第38話 母の赤い魔石
放課後、柔らかな夕暮れが照らした石畳の通りをレナとレオンは歩いていた。目的は、魔術用品店での買い物だ。演習で使う白魔石が不足していたのだ。
「……白魔石、補充しなきゃ」
「お前の術式、白で回すには出力が低すぎる。青は?」
「た、高いからいいの!」
レオンはいつも通り無表情だったが、その目はじっとレナを見ていた。無理をするなと言いたげに、けれどそれを言葉にはしない。
魔術用品店は、通りの角にある小さな店だった。棚には様々な魔石が並び、淡い魔力の光が室内を照らしている。
(青魔石……やっぱり高いな)
青の札がついた棚の前で、レナはため息をこぼした。白魔石は消耗品だ。手頃だが力は弱く、実戦では不足する。でも青は……学生の身では、気軽に買える価格ではなかった。
その時だった。
「いらっしゃいませ〜!また来てくれたの?いつもありがとうね〜」
店員の陽気な声が響いた。
「そうそう!前に言ってたあれ、とうとう入荷したんですよ〜お客さん!」
彼はそう言うと、ガラスのケースをそっと持ち出してくる。
「……これ、見てくださいよ〜!赤魔石。ここ最近見つかった中で一番新しいやつなんですよ」
提示されたのは、1センチにも満たない小さな結晶だった。だが、その表面には確かに、かすかに滲む“赤”が宿っていた。
血のような、鮮烈な紅。見る者の奥底を、じわじわと灼いてくるような魔力の残滓。レナは、息を呑んだ。顔から血の気が引くのが、自分でも分かった。
(……これ、まさか)
「これって……最近の物ですよね?4〜5年くらい前のですか?」
声が震えそうになるのを、必死で押し殺す。
「そうなんです!ファウレス家の人間がまだ生きてたって学者たちもびっくりしてたそうです。こんな時代に、本物が出てくるとは思わなかったって。」
店員は饒舌に話し出す。
「新しい分だけ魔力が濃いんですよ〜!もしこれが拳大のサイズで出たら……国家の予算に匹敵する価値ですよ。実際、軍事関係者や貴族も血眼で探してます。だって赤魔石を使えば、詠唱も陣もいらずに、誰でも高位魔術を撃てる。つ・ま・り!兵器そのものなんです」
「……兵器……?」
レナの唇が震える。レオンは何も言わずに、冷えた青い瞳は赤魔石とレナの表情を交互に見つめていた。店員は笑顔で続ける。
「はい。普通の魔術師は詠唱とか魔法陣がないと発動できないでしょ?稀にですけど、“赤魔石なし”で無詠唱をやってのける人もいるらしいですけどね〜。そういう人は、生まれつき何かが違うんでしょうねえ」
店員は無邪気に話すが、レナの視界は赤魔石に釘付けだった。視界が揺れる。
(……あれは、お母さんの血だ)
あの夜。全てが燃え、壊された日。
母は最後まで、彼女を逃がすために戦った。
──その母の血が。
今、こうして市場に流され、金で売買されている。
兵器として。収集物として。
動揺を見抜かれてはいけない。いつもと同じように、何もなかったかのように、過ごさないと。でも、動悸がする……もう、うまく笑えない。
レナは何も考えられず、何も買わずに店を出た。白魔石を買う予定だったその手は、何も触れられなかった。
「お前……魔石について、意外と詳しいんだな」
店を出た直後、レオンがふと問いかけてくる。レナは、咄嗟に言葉を探した。
「……ほ、ほら、魔石ってキラキラしてて、綺麗だから。つい、覚えちゃっただけ」
自分でも苦しいと思うほど、浅い言い訳だった。けれど、レオンはそれ以上何も言わなかった。いつも通りの無表情で、ただ前を歩いていく。
レナはそっと、その背を追いながら、拳を握る。
(……誰にも、知られちゃいけない)
ファウレス家の血を引く者だということも。あの赤魔石が、自分の母の“命”だということも。
***
レオンは違和感があった。レナは白魔石を買いに来たはずだった。なのに、何も買わずに店を出た。
手ぶらで、沈黙のまま。明らかにおかしい。
レオンは歩調を合わせながら、彼女の横顔を盗み見る。下を向き、何かを噛みしめるように唇を結んでいる。さっきまで笑っていたのに──その変化は、赤魔石を見た瞬間からだった。
(赤魔石……あれが原因か?)
それだけならまだよかった。
(4〜5年前のものですか、とかそんな言葉が自然に出てくる物なのか?)
レナは“魔石はキラキラしてるから好き”などと曖昧に言っていたが、そんな理由で赤魔石の年代を言い当てられるものか。あの反応、あの震え。あれは偶然じゃない。
(……初めて“嘘”をついたな)
これまでのレナは、無自覚なほどに正直だった。無防備で、損をするタイプの人間だ。だが今、はっきりと“ごまかした”。レオンは口に出さなかったが、その違和感が胸に残り続けていた。
(レナ・ファリス……。お前は何を隠している?)
彼女はただのEクラス生徒、そのはずだった。だが、それにしてはおかしいことが多すぎる。
調べる必要がある。今までは、知りたくなかった“過去”を。
レナ自身が語らないなら、こちらで引きずり出すまでだ。
***
レナ・ファリス。Eクラス、魔力量評価は下位。戦闘能力も低く、特別な背景はない。そのはずだ。
レオンは夜の寮の一室で、静かに書類をめくっていた。軍や王国関係者しか見られない裏ルートから引き出した、生徒たちの正式な記録。金と人脈を使えば、それなりの情報は手に入る。
「……ない、だと?」
何度見返しても、そこには“何もなさすぎた”。
出生地:不明。
戸籍登録:セルトリア北部、数年前に再登録。
両親:死亡、詳細不記載。
学院入学:推薦枠(推薦者不明)
過去の医療記録・学力評価:ほとんどが“紛失”扱い。
一見すると、それっぽく整えられている。
表面だけ見れば、ありふれた孤児の記録に過ぎない。
(おかしい。何かが不自然すぎる)
書類の“手触り”が、どこか作られすぎている。経歴の穴を、自然に見せるために“空白が意図的に設計されている”、そんな感触すらある。
情報が“無い”のではない。
“誰かが、無いように整えている。”
「これ、──“何かを守ろうとしてる”偽造だ」
だが、その偽造は完璧すぎる。雑な工作ならすぐにバレる。だがこれは、細部に至るまで“自然”に見えるように施されている。
「……お前は一体、何者なんだ?」
レナ・ファリスという存在。
その考えが脳裏をかすめた瞬間、レオンの手が止まった。
レナを信じたい。
だが、それ以上に。
彼女を“知りたい”。




