第40話 赦してくれる?
ここから先は甘さよりも狂気やショッキング展開が前面に出ますので、ご注意ください。少し重たい展開になるかと思いますので苦手な方はお気を付け下さい。
「……レナから俺を誘うなんて、何かあった?」
ある晴れた平日の昼下がりに学院近くのカフェに2人はいた。レオンはカップに口をつけながら、何気ない調子で問いかけた。その表情には緩やかな笑みを浮かべていた。
「うん、ちょっと話したいことがあって……私、こういうの初めてでよくわからなくて……」
レナは曖昧に笑って、視線を落とす。緊張していた。自分から話すべきか、やめるべきか。でも、ここまで来たのだから言おう。どこかで話さなきゃいけない気がした。
「この前、初めて……告白されて」
スプーンを回していたレオンの手が、止まった。静かな店内に、外の鳥の鳴き声が響く。
「……誰に?」
その声があまりに低く、氷のようで、レナは思わず息を飲んだ。
「Eクラスの子。よく喋る子で、その子から……“好きです”って、言われて……」
レオンの碧眼が真正面から突き刺さるように向けられた。
「へえ…そいつの何がよかった?優しかった?面白かった?守ってくれるって言った?」
レナは動けなくなった。言葉が詰まり、喉が焼けつくような感覚が広がる。
「そういうわけじゃ、ない。ただ、びっくりしただけで……」
「じゃあ、俺に言う必要はなかっただろ」
レオンが立ち上がる。動作は静かだったのに、空気が一瞬で冷えた。
「話はそれだけ?……俺、もう行くから」
「えっ、待って……!」
レナが手を伸ばそうとした瞬間、レオンは彼女を見ないまま、店の扉を押して出ていった。店内には、レナの冷めたココアと、残された椅子の温もりだけが取り残された。
***
──それから、数日後のことだった。
重たい瞼をゆっくりと開けた瞬間、レナは天井を見上げた。冷たい金属の匂いに、埃っぽい空気。どこか人気のない、閉ざされた空間にレナはいた。ここは、倉庫だろうか。
「おはよう、レナ」
その声はやけに穏やかで、どこか微笑を含んでいるようにさえ聞こえた。
「……レオン?」
上半身を起こすと、そこにはいつもの金髪碧眼の青年がいた。変わらないはずの顔なのに、今はどこか、ひどく冷たく見えた。
「なんで……私、ここに?」
「会いたかったから」
レオンは優しく言って、レナの髪をそっと撫でた。優しい手つきだった。けれど、何かがおかしい。
「……」
レナは記憶を辿る。学院の帰り道。告白されたクラスメイトと「友達からでいいから」と、一緒に歩いていて、突然、背後から何かに襲われて。そのあとの記憶が、ない。
「助けてくれたの? ありがとう……あの、あの子は? 一緒にいた、クラスメイトは……無事?」
レオンは微笑を崩さず、静かに言った。
「目の前にいるじゃないか」
「……え?」
ゆっくりと振り返る。レナの肩越しに、吊るされた何かが、揺れていた。首を垂れ、顔の判別がつかないその身体は、昨日まで学院で笑っていたクラスメイトのものだった。
「……嘘……」
「暴漢すら排除できない役立たずだったから。いらないだろ?そんなの。付き合う必要もない」
レナは凍りついた。
「つ、付き合うって……私は、その人と付き合ってなんか……!」
「告白されたんだろ?」
「うん。でも、断ったの。私は……」
言葉を続けようとした瞬間、レオンは小さく息を吐いて笑った。
「……ああ、そう」
「レオン、最後まで聞かずに……あの日、カフェから出て行ったでしょ?」
「……」
「どうして……!」
レオンは静かに目を伏せたまま、淡々とした声で言う。
「告白した時点で、そいつはお前を汚す存在だった。死んで当然だ。……まあ、付き合ってなかったなら、それはそれで良かったかな」
彼の言葉には、後悔も、怒りも、何一つ込められていなかった。ただ、レナのために掃除をしたと、そう言わんばかりの、淡々とした正義のような話し方だった。張り詰めた空気の中、レナの肩が微かに震え、背中を冷たい汗が流れる。
「……まさか、カインも?」
「さあ、俺は知らないよ」
レオンの瞳は海のように冷たい。
「なあ、今さら……怖がるのか?」
声に感情はなかった。けれど、それが逆に酷く冷たい。
「……俺のこと、知ってるだろう?お前が一番、知ってるはずだ」
レナは小さく首を横に振る。
「違う……こんなの、レオンじゃ……」
言いかけたその言葉を、レオンの視線が切り裂いた。
「“都合よく”、自分の理想に仕立て上げていただけだろ?優しいと信じたいだけで。俺は、最初から“そういうもの”じゃない。優しくしてるのはお前にだけだ。お前以外になら俺はどこまでも残酷になれるよ」
レオンは少し間を置いて息を整える。
「俺を許すのなら、一緒に帰ろう?」
倉庫の冷たい空気の中、レオンはそう言った。その声は、まるで子供が親にねだるような柔らかさだった。けれど、その“優しさ”の下に潜むものを、レナは直感で理解していた。
(許す……?)
そんなわけがなかった。目の前で人が殺された。Eクラスで仲良くなれそうだったカインも殺されたかもしれない。レオンがやった。勝手に、残酷な方法で、自分のために。
(許せるわけないよ……)
レナは唇を噛み、震えるまま首を横に振ろうとした。けれど、次の瞬間、レオンの目がゆっくりと細められるのを見た。
「……なあ、レナ」
声色が変わった。感情を消したような静けさの中に、底知れない圧が滲んでいた。
「もう一度だけ聞く。……許す?」
さっきと同じ言葉だった。でも今は、意味がまるで違っていた。その問いの“答え”を間違えれば、自分はこのままどうなるのか──想像すらしたくなかった。
(怖い……)
胸がぎゅっと締めつけられる。息が詰まる。
(誰か……助けて……)
けれど、誰もいなかった。ここにはレオンと、自分だけ。吊るされた亡骸と、錆びた鉄の匂いがただ静かに支配していた。レナは、何も見えない視線の先で、震える唇をわずかに動かした。
「……ゆ、許、す……よ」
それは、悲鳴でもなく、怒りでもなく。ただ──生き延びるために絞り出した、小さな言葉だった。
レオンはその瞬間、ふわりと笑った。美しく整った顔に、狂気だけを浮かべたまま。まるで、“望んだ通りの答えが返ってきた”とでも言うように。
「帰ろうか」
その声は、何事もなかったかのように穏やかだった。機嫌を取り戻した彼の背に従い、レナは出口へと歩を進める。扉をくぐる直前──どうしても視線が逸れた。吊り下げられた体を僅かに視界に入れる。
(……ごめんなさい……助けることができなくて、ごめんなさい……)
胸の奥で呟いた。声にすることさえ許されなかった。
そして、レナの弱々しい表情を──レオンは最初から最後まで、見逃すことなく見つめていた。




