伏していた。疲れたような息を吐いていた。
「……どうしたんだ?真っ暗な顔して」
声をかけてきたのは、エリックだった。ふと見上げると、優しい緑の瞳が心配そうにこちらを覗いていた。
「……何でもないよ。悪い夢、見ただけ」
レナは力なく笑った。これ以上、彼に余計な心配をかけたくなかった。
「悪い夢、か。お前に告白したやつ、消えたらしいな」
エリックのその言葉に、レナの笑みが凍る。
「……」
「この前のカインの件も、多分アイツの仕業だろうな。証拠はないけど……やりかねない」
淡々と語られるその声音に、嘘はなかった。
「なんで……そんなことするのかな。私は、普通に過ごしてるだけなのに……」
呟いたレナの声は震えていた。
「アイツのお前を見る目、正直、異常だったよ」
エリックの言葉は、胸の奥に鋭く突き刺さった。
「お前さ、囲われてるんだよ。……まだアイツの部屋で夕食作るとかいうバイトしてるのか?」
「最近は……行ってない。……会っても、いない」
「なら、そのままフェードアウトした方がいい。……お前の持ってる、あの鍵さ」
エリックは眉をひそめた。
「あれ、やっぱり、位置情報ついてると思うんだ。今までのタイミング、あまりに都合よすぎる」
レナは答えられなかった。もう“そんなはずないよ”と笑うこともできなかった。
「……そう、なのかもね」
言葉を絞るようにレナは呟いた。最初の頃は、信頼して合鍵を渡してくれているのだと思っていた。だが、次第にそうじゃない気がしていた。
レナのどんよりと暗い様子を見て、エリックは小さく息を吐き、笑ってみせた。
「よーし!放課後、ケーキでも食べに行こう!心が疲れてる時こそ、甘いもの食べなきゃな!」
いつもの明るさを装いながら、彼は精一杯、レナを励ましてくれた。
その優しさが、今はとても沁みた。
***
「……ほんとに行くの?」
「当然。今日みたいな日はケーキが主食。異論は認めない」
レナは少しだけ困った顔をしながら、それでも笑った。彼の無理のない明るさが、少しずつ心に灯をともしてくれる。
向かったのは、学院近くの小さな洋菓子店。アーチ状の扉に小さな鈴がついていて、開けるとちりん、とやさしい音が鳴った。
「おかえりなさい、エリックくん!」
カウンターの奥から、店主の明るい声が響いた。
「今日はどんなスイーツがお目当て?」
「この子がちょっと疲れてるからね。甘くて優しいのがいいな。あとはチョコ系!」
エリックがレナの肩をぽん、と叩く。
「あれ…?わ、私が選ぶんじゃないの…?」
「お前が自分で選んだら、絶対に遠慮するって分かってる。だから、俺が全部決める」
「もう……強引すぎ」
それでもレナは笑っていた。柔らかな甘い匂いと、カウンターに並ぶカラフルなケーキたち。その光景に、少しだけ緊張がほどけていく。
「はい、ガトーショコラと、カシスのムース。あと、この紅茶はここの名物」
席についた後、エリックが器用に並べた。
「わあ……きれい……」
「でしょ?見てるだけでも癒される。けど、見てるだけじゃもったいないから、さ、食べよ」
フォークを手に取りながら、レナはそっとムースに口を運ぶ。爽やかな酸味と甘さが広がって、思わず目を細めた。
「……おいしい」
「でしょでしょ。糖分は偉大…ってね」
エリックも満足そうにガトーショコラを食べながら、ふっと呟いた。
「レナ、たまにはこういう時間も大事だよ。何も戦わなくていい時間。気を張らなくていい場所。必要だと思う」
「……うん。ありがとう、エリック」
その声には、ほんのりとした温かさが滲んでいた。
「さっ、次は何を食べようか?」
「まだ食べるの?」
レナは目を丸くする。
「そりゃそうだ。次は、フルーツタルトがいいと思うんだよね」
わざと真剣な顔をして言うエリックに、店主がくすくすと笑った。
夕暮れの光が差し込む窓辺、ティーカップから立ち上る湯気。静かで、やさしい時間だった。
それだけで、世界が少しだけ、優しく見えた。




